宮崎勤精神鑑定書/瀧野隆浩 講談社

事件というものを、どう捉えるかは、様々な意見があると思います。

特別な人物が、特殊な行為におよんで起こしたもの。
その様な人物を生む「時代的」背景があり、ある意味では必然でさえある、起こるべくしておこった事件。
マスコミや世論が欲望を満たすためにあおりたて、脚色し、皆で造りあげるもの。
等々あるでしょう。

この事件について、当時かなりの情報があり、それについてのコメントを読んだり考えたりしていました。
しかし、全て的「ハズレ」でした!
この鑑定書から漏れ出てくる世界は、今現在、僕らが生きている世界の暗部そのものです。
そして、「その世界」に生きていることを、これでもか、これでもかと突きつけてきます。

できれば見たくないし、知らずにいられたらそれにこしたことはないと、「無意識に避けていたその深淵」は、もう無視することが不可能な程、身近に忍び寄って、ニヤリと薄笑いを浮かべています。

正直なところ、この本を読んで一週間まともに本を読むことが出来ませんでした。
(1997年3月感想文より)

物語の国境は越えられるか/野崎六助 解放出版社

この本は、大まかに言って3部構成になっています。
「戦後文学論」「アメリカ文化論」「在日朝鮮人文学論」の3つです。

戦後文学論では、作者はけっこう力が入っているのが分かります。
ただ、「古き良き時代」を懐かしんでいる雰囲気が浮き上がってきてしまっている気がします。

アメリカ文化論の方は、随分とキツイ言い方をしています。
映画や文学などを論じながらも、アメリカに対して直接的な論調で、そうでもしないと「届かない」もどかしさを著者が感じているのでしょうが、損をしている気がします。

最後の章は「恨み」にも似た情念を感じました。

通読してみて、著者の気持ちが先に立ち上がっている分、こちらが自然と引いてしまい、なんかな〜という印象を抱いてしまいます。
しかしよく考えてみますと、これら著者の「立ち居」をそれぞれのテーマに対する
「作者の姿勢」として読んでしまっているのですが、本当のところは、「私の」「それら問題との距離」を表しているようにも思えます。

特に在日の問題は、

その文体じゃダメやろ!
一人一人の深層は、もはや違うはずだし、問題の重心は、違うところに移行してし
まっているのだ!

でも・・・・・・俺って、知らないことが多いな・・・・
ダメだな・・・・チクショー!!!

なるほど、こりや、「恨みつらみ」だわな。
(2007年10月)