影との戦い ゲド戦記Ⅰ/U・K・ル=グウィン 清水真砂子訳 岩波書店
こわれた腕環 ゲド戦記Ⅱ/U・K・ル=グウィン 清水真砂子訳 岩波書店
さいはての島へ ゲド戦記Ⅲ/U・K・ル=グウィン 清水真砂子訳 岩波書店
帰還 ゲド戦記 最後の書/U・K・ル=グウィン 清水真砂子訳 岩波書店
アースシーの風 ゲド戦記Ⅴ/U・K・ル=グウィン 清水真砂子訳 岩波書店

書物とは本当に不思議なもので、その時を知っているかのように自然と寄り添い、扉を開けて待っていてくれます。

4月と5月、私はこの本との出会いに身を沈めていました。

今の私は、彼・彼女らと旅する事が「必要」だったのだと、心の底からそう思っています。

皆さんにもいつの日か、アースシーの風が吹かんことを!

『写真時代』の時代!/飯沢耕太郎編著 白水社

友人の部屋を訪れるのが好きでした。

そこには、いつも未知の世界が広がっていて、訪れる度に自分の世界の狭さを痛感していました。
聴いたこともないような音楽、教科書なんかには載っていないカタカナの作家、眼をひきつけるHな雑誌、何気なく壁に貼ってある奇妙な抽象画、引き出しから出てくるナイフや皮細工、どれもこれも「世界って乱雑」だし私が知らない「イカガワシイ断片」がまだまだいっぱいあるのだよって、教えてくれたのです。
学校で交わす時とは違う色艶をもった言葉が、彼の口から吐き出される事にも驚かされたし、目が輝き頬が紅潮してくる彼の顔は、別人のようにも思いました。
色々な友人から多数の新しい世界を開示してもらい、むさぼるように吸収しては、自分なりに整理決着つけていったのが、学生時代だったようです。

『写真時代』も、そんな友人の部屋で出会いました。
同時期に出ていた『写楽』は、多くの友人の部屋で見かけましたが、『写真時代』は彼の部屋だけだったのです。

お酒が進み興が立ち、いつしか写真について話が及んでいた時です。
彼はついと本棚に向かい、なにげなく『写真時代』を差し出して「三原に貸してやるよ。」と言った後、その話題はフツリと途切れてしまったのです。
自分の知っている知識を振り撒き、いよいよ佳境に入ってきたと思っていた私は、こんなエロ本を渡されただけで議論が遮断されてしまったことに、憮然としたものでした。
しかし、ずっしりと重いその雑誌群は、その後数日間私を部屋に監禁する事になったのです。

荒木経惟、永井昭(編集長・03・3月徳さんの感想文「たまもの」参照)森山大道、倉田精二、北島敬三、広瀬一美、東松照明、内藤正敏、深瀬昌久、木村恒久、石川真生、川田喜久治、関谷幸三、高杉弾、山内道雄、石川洋司、福田文昭、浜田蜂朗、赤瀬川原平、南伸坊、渡辺和博、上野昴志、橋本治、長谷川明、平岡正明、亀和田武、石井隆、矢追純一、日下部亮、上杉精文etc・・・

特に荒木経惟の『東京日記』は、密かに永井荷風の『断腸亭日乗』の対極をゆく傑作だと思っているし、森山大道の陰影は観るのが苦しくて堪らなかったのを覚えています。
その他の理解不能の刺激の山は、私にとって後の新しい扉を開く鍵束となった「記念碑的雑誌」です。

『写真時代』は、見事に「乱雑で」「イカガワシイ断片」そのものだったのです。
(97年5月感想文)

「台湾ー人間・歴史・心性ー」/戴國フェイ 岩波新書
「もっと知りたい台湾」/戴國フェイ編 弘文堂

6月(97年)の旅行の為、台湾関係の本・資料を図書館から借りて片っ端から読みました。

告白します。
私は全く(!)台湾の事を知りませんでした。
旅の下調べぐらいに思っていましたが、とんでもありません。
私が知っていると思っていたことなんて、教科書の写真の下に数行書いてある程度の知識でしかなかったのです。

台湾の先住少数民族、本省人、外省人、言語、歴史、政治、経済、2・28事件等など、それこそ表面的な字句の意味すら何も分かっていませんでした。
憲法上の首都は、大陸の南京なんです。
全く知らなかったし、その意味することにも考えが及びませんでした。
後書の方は、民族・文化・経済等が内容深く、単に台湾という限られた視点から抜け出ていて、考えさせられることも多かったです。
世界国別年鑑データーなどをじっくりと見たのも久しぶりで、中学・高校の時とは違って自分の視点で数字を読み解いてみると、違う意味で他国を身近に感じることが出来ました。

理念で言えば、そうやって得た情報をスッパリと全部捨てて、身体の全受容器官で"台湾"を感じてきたいと思っています。
(97年5月感想文の余白を埋めている、独り言)
情報が多量にあるということは、それらの情報を選択する根拠が限りなく希薄になるということである。
同じ情報を選択した同志も、流行や偶然、気分等に大きく支配されており、「自分」が選んだという確信が持ちえないのです。