「日本住血吸虫症」
名前は聞いたことがありましたが、つい最近まで現存していて、しかもこの様に恐ろしい寄生虫病だとは、露ほども知りませんでした。
風土病として、人間と寄生虫は長年共生してきました。しかし、人間側からその死を回避しようと考え始めた時、両者の闘いの幕が上がったのです。本書は、その闘争記です。
それにしても、医は仁術だと心得ている医者は本当に偉いもんです。経口感染だとする一般常識に疑問を抱いた松浦有志太郎は、感染病であり死病だと知りつつ、自らの身体で反論を試みてゆきます。
患者が頻発する片山付近の水田に、農家と同じように裸足で入り、感染を誘い始めます。無事(!!)感染すると、感染源が存在することを確認した水田で彼がした実験は、自分の右足を蚊帳で覆い、左足は木綿で包み、又も水田に足を浸すのです。すると赤みを帯びたかぶれは、目の大きな蚊帳で覆われた右足でだけ観られたため、ヒルや化学物質反応による結果を否定してみせるのです。
実験材料として、我が身を考えているとしか思えません。死病ですよ。今で言うところのエイズにわざわざ感染させますか、普通「ナニ考えてんのや!」というのが妥当な反応ですよ。
本書のもう1つの眼目は、実験の条件変化が結果の相違を生んでいくという観察常識を、実例をもって教えてくれることです。
寄生虫をめぐる様々な実験観察が、きまって正しい方向に向かっているとは限りませんでした。複雑な関係性で成り立つ自然界を単純化する実験は、ほとんど視界の効かない霧の中でピンボケの拡大写真を見て、動物の足裏の肉球を識別する様なもんです。人類は、それこそ死を賭して少しずつ積み上げてきたんです。
条件が変わると言えば、戦後日本の予防衛生がGHQに変わると、アメリカの研究者は、廃車となった機関車の内部を研究所と病院に変えて、全国の鉄道を使って移動し(この合理性は、成程と膝を叩いてしまいます)治療し始めました。しかも治療費も取らずにです。すこし前までは鬼畜米英と憎んでいた国民も、病を治すこの列車(アメリカ)を受け入れてゆくのです。
実はこのことは、宗教が起こる基本要素と通じるところがあります。初期宗教期には、民衆の病や、死生との関係が必要なのです。かつて教組は、必ず病を治してきました。これはブッダが四苦として取り上げた、その一つを解放することにつながります。キリストだって、歩けない人を歩けるようにしたし、目も見える様にしたじゃないですか。大黒様だってイナバの白兎を治してあげたでしょう。GHQも「病院列車」で、傷ついた日本人を治療し始めたんですよ。
おかげで日本中、アメリカ教に改宗しました。
この寄生虫病の恐ろしいところは、全身を流れて肝臓や門脈、又は脳に入って栄養を吸い取ってしまうことです。よって全身の発育が悪くなります。幼い時からの感染では、その地区の人間の平均体躯が随分と低く、徴兵検査においては、ほとんどが不合格となるのです。
久留米の吸虫症の多発地には、お宮があって、宝満宮様が戦争にいかないよう守って下さっている、という信仰まで生まれました。その宝満様が寄生虫であることが分かった時の地元の驚きは、如何ばかりのものだったででしょう。
この様な人間の所業を見ていると、やっぱり人間ってすごいなと思わざるを得ません。解明しようとする人間や、それに取り組む人間の想像力、そして共生するが故に、神として同じ世界に生きようとする人々、なにかそこには豊かさを感じてしまいます。
中間宿主であるミヤイリガイをほぼ鎮圧したと思ったその時、たった一回の集中豪雨と水害でミヤイリガイの大繁殖が起こり、元のモクアミにしてしまう自然もやっぱり凄いよな。
今月、友人がこの調査のために中国に行きます。今も「日本住血吸虫症」との戦いは、継続中なんです。
感想文に対する友人からの返事が届き、返信してみました。
《Aさんより》
徳サンと較べると、私はずい分と功利的な本の読み方をしているように思います。楽しんでいるというより、ルサンチンマンに支えられてそれをはらすような・・・まあそれだけではないのでしょうが。(読む本の幅の狭さにそれが出てるようにも思えます。)
最近読んだ本のタイトルだけあげておきます。
・声の祝祭日本近代詩と戦争/坪井秀人
・言葉と意味を考える1隠喩とイメージ/赤羽研三
・詩的レトリック入門/北川透
(山本陽子の詩にはまた泣いてしまいました。)
只今読みかけの本
・読むということテクストと読書の理論から/和田敦彦
・言葉と意味を考える2詩とレトリック/赤羽研三
自分が〈物語〉と縁がうすい人間であるらしいことを、生かせる方法をみつけんといかんなあ。
差異線を〈引く〉ことが、ナニかをみえるようにするし、また死角を同時につくる例として。
昭和47か48年かに東京のアパートの一室で、食べられることなくしまったインスタントラーメンを散乱させたまま、餓死した美容師見習い照屋幸子さん。餓死自殺と私が思い込んでいる昭和17年の尾形亀之助。シモーヌ・ヴェーユ?個別の事情を捨象して、私はたいへんこのましい死に方だと思っている。
虚無感とか諦念とかでなく、非意味・非価値の一瞬の顕在化。私も、餓死で死ねたらいいなと思っている。ダレもナニも抗議はしないで、逝けるような餓死がいい。
《徳さん》
早速の返信ありがとうございます。
どうもこのごろ、Aさんが読んでいる本の類が、読めなくなってしまっています。その原因の第一は、自分の中での言葉に対する疑念が非常に大きくなってしまっていて、言葉や単語に向き合うことが出来なくなっているのです。
時々、昔読んだ詩などを読み返す時があるのですが、現在としての読みが全然出来なくて、その当時の自分であったり、そうそうこのフレーズだとか、この単語にシビレたよな、なんて、ノスタルジーとしての詩読みになってしまって、しまいにはイヤになってしまいます。もう自分の中では、詩を豊かにふくらます感性や、力量が無くなったのではないかと焦ってもみますが、その意味では仕方がありませんね。
ただ、この頃少し考えるのは、詩として成り立たせる言葉の地盤が、もはや無いのではないか、ということなんです。かつての「ポエム」という言葉の機能が発動する場は、無くなったのでは?共有できる言語の隠喩はあるのか。世界のタネ明かしとして言語が姿を現わした時、言葉の骨格が解体し、言語の終焉が訪れているのではないか、などとぼんやりと考えてもいます。
だからか、ただ無責任に言語のタレ流しができて、このホームページが書けるような気もします。
何かAさんの思うところあれば、教えて下さい。
後半の部分、よく分かります。ただ自分の場合、具体的な死の選択を想像しても、どうしても理念の影が拭えず、そこで立ち止まってしまいます。
以前、子どものビデオを何本か作った時、自分の中で死の具体化が起きて、愕然とした事がありました。自分の死であっても、他者の死であっても、それはビデオの有限な本数であるのだな。指折り出来る、10本、148本、2964本・・・[n本]という事なんだなと感じてしまいました。
病死だとか、事故死だとか、自死だとか、なにかその方法は、死にとっては2次的な気がします。それに「死としての意味」が生まれるのは、個として考えた場合で「私の〜死」とか「〇〇さんの〜死」とかの時だけです。「意味としての死」があるとすれば、死の形態の理念化の時だけではないでしょうか。もちろん、今もブツブツと愚にもつかないことを考えているのも、単に生の理念化をしているにすぎないのですけど。
柳田邦男の「犠牲サクリファイスわが息子・脳死の11日」を読んだ時に、僕の中で大きく死のイメージの変換が起きました。それまでは、俺の死は俺のみのものだから、そこは出来るだけ潔く、それこそ非意味−非価値でありたいもんだと考えていました。
恥ずかしながらこの本を読んで初めて考えたことは、俺の死は、他者の中での「俺の死の物語」でもあるんだということ、俺が潔く死ぬ為には、家族や他者のなかで、俺の死を潔くしてもらわなければならない。
そうじゃなく失敗すれば「他者の生の物語に俺の死が、不可逆的に影を落としてしまう」ということです。これは俺も望まないが、他者もたまったもんじゃありません。いい迷惑ですよ。我が敵、人道主義者の言葉を借りれば、「生の共有化」があると同義なのかもしれません。
我慢することの苦手な僕は餓死は無理だと思いますが、その後は鳥葬にでもしてもらえればと思っています。
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