性を問う3共同態 性を問う4表現/専修大学出版社

この本のシリーズは、1冊の中に5〜6つの論文が収められていて、それぞれが、最新かつ多角的に性の問題に取り組んでいます。感想といっても、1つ1つの感想を書くわけにもいかないので、掲載されている論文名を書き出してみます。

3共同態

o生物における配偶システム
oサルの性から、人間の結婚へ
oヒトにおける精子間競争
o愛せよ、産めよ、より高き種族のためにー一夫一婦制と人種改良の政治学
o神前結婚式の倫理学ー「性と宗教」の現在

4表現

o生物における性的シグナルと人間における性表現
o私たちがペニスについて知っている2、3の事柄
o性、からだ、表現ー新しい意味へのフェミニスト的展望
o表現の慣用に沈澱した性
oメディアと「性」ー「身体」の消失

この題名をみても分かるように、「性」を「現在」の問題にひきつけて考えていて、好奇心がくすぐられるだけでなく、大変勉強になりました。
そこで、その中の一つ「ヒトにおける精子間競争」を、驚きをもってまとめてみます。この論文は、R・ロビン・ベーカー/マーク・A・ベリスによって1993年に英国で発表されたものです。

本論文のデータ

1.性交または、マスターベイション時に、コンドームに集められた全精液に含まれていた精子の数の計測
2.「フローバック」(性交後に女性の膣から放出される精液、精子、女性からの分泌物、組織の一部などからなる混合物)の中に含まれていた精子の数の計測
3.フローバックの量に関する主観的査定
4.女性の性行動に関する全英調査
3679人の女性2744回のペア内交尾126回のペア外交尾
76回の二重交尾(5日以内の別男性との性交)
35組のカップル323回のペア内交尾67回のマスターベイション

このデータ数と、テーマを見ただけでオーと思ってしまいますが、その結論がまた凄い。簡単にまとめます。

精子量の調整

o放出される精子の数は、前回ペア間交尾からの経過時間とともに増加する。これは男性が、前回の性交以来死んでしまったと思われる精子の数を補い、ある特定のレベルに精子を保つように、パートナーに、「上乗せ」して精子を放出していると考えられる。
o身体のサイズ・体重の大きい女性に対しては、男性は精子をより多く放出する。
o男性は、パートナーの女性とともに過ごした時間が少ないほど、より多くの精子を放出する。(一緒に居ない時彼女は、他の男と…。だっ、誰だ、相手は〜。)
oマスターベイションは、前回性交から72時間を超えると確率が高くなる。女性生殖管の中で有利な位置を占めることが出来ない精子を捨てる。

女性のオーガズムのパターンと、その影響

oオーガズムは、精子「吸い込みメカニズム」であると同時に、抗病原効果である。
o男性の射精後約1分後にオーガズムがある場合が、最も精子の保持率が高い。◇性交外オーガズム(睡眠中等)は、子宮頚部粘液のPHを下げ酸性化する。[抗病原・殺菌効果」
o女性は、異なるオーガズムのパターンを利用して精子の数を操作する。

o精子間競争がある状況で、男性が妊娠させる確率は、精子の数を増やすことによって上昇するが、競争がない状況では、精子の数を最適値まで下げたほうがよい。
o一夫一婦制での女性の戦略としては、オーガズム等を使って精子の保持を低く保つ。(精子の最適値は、思っているほど多くないのだ。)
o一妻多夫制では、隠れたオーガズムの頻度をかえることにより、パートナーの精子の保持率を下げ、次の性交がペア外交尾であるときは、精子の保持率の高いオーガズムを得る。

これってやっぱ、不倫は「燃える」ってこと?

これが脳低体温療法だ/NHK林勝彦&人体プロジェクト

現在、文藝春秋の柳田邦男の「脳治療革命」を別にすれば、脳低体温療法を知る最も良い入門書です。
数年前に、柳田氏の「犠牲」のなかに数行出ていたこの療法を目にした時から、ずっと気になっていました。特に気になった点が2点、蘇生限界点の移動と、脳のシステムの解明です。
社会的・共同幻想における死を別にすると、生物の死は段階化する死です。つまり、だんだんと死んでゆくのです。そして、その過程の中には、明確に死を指し示す地点は無いのです。ただ、現在の医学力をもって死の行進を食い止めることが出来なくなる不可逆な地点はあります。これを一般にポイント・オブ・ノーリターン(蘇生限界点)といいます。治療をやめる時点です。えっ、それって僕らの死は、単に技術的な地点?
昔は死んでいたけれど、医学の進歩によって今は十分に「生」の領域にいるって事です。死は、絶対ではないのです。正確に言いましょう。具現としての死は絶対ですが、死の概念と死の領域は、可変です。
蘇生限界点としての三途の川は、いまは干上がり、歩いて戻って帰る事が出来るのです。懐かしいお爺ちゃんの誘う声も、人工呼吸器の電子音にかき消されてしまいました。脳低体温療法は、この蘇生限界点をずらす事を可能にしたのです。こりゃあ、やっぱ凄いことだよ!
国会では、慌てて脳死法案(臓器移植法案)を通してしまいました。この療法が一般化すれば、(早晩そうなると思いますが)ただでも新鮮な死体が少ないのに、臓器移植療法自体を断念しなければならない大問題なのです。欧米では、その限界に早くも気付いて、人口臓器・他動物臓器による変換を進行させています。(クローン羊は、この研究の一環でもあります。)
この療法に惹かれるわけが、もう1つあります。脳のメカニズムです。なぜ脳を強打した後に脳は、膨張するのか?血管れん縮はなぜ起こるのか?脳死はどんな進行をするのか?神経細胞の相互影響は?など、脳の基礎医学への画期的な仮説を提出したといえるでしょう。
この療法は、全ての人の死にかかわる療法です。林医師の近くに住んでいる人は、後遺症もなく生還し生活できるのに、長崎に住む僕は、あっけなく脳死にされて、「三原のことだから、臓器提供OKだよな。」と、バラバラの臓器にされるのは嫌です。
死が何人にも平等に訪れるのと同様に、生死の境界をめぐる医療の攻防も、万人に同時点で行なってほしい。
以前の蘇生限界点は、もはや限界点ではありません。一刻も早く、日本中何処ででもこの療法が受けられることを、切に望みます。

[追伸]
脳低体温療法の後に、英国又は北欧レベルでの脳死判断の結果、脳死と判断したら、臓器移植を望む人々の為に、全ての臓器を使ってください。ただし医学の進歩によって、この遺言は優柔不断化します。

インディヴィジュアル・プロジェクション/阿部和重新潮社

僕らは、膨大な情報量の海に浸されているとよく言われる。確かにテレビを点けると、多数のチャンネルがあって、テレビ画面が細分化されるのを見る。なるほどこの瞬間にも多くの情報が、間断なく流れているのだなと気付くこともできる。
しかし、そうであっても、テレビを消してしまえば、濃緑なのっぺりとしたスクリーンは沈黙するし、こどもの喧騒がなければ、樋を滴る雨音がリズムを刻んでいる自然というノイズも確認できます。
多量の情報が溢れているとは、どういうことなんだろう。

はっきり言って、この本はなかなか上物です。
作者の作品は、新人賞をとった「アメリカの夜」を読んだ以来ですが、その時は、才気張っていて面白く感じませんでした。が、良いですよ、この本は。情報の多少は、流れている量というよりも、感受している僕ら自身の問題なのです。そんなことを深く考えさせられた一書です。

TOKYOSTYLE/都築響一京都書院

僕らは意識的にも、無意識的にも、自分の生きていく道具を選んでいる。そんなこと当たり前じゃん。そうなんです。その究極の空間が、「私の部屋」なんですね。
他人の部屋を垣間見ることは、ちょっとどこか覗き見趣味を感じて、興奮もしますが、何を覗いているかと言うと、人物の立ち振る舞いと言うよりも、モノの折り重なっている色彩や形状なのではないでしょうか。
たった三畳の三次元が、意外と広がりがあったり、トイレってこんな形のモノで覆われていたっけ、なんて思ったりもします。それって何なんでしょう。モノがあることや、モノが見えないこと、モノが反射していること、モノが崩れていること、モノが闘っていること、モノが朽ちていること、皆立ち止まっていません。そんな世界は、きっと見る人それぞれが解釈し、楽しむことが出来るのでしょう。
写真集を僕が見て、光太郎が笑い、桃子が踏んずけていました。なかなか面白い本です。