僕の大好きなシリーズの1つである、「とんぼの本シリーズ」です。
なんといっても、このシリーズ本の写真がきれいです。
厳選に厳選を重ねたことが、推し量れるそのレベルの高さと構成は、他に類をみません。特に僕が気に入っているのが、写真や図絵と文章のページ割りふりなんです。大概ビジュアルが多用されると、左ページに写真で右ページが文か、上方写真に下方文章の2パターンがほとんどです。
これには常日頃不満に思っていたのです。これだけ多種の出版社と有能な文人が集まって活動している出版物が、ワンパターンに落ち入ってしまっているのでは、価値の多様化だの想像力の欠如だなんて、小賢しく文面を踊っている言葉自体怪しいってもんだぜ。(おっと、いけない。文句を考えはじめると、つい調子に乗って品位を忘れてしまう。徳さんは、良い所を探して褒める上品さを売りにしようと思っていたんだっけ。何気ない優しい言葉使いと、分かり易い文章を書くことを心掛けておけば、自然と読んだ人に好感を与えるんじゃないかと戦略をたてたじゃないか。気を付けよう、気をつけよう・・・)
このとんぼシリーズはどちらかと言うと、ビジュアル側に主役があって、文章は写真や図絵の邪魔にならない様に、ツマの如く添えてあります。しかもツマはツマでも、鮮度を保った細身でありながら歯ごたえのある好文章です。
美しい仏像の曲線が、ささくれだった心を静めてくれます。
どうもこの頃世界の雰囲気が、直線になってきたようで、心の座り心地が良くありません。確かに、速くて無駄が無いようだけど、なにか何処かに置き忘れてきているような気がします。
それが美しいものなのか、大事なものなのか僕は知りません。本当のところは、上手に生きられない理由を、何かを忘れたのだとか、もっと大切なものとか言って、自己弁護しているだけなのかもしれません。
それを声高に言い連ね、崇める程能天気にはならないぞと、傲慢に開き直っていますが、仏像の半眼に晒されると、自然に頭が下がってしまいます。
「満員電車の中で、自分の赤ん坊をだっこしている人がいたとします。もうほおずりしたいほどかわいいのですが、他に乗客がいるので、素知らぬ顔をして抱いています。ところが、もし電車が急停車しても、絶対その子を落とさないという抱き方をしているのです。例えば、足の踏んばり、肘のかまえ、指先の形、すべてにその子をかわいいという一心の姿があります。これが慈悲の形になるのです。」
もしこのような考え方を置き忘れてきてしまっているなら、やっぱり取りに戻らなくちゃ。
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