われらの父の父 /ベルナール・ヴェルベール NHK出版

「ベルナール・ヴェルベール」彼の作品には、はずれがありません。

私は、処女作の『蟻』(ジャンニ・コミュニケーションズ)で描かれた世界描写に度肝を抜かれ、それに続く『蟻の時代』(ジャンニ・コミュニケーションズ)では完全に信者になってしまいました。

そんな彼がその後に発表した『タナトノート』(NHK出版)は、『蟻』の世界とは一変して臨死体験や死後の世界を驚くべく解釈とイマジネーションで表現していて、新しい科学小説を確立したと言えるでしょう。

そして今回彼が取り組んだ世界は、なんと人類起源の謎なんです。やってくれますよ。

本書はストーリの面白さもさることながら、最新の理論を分かりやすく説明してくれていて、きっちり勉強になります。
私みたいに怠け者で欲張りな読者には、まさしく1粒で2度おいしい本です。

私なんかは、それらの理論をどれ説明されても、嗚呼そうなんだとその度に深く納得してしまうのですが、次の理論が出されるとそうかこっちが正しいのかと頷いて、次にその理論の反論にあうと、こりゃまたどうしたことだろうと、ねじを巻きなおしてしまうのです。
そんな繰り返しですが、すらりと整理された説明は本当にありがたいです。

「ダーウィンにとっては、僕らは1匹のサルのコピーミスと言う偶然から生まれた。ラマルクにとっては、ヒトは自己改善を試みたサルだ。」

こんな端的で核心まで届いたダーウィンとラマルクの違いを書いた書物を、私は知りません。

変死体で発見された古人類学者。
彼を殺害したのは誰か?
彼が指し示していた「S」の文字の意味は?
また、彼が見つけたという決定的な人類起源説とは?
その証拠物は何処に?
僕らは、どこから来てどこへ行くのか?
そして僕らは誰なのか?

ベルナール独特の2つの話が進行する構造の中で、これらの謎が渦巻き、絡まり、交錯して、はては驚愕の事実が・・・
あなたはこの事実を受け入れられますか?

ハンニバル上・下/トマス・ハリス 新潮文庫

ついにあのレクター博士が、帰ってきました。

正直に言うと私は、新聞でこの広告を見た日に書店に駆け込み、今まで読んでいた本を投げ捨てて、その日からレクターとクラリスの世界に埋没したのです。
・・・・・・・・・・・・
万人に薦めようとは思いません。

こんなにも数ページごとに深呼吸を必要とし、ラストにうろたえたことは初めてです。
読み終わった人は、自らの心の奥を否応なく覗き込まされ、必ず硬く口を閉ざしてしまうでしょう。

読んでいない人は、幸いなる人かもしれません。

「羊たちの沈黙」以降のサスペンスは今終わりを告げ、「ハンニバル」の幕が上がってしまいました。
バックには、グレン・グールドの『ゴルトベルク変奏曲』が鳴り響きながら・・・

生命医学倫理/トム・レビーチャム他 成文堂

(97年8月感想文)
上・下段で、600ページ程ある分厚い専門書です。私は、届いて手に取ったとき、正直「あちゃー」と思ってしまったものです。

ところが実際これを読み始めてると、これが又考えさせられる事例の宝庫であり、新解釈や自問の連続だったのです。その後はむさぼるように、一気に読んでしまいました。

生命医学倫理とは、簡単に言えば生命科学や医療の領域における倫理問題を、様々な角度から検討し、より体系的な価値原理を探ろうというものです。
この考えの背景には、多様化した社会、複雑かつ専門化を進める医療、そしてその間に立たされた生命が、道徳的にも倫理的にも“あるジレンマ”に置かれているという状況があります。

例をあげてみよう。
殺人を予告された医者は、狙われている人に危険を報せることが出来ません。
もしその犯行が行なわれてしまった時、医者は責任を負うべきなのでしょうか?

重症新生児に対して、苦痛を伴う治療を行なったとして数年の生命、痛み無き無治療で数日の命なら、医療はどうするか?また、どうあるべきなのか?
安楽死論と医療の関係は?
障害の部位が神経系(痛みを感じるこの器官)かその他によって、その治療の意味が変わるのか?など、考えるのが嫌になりそうなほど暗く重い問題ばかりです。
しかしこれらは実際に起こっている事実であり、それらの問題に直面している人間が現存しているのです。
私たちは、本来避けるわけにはゆかないはずです。

本書には多くの判例が掲載されていて、大問題から一見すれば些末な事まで裁判で争われています。
裁判が日常化している文化状況があるのかもしれませんが、その中ではどんなに卑近な例でも検討に検討を重ね、そのことの孕んでいる大問題をきちんと射程において論じている様は、大変感心してしまいました。

また本書を読み進めてゆくにしたがって、いやはや西洋の思考方法はむべなるものかなと、腕組みしながら唸ってしまいました。兎に角、理詰めといえば徹底して理詰めなんです。
道徳とは、正義とは、医療とは、個人とは、生命とは…を重箱の隅をつつく様に考え進めます。
大げさではなく、それこそ眩暈がおきるほど・・・・

これは、英語やセム・ハム語族が持っている言語の思考方法なんでしょうか?
日本語で考える私なんか、読んでいておいおいちょっと行き過ぎじゃないか?って感じてしまうのですが、でもそれって、日本語が属するインド・ヨーロッパ語族だから?
それとも単に、私の論理思考能力の貧弱さ故なのかな。

西洋医学が生命のパーツ化を進んでしまう必然性を、意外なところで見せ付けられたような気がします。
本書は、米国での医者の必修教科書であるらしいのですが、日本の浅慮な医療者の行為を見るにつけ“患者の生命とは”だけでも重箱の隅をつついてほしいものだと思ってしまう、今日この頃です。