朗読者/ベルンハルト・シュリンク 新潮社

久しぶりに深い書物に出会えました。
心がしんとなり、ページを繰る音だけが世界に流れ、窓の外には雨が静かに舞い降りています。
そこには私たちが求めて止まない人間がいて、現実があり、歴史が横たわり、そして深い悲しみがありました。

私たちが今ある鉛錘であり、文学の責務なのかもしれません。

孤立する妻たち/武藤清栄監修著 宝島新書

題名には妻の文字があり、様々な○○子さんのケースも書かれてはいますが、本書に表出している苦悩や不安や逃げ場のない状況は、まさに現代というのっぺらぼうな顔を浮かび上がらせています。
孤立する「私」であり「あなた」なのです。

実は私には、ずいぶん前からぼんやりとした考えがあったのです。
日本が高度経済成長をむかえたころに、何か大きな地殻変動があったのではないだろうか?と。
それが何であるのかいろいろな模索を続けていたのですが、この頃の10代の少年達の事件の増大に触れて、少し思い当たることがあります。

やはり「命」に繋がることではないでしょうか・・・

資本主義が人類の持っている生産力を高めつつ市場を広げ、グローバル化を推し進めたことは間違いないことだと思います。
その経済至上主義はシンプルな原理と、大脳皮質を刺激するにはこの上もないシステムで、人間が持つ欲望という理屈以前の原動力を持っていたのです。
ところがその資本主義経済が進展し、必要に思う欲望とそれを満たす物資がイタチごっこを繰り返し増殖してゆくうちに、気がついてみると人間は動物が持っている根本的な欲望の領域から遠く、あまりにも遠くに歩み出てしまったのではないでしょうか。

その欲望とは、「生きる」ということです。

何か唐突で、論理の飛躍のような気もしますが、今一度「普遍問題という迷妄」に陥らずに手が届くところから始めるしかない想いなのです。

「生きること」これが生物(動物・植物・細菌・・・)の持っている至上目的です。
ここに理由なんてありません。
とにかく生きるのです。その「とにかく生きる」ために生きているのです。
生命を維持するために物を食べ、有害である物質を排出し、厳しい環境には適応するべく身体や環境を変化させたり、固体で生きるより集団のほうが生き延びる可能性が高いならば社会を作ったり、子孫を作ったりして生きる。
「生きる」とにかく「生きのびる」
「生きれ」とか、「生きよう」とかの意志や理由はそこには必要ありません。
生物は、生きるために生きているのです。

裏返して言えば、生物は生きることの困難さを必死に克服するためにだけ生きている、という矛盾的存在なのです。
そこには終わりもなく、次から次に打ち寄せて来る「生きる困難」に晒され、ただ生きるストレスの海を、泳ぎ続けるのです。

ところが人類(先進国の一部ではあるのですが)は、生命維持のための生産活動から「生きていることを前提」とした生産活動の次元に突入してきました。
その次元が社会構造の半数以上を占めたのが、高度成長期であり高度資本主義経済世界だと思います。

人間は、生物種の中で始めて「生態的な生きるストレスを感じないで生きることが可能な生物」になったのです。
もちろん腹も減るし、性欲もあります。
しかし、生命維持に最低必要な「食べることが可能なものを食べる」ではなく、美味しい物や素敵な場所で食べることに消費の主眼が移り、生産の目的(!)が移行してきたのです。
生命を維持するための生物的ストレスは知らずうちに無くなり、摂取・消費は付加価値への欲望加速と変化し続けてきました。

気がついてみると生きている。
欲望を中心とした精神的な飢えは切実だけど、生命維持の努力は必要ない。
知らず知らずうちに努力したり、我慢したりしてでも成し遂げておかなければならない自分の生命は、問われる対象からはるか彼方に後退してしまったのです。
なぜ生きているなどと問うことの疑問など成立していなかった生物の大前提は、いまや???だらけです。
だって、存在感を確認するために自己主張したり、周りから大きく逸脱しないでの共生や、仕事や「私探し」の大変さに比べたら、苦労や意識もしないで獲得しているこの生命なんて・・・・
ましてや、人の命・・・・・

おいおい。いまさら説教じみた生命の重さを説くのは止めてください。
もともと倫理や道徳以前の大前提で、問うことすらしてこなかったくせに。

後戻りは出来ないのです。
なぜ生きてしまっているのか。
「私」を問う前に、孤独な生命をつなぎとめる「新たな言葉」を見つけなければならない気がします。

死の中の笑み/徳永進 ゆみる出版

(97年8月感想文)

いいお医者さんて、いるんだな〜。
当たり前のことですが、なんだか知ってホッとしました。

奥付を見ると1982年初版で、初めの文章は1975年11月となっています。
随分と前から、医療の現場で本当に悩みながら、失敗を深く反省するとともにそれをきちんと抱え込み、医者と患者の関係、人間として地域として生と死を考えている「人」がいることに正直感動してしまったのです。

著者はある日、強いチアノーゼと2次性多血病で緊急入院した来た患者の治療にあたり、なんとか山を越してほっとひと安心した時に、患者さんから「自分で買物し、料理し、一緒に食べてくれる人がいる生活がしたい。私、結婚できないでしょうか。結婚してはいけないでしょうか?」と言われショックを受けます。
医療者として、目の前の症状を治すことで病気の大問題は片付いたと、自然に思ってしまっていたのです。
目の前には病気があるのではなく、病を患った一人の人間がいます。
著者は、そんなことに思いもしなかった自分を恥じ入り、患者の夢や希望が叶うような治療方針を模索しながら、そこから「治療」を始めるのです。

また、早くから居宅療養に取り組み、精力的な活動を展開してゆきました。
老人や患者がちゃんと「生きる安堵」に繋がらない居宅は、単なる収容になっているに過ぎなく、居宅は生きているという喜びに直結されなくてはならないと説き続けてます。
(老人介護が叫ばれ、在宅システムがシステム化してゆく現在、この視点は重要ではないでしょうか。)

「子どもたちがみている死」(!)「笑いのない部屋」中毒症のこと、ターミナルケア、安楽死など、医療が抱える様々の問題が、たった1人の医師から日常の仕事の問題として提出されていることに驚いてしまいます。

「かえらない山かえらない川」では、らい病患者のことに触れていました。

・・・ひとつの感染症が、人を生れ故郷から連れ去った。
なつかしい山や川を見ながら親しい家族や隣人や友達と一緒に暮らすことを不可能にした。
こんな感染症をほかに知らない。
この感染症を解決するのは(中略)療養所で暮らす者と、療養所へ送った非らい者が、らい者の生きた悲しみを共有することからしかその解決は始まらない。
らいは「あなたがたに、この特異な感染症が克服できるか。」と問うている。・・・