イスラム金融入門/吉田悦章 東洋経済新報社
拡大するイスラーム金融/糖谷英輝 蒼天社出版
神の法VS人の法 スカーフ論争からみる西欧とイスラームの断層/内藤正典、阪口正二郎・編 日本評論社

「イスラーム」の言葉や映像が流れない日はないのに、一向に「実態感」が湧いてきません。
スカーフを巻いた女性とすれ違うこともあるし、かつて行ったインドネシアで聞いたコーランの「独特な間」を持った声も、心に深く残っているのに。

この感想文欄でも、1999年6月にイスラーム教を中心に書いたし、2003年1月には中東の歴史とアラブ思想を書きました。
そして、今回はイスラーム金融システムや経済からの接触を試みてみましたが・・・・・まだまだ先は長そうです。

「知る」ことで、「恐れ」は軽減されるはずだと思っています。
まずは、自分の中の無明の「恐れ」へ、手を伸ばすところから始めようと・・・
(素人理解なので、間違い、批判は遠慮なくお教え下さい。)

イスラーム銀行は、「利子」をつけないし、「利子」を取らないシステムであることは有名です。

「利子」が付かないのに、お金預ける?
銀行がお金を企業に貸して、「利子」をつけて返してもらって利益が生まれるのに、「利子」が付かなかったら儲からないじゃん?

イスラーム金融とは、「イスラームの教義に適した」金融と言われ、「イスラームの教義に適した」とは、『コーラン』に書かれている世界理念全般をさしています。
イスラーム世界の一つの特徴は、この『コーラン』が「神の言葉そのもの」であるので、人間側からの翻訳、改変などは不可能な、絶対的「聖域」と考えていることで
す。
そして、その外側にムハンマドの言行を記した『ハディース』や法規、慣行の体系があり、それがムスリムの人達の生活全て(!)を規定しています。
(よって政教分離の理念はありません。『神の法VS人の法』のスカーフ論争
は、この世界認識の違いについて多角的に論じています。)

この形態が「大基本」なのですが、その『コーラン』の「解釈や宗派、判断」によって、イスラーム諸国は、同じイスラーム理念を掲げた国とは思えないほどの、千差万別の国状と経済システムを持つこととなっています。

今回、各国の経済システムを見てみたのですが、国によって、銀行取引のシステムが違ったり、比率が逆転していたり、中東と東南アジアで全く違う取引方法があったりで驚いてしまいました。
(もちろん資本主義社会経済も国によってシステムが違いますが、イスラーム国の経済システムは、各国で根本的な取引システム自体を『コーラン』解釈から取捨選択したり、紡ぎ出したりしているのです。)

しかし、いずれにしても「イスラーム教義に適して」いることが絶対条件で、イス
ラームの生活を基本的に規定する「シャリーア」に適しているかどうかが、金融システムの枠組みを決定しています。

この「シャリーア」が、イスラーム金融の限界でもあるのですが、新しく解釈・認定することによって、非イスラーム国やグローバル経済と関わり、新しい経済システムの一翼になる可能性もあるのです。
現実的にも、ムスリムの人口増加、オイルマネー、中東・東南アジアなどの経済成長率や、インフラ整備が進み、投資先としての急成長が上げられ、イスラーム金融の動向は、特に注目を浴びています。

でも「利子」ダメって、なぜ?

「利子」(リバー)を取ってはダメだと、『コーラン』に書かれてあるのです。
神がおっしゃっているから、ダメと言えばダメなのです。
理由なんてありません。

でも、でも・・・愚かな人間の一説では、中東の砂漠の経済は、物質的にとても厳しい経済ゆえに、人々は、貨幣や物を抱え込みがちになってしまいます。
利子なんてあったら、貯蓄傾向がさらに大きくなって、マルクスのいう交換価値もなんもあったものでなく、経済が停滞、破綻してしまうのです。
そこで、預けるだけで利潤が生まれる利子を認めず、交換、流動させることによっての経済活動を、活性、推奨したのでなないかと・・・
さすが、神の考えることは、深いっすね。

では、利子を取らない金融システムって?

主なシステムは4つあります。

1.ムラーバハ

高橋さんが、夢屋の「スラムダンク全31巻」5000円を買いたいと思ったのですが、お金が足りず買えません。
そこで、銀行に頼んで、高橋さんの代わりに5000円で銀行に買ってもらいます。銀行は、「スラムダンク」を高橋さんに渡し、一ヵ月後に5500円をもらうので
す。(分割払いも可能です)

一見、単なる転売じゃないかと思うのですが、重要なことは、高橋さんと夢屋の間で購買契約が初めに行われ、両者の合意の下に、銀行にムラーババ形態の取引きをお願いし、銀行が上乗せした利潤(マーク・アップと呼ばれます)も同意した上で、後日の支払い契約することです。

イスラーム金融の資金運用手段の7割ちかくが、このムラーバハです。

2.イジャーラ

富増さんは、病のため背中がとても痒くなります。
痒いところに手が届かないし、力も入らないので、なにか良い案は無いかと夢屋に相談したのです。
そこで、「昔の洗濯板のようなものを作って、柱に取り付け、バリバリと掻いたらどうでしょうか?
ただ、オーダーメイドだし、材料費や制作費がかかってしまうので、1万円になってしまいますけど?
背に腹は代えられないのでは、おまへんか?」(夢屋は、富増さんの足元をみる悪徳業者か!)

確かに背中の痒さを、腹の痒みに転化出来ないので、富増さんは、銀行にイジャーラでの取引をお願いしたのです。
銀行は、すぐさま夢屋に1万円を払い、「掻痒快感号」を作ってもらい、出来上がるとすぐさま富増さんに渡して、富増さんは、月々500円のリース料を銀行に払うことになりました。
(リース期間終了後に所有権が富増さんに移転する契約は、「イジャーラ・ワ・イ・クティーナ」と呼ばれます)

これは、リースとほぼ同じと考えて良いと思います。
ムラーバハは、短期資金調達に利用し、イジャーラは、長期の資金調達というのが、一般的のようです。

しばらくすると、富増さんから夢屋に連絡があり、
「「掻痒快楽号」の垂木で作った三角山が擦れて丸くなり、バリバリしても痒みが取れなくなったぞ!どうするんだ?」
結局、アフター・ケアとして、夢屋は出張奉公で、富増さんの背中を手で掻くことになったとさ。

3.ムダーラバ

夢屋は、いつまでも続く金欠状態から抜け出るために、思い切って銀行にお金を預
け、そのお金を事業投資して、その事業成功の利潤を配当金としてもらい、左ウチワを期待したのでありました。
聞けば、中村という者がペットブームに乗って、犬の散歩屋を始めたいというので
す。
これは良いかもしれないと、銀行になけなしのお金10万円を預け、彼のプロジェクトに賭けたのであります。

しかし、ムダーラバは、配当を事前に決めることはできません。(「利子」と見なされるのです。)
事前に決めるのは、利潤の分配率(!)なのです。
預けたら付いてくる固定の「利子」ではなく、大当たりしたら、がっぽりの配当金!
そして犬の散歩屋「タロ・ジロ」が、始動し始めたのです。
ところが、この「タロウ」「ジロウ」が、大食漢の上、大排泄漢の大変な犬でした。散歩させたら道に落ちているものは何でも食べ、あちこちで排泄の山を作り、食べたものが身体に悪かったのか、皮膚病になって毛が抜け始め、走ると抜け毛が彗星の
尾っぽのように風に舞うのです。
まだら毛の生き物を見て、子ども達は怖がり、抜け毛の吹き溜まりに近所の苦情があとを絶ちません。

夢屋は、「タロウ」「ジロウ」の散歩契約を解除して、品のいい「シオン」の散歩契約に代えなさいと中村に言いたいのですが、ムダーラバは、事業経営管理に一切干渉できないのです。

結局、お詫びの品やら排便袋やらの経費がかさみ、犬の散歩屋は、赤字損失を出して潰れてしまいました。

こうなったら、配当も何もあったものではなりません。
夢屋も損失を負担して(これも比率になります。今回3万円)さらに金欠が厳しく
なったのです。

一般的な金銭信託や投資ファンドが、このムダーラバと考えられます。

4.ムシャーラカ

前回の犬の散歩屋で懲りた夢屋は、自分だけの出資ではなく銀行にも参加してもらうことにしました。
残った7万円と、銀行側には3万円を出資してもらい、古本の障害者作業所を立ち上げたのです。
ムシャーラカは、合弁プロジェクトですので、夢屋自身も運営に口出す事が出来ま
す。
また、苦手な経理部門には、銀行にも参画してもらうことにしました。

これもムダーラバ同様に、事前に決められるのは利潤の分配率(!)になります。
もちろん損失した場合は、決められた比率に応じて負担しなくてはなりません。
しかし、ムダーラバのような犬の散歩屋の短期事業ではなく、ムシャーラカは、長期事業を見込んでの船出なのです。

なんとか、がんばらんば!がんばれ、夢屋作業所よ!


とても長くなってしまいましたが、これらのシステムが主な形です。

が、先に話したように、様々なバリエーションがあり、マレーシアでは大丈夫だけ
ど、バーレーンではダメという銀行があったりで、イスラーム金融の今後の問題でもあります。
しかし、大掛かりな近代イスラーム金融システムが出来てきたのは、たかだかここ30年ほど(1975年ドバイ・イスラム銀行設立)なのです。(なんと!)
よって、生まれたばかりのイスラーム金融は、急成長しているイスラーム世界の現状を踏まえ、巨大な赤ん坊になる可能性があるのです。

イスラーム国家、ムスリム人口は、物凄い勢いで膨らみつつあります。
経済においても、政治においても、現代社会においても、彼らを視野に入れていない考察は、全て無効なぐらい重要な要素だし、今後さらに意味を増してゆくのは間違いないと思っています。

非イスラーム国家の経済理念に属している我々経済も、資源輸入先であるだけでな
く、資本投資先として、商品輸出先、相互プロジェクトの相方として、生産現場の主工場先として、間違いなくイスラーム国家への進出と提携への道を歩むしかありません。

ムスリムの人達が、同じような投資ファンドやリースなら、イスラーム金融を利用したいと考えるのは自然ですし、国家事業や大型プロジェクトで、イスラーム側の相方が、イスラーム金融を指定してきたり、条件化したり、「ムラーバハ」「イジャー
ラ」「ムダーラバ」「ムシャーラカ」などの取引だけではなく「シャリーア」の解釈を必要とする新取引形態の多様性が進むのも不可避な気がします。

イスラーム金融側としても、今後は世界経済を睨んだ改革や対応が必要となってくると思います。
各国間で解釈が違うシステムや政治観の問題、「シャリーア」判断の質の維持、非イスラーム諸国との経済理念のすり合わせなど、緊急課題は山積しています。
また、世界経済のスピードと欲望が、イスラーム世界の経済理念を脅かしつつあるようにも思います。

正直に言いますと、今回イスラーム金融を調べてみる前までは、世界を席巻しているグローバル経済理念と違った、新しい経済形態が生まれる機会になるのかと期待していたのです。
利子を認めず、富める者が貧者に経済的、社会福祉的支援をすることを定めている喜捨(ザカート、サダカ)を教理に持つイスラーム経済は、現在の資本主義経済世界に対して、「反または非」資本主義経済理念の体現としての可能性を持っているのではないかと・・・・

「人の法」で成り立つ世界で生きている我々の通念では、「神の法」で生きる人々の世界を想像するのは、とても難しいです。
しかし、どんな形になるか分かりませんが、共に生きてゆく世界でなければならないことだけは、確かだと思います。
そして、その橋渡しが「金の法」だけでは、あまりにも哀しいすぎます。

毎朝出会うスカーフを巻いている女の人は、いつも子ども達を自転車の乗せて、保育所に連れて行っているようです。
彼女は、はにかみながら会釈し、子ども達は、笑顔で手を振ってくれます。

私が、イスラーム銀行にお金を預ける(出資する)日は、すぐそこです。
(2007年11月)