絵本おこりじぞう /山口勇子原作・沼田曜一語り・四国五郎絵 金の星社
おこりじぞう /山口勇子作・四国五郎絵 新日本出版社

何度も読み直します。
何度も胸が締めつけられます。
何度も絵を見つめます。
何度も怖くなります。
何度も自分を眺めます。

いつも涙があふれてきます。

抑圧された記憶の神話偽りの性的虐待の記憶をめぐって /E・F・ロフタスK・ケッチャム 誠信書房

読んでいてその意味することに戦慄したのは、5年前に環境ホルモンの本を読んだ時以来かもしれません。

「あぁ、こんな天気のときは、あの日を思い出すな。」
「えっ、なんのこと?」
「ほら、コウタロウがあのスーパーで迷子になった時さ。」
「迷子?ぼく迷子になったことあったっけ?」
「何だ、もう忘れたのか。ちょうどお前が小1年の夏に、アイスクリーム売り場からいなくなって、お父さんとお母さんが必死になって探したじゃないか。」
「う〜ん。そうだったっけ?」
「途中でお母さんは泣き出すし、お父さんはお前の名前を何度も大声で叫んで、店中大騒ぎになったろう。」
「・・・・・ああ、思い出したよ。あの時急におシッコがしたくなって、走ってトイレに向かっていた時に足をくじいて動けなくなってたんだよね。その後お母さんがぼくを見つけてくれて、あまり思いっきり抱きしめるもので、苦しいよといって暴れたっけ。」
「そうだったな〜。でもその後アイスクリームは、しっかりと食べてたぞ。」
「へへ。でもあの時は本当に足が痛かったんだよ〜。いまでもそのときの痛さを思い出すよ。」

コウタロウの脳裏には、これで実在しなかった迷子の記憶が体感をもって植え込まれました。

「徳さん。残念ながらあなたは娘さんから訴えられました。」
「はあ?なんで?」
「あなたは娘さんに性的虐待をしていましたね。」
「何を馬鹿なこと言ってんだ!そんなことするわけないじゃないか!」
「娘さんは、思い出したと言っておられます。細部までしっかりと。そのときの痛みまでもですよ。」
「信じられない。なぜそんなことを言い始めたんだ?」
「あなたはそのことを否定されるのですか。」
「当たり前だ!」
「なるほど、記憶を抑制しているわけですね。」
「なに?記憶を抑制?」
「そうです。あなたは自分が認めたくない記憶を、記憶の奥底に閉じ込めて否認モードに入っているのです。」
「それじゃあ俺は、その嫌な記憶を忘れていて、そんなことをしていないと「思い込んでいる」だけだというのか!そんなバカな!」
「あなたは、思い出したいことだけを思い出して、いやなことは封印しているのです。自分の願う自己像に沿って、記憶を並べかえているのですよ。」
「じゃあ、子ども達と過ごした楽しい思い出は、偽りだというのか!」
「そうです。」
「なんということだ!・・・・どうしたら俺は、無実だということを証明できるんだ。」
「あなたにできることは、何もありません。あなたが抑制しているかどうかを、あなた自身が証明することはできないのですから。」
「そんなことが・・・・」
「明日からカウンセリングを受けて、よく思い出して下さい!」
「・・・・・・・」

始めに断っておきます。
カウンセリングが悪いということでも、カウンセラーがとんでもない輩だということではないのです。
問題は、人間の「記憶」の不可解さなのです。
もはや、認めたくない辛い経験を記憶の奥底に閉じ込めていて、それをカウンセラーがゆっくり溶かし、インナーチャイルドを癒せば、真実の明日へつながると言う「構図」では語れなくなったということです。

記憶は、過去の事実が後に「再生」されるというものではありません。。
むしろ「再構成」と「創造」の産物なのです。

生活・照片雑文★★ /島尾伸三 みすず書房

(97年7月感想文)

独り遊びの楽しみを予感して、数ヵ月前に購入していた本です。
読み始めるのが惜しくて、時々手に取りぱらぱらと写真だけを眺めていました。

そして家族が寝静まったある夜、ゆっくりとページをめくり始めたんです。
ぼんやりとしかもどこか捩れたその世界は、死の香りを漂わせながら心の底で座り続ける「私」が、こちらに笑いかけてくるイメージを想起させます。
強烈な“生”の中で息をしていた幼き頃、そんな自分が本当に見ていたものは、息づいているモノ達のほんの少し向こうにある「死の表層の蠢き」だったのです。

慎ましく肩を寄せ合い、子どもの笑いと小さな出来事に心震わせる家族が、あまりに素裸のまま写し出されていて切なささえ覚えてしまいます。
写真の醸し出す世界の柔らかさと、題の揺らめきと短文の幻想性が溶け合うことを求めあい、しかもかなわぬ悲哀を美しく奏でています。

著者は、僕が最も敬愛する作家、島尾敏雄の長男です。

文藝春秋1997年8月号

「2千人の『アンダーグランド』」 /村上春樹

『アンダーグランド』を読んだ人は、是非これを読んでみて下さい。
あの本は、あの本で閉じているのではなく、無数の物語が互いに絡み合うと同時に匿名の一瞬で繋がっている「現実」への黙示録だったのです。
この文藝春秋から読んだ人は、これを入口にそれこそ“アンダ−グランド〝に降りて行って下さい。