ヴァンクリーヴ先生の不思議な科学実験室 /化学編HBJ出版局

ヴァンクリーヴ先生の不思議な科学実験室 /物理編HBJ出版局

まずは実験です。
(1)外から見える透明なビン(わが家ではジャムのビンを使いました)の中に、殻が付いた生卵を入れます。
(2)卵がすっかり被ってしまうぐらいまで、酢を入れビンに蓋をします。
さて、卵はどうなるでしょう?
そう、たったこれだけです。そして、これだけのことから、まったく驚くべき結果が生まれてくるのです。
この本には、この様な簡単な実験群が200以上書かれています。イラスト入りですから分かり易いし、その上身近な道具だけを使っての実験を紹介してくれているので、大変ありがたいです。子供たちにも、大うけでした。
このごろマンネリ生活をしているなと実感しているあなた、是非試してみて下さい。
僕たちの身の回りは、実は驚きに満ちているんです。
実験づいた徳さんの家には、緑色になった10円玉だとか、不思議な装置がごろごろしています。この前の寒波の時は、何処が一番凍るかと、子どもたちが家の周りで水の入った容器を置いて回っていました。次の朝、気が付いてみると隣の車のボンネットの上に金属容器がいっぱい!!

数の悪魔 /エンツェンスベルガー 晶文社

<数>とは、分かっているようで、実はよく分かっていないんです。この<数>とは、むずかしい高等数学のことを言っているわけではありません。僕らが普段使っている0、1、2、3、4、・・・・のことなのですが、この数の中に潜んでいる不思議を、それこそ魔法のように次々と繰り出してくるので、本を閉じることができずに、一気に読んでしまいました。
ほんの数例を紹介します。あなたは解けますか?

1÷3=1/3=0.333333・・・です。
次に、両辺を3倍します。1/3×3=0.333・・・・×3
すると1=0.9999・・・・となってしまいます。
「0.9999・・・・」は限りなく「1」に近い数だけど、「1」ではないはずですよね?じゃあどこで間違えたのでしょう。それとも、1=0.999・・・・なの?

1、2、3、4・・・・と続く自然数があります。その中から、偶数だけを取り出してみましょう。2、4、6、8、・・・・ですね。
するとその自然数と偶数を数えた桃太郎が、大きな声で叫びました。
「あれ?自然数と偶数が同じ数だけあるぞ!」
そんなことあるかな?
偶数+奇数は自然数だから。自然数から半分の偶数を引いたら、残りは半分の奇数が残りますよね。どうして同じ数になるの?半分と全体が同じ数なわけないじゃないか。
しかし、これら偶数、奇数、自然数は同じ数だけあるのです。どうしてでしょうか?

図形でも、おもしろい法則があるんです。
線の両端及び交差を点として数えます。すると、点の数(K)+面の数(F)−線の数(L)=「1」なのです。
これは平面図形の法則で、立体図形では「1」ではなく「2」です。え〜、うそだろう。と思った人は、思いつくまま図を書いて数えてみて下さい。

その他にも、正五角形の謎やら、フィボナッチ数やら1.618033989・・・・という謎の数字やら、つわもの達が綺羅星のごとく出てきます。
なるほど、数字ってはじめからわけ分からない世界なんだよね。僕達が算数が苦手なのは、当たり前じゃん。

書と文字はおもしろい /石川九楊 新潮文庫

数年前に、恒例の家族キャンプ中に山の斜面で転倒し、ろっ骨を3本折ってしまいました。しかも、その一本が肺をやぶって肺気胸をおこして、夜半に緊急の手術となりました。
日頃は仕事に追われ、冗談ながら「病気入院か、刑務所にでも入らないかぎり、ゆっくりと本など読めないな。」と言っていたその状況が、突然訪れたのです。
実際に入院ということになると、人間は本なんかよりも大小の排泄物の問題や食物摂取のほうが、切実な問題となるのは当たり前のことです。愚かにもそんなことに初めて気付き、見舞に来た人たちに医療の問題や福祉のことなどを嬉々と話しては、呆れ返られてしまっていました。
そんな真摯な問題直面も活字中毒者には長続きせず、やれ新聞だの、あの棚にある本だのと大騒ぎです。その後は、周りの迷惑をよそに日頃読みたいと思っていた本をまとめて乱読するという、幸福な日々を過ごさせてもらいました。

石川九楊氏の本は、その入院期間中に読んだ中でも、抜群に心踊らせた書物群でした。
「文字の現在・書の現在」「書の終焉—近代書史論」「書の風景」「書字のススメ」等です。(僕はといえば、そのまま書道の「道具論」に進んでしまいましたが・・)その書論の鮮やかさは「書とは、白黒の美だ」などと考えていた愚か者を、完全に打ちのめしました。
「筆触」「筆蝕」を基にした書と文字論は、全く自分の思考から欠落していました。そんな新鮮な視点と、「文字を書く」という行為を、深く深くみつめる筆者の姿勢には、深い感銘を覚えます。本書は特に、初めて石川氏の本を読む人には、最適だと思います。
文庫本見開きでの短文130編には、必ず関連する書字が載っています。この書字が本当に面白く、全く知らなかった書体に出会えたり、文学の喩形象に驚かされたりします。

以前「世界は言葉である」について書きました。それでは「言葉=文字は、世界である」は、どのような顔を見せるのでしょう。この2つの文章は、全く別な意味を持ちます。実はこの後者の辿り方が、正に石川氏の試みそのままなのです。是非読んでみて下さい。

追伸、これだけ「書」の本を読んでも、徳さんの字は醜いままです。

バースデイ /鈴木光司 角川書店

いままで「リング」「らせん」「ループ」と読み継いできた読者は、「エッ、まだあっとかよ(方言)」と文句を言いながらも、読まずにはおられません。
映画のヒットやホラーブームの助けを借りているとはいえ、この売り上げの異常さは何なのでしょう?作品の中身が、「未知の恐いもの」や、「身近な道具を媒介にした怨念もの」から変質してしまっているのは、読めば分かりますし「ループ」までくると、SF的トリックで、なんだか分かったような分からない様な気分のまま、本を閉ざされてしまいました。
ここまできた読者は、自ずと一つの物語には無数の物語が内包されていて、自分が読んだり理解した話では完結していないことに気付き、座り心地の悪さに次作のページをめくるという、不完地獄に落ち入ったが故なのかもしれません。
今回の「バースデイ」も、その付属する物語の一つにすぎないということは、読者の方が十分に心得ています。ついに完結などと銘打つと、後で恥をかくことになりますよ、出版社の方達!
最後に蛇足を加えておくと、現実の世界もまた、この無数の物語が連なり、絡み合っているものなのです。ホーキングの言う、ベビー・ユニバースの様に!!

カムイの海 /中村征夫 朝日出版社

僕は、大学の時に一年留年して、沖縄の島々を転々としていました。個人的に思う所があっての放浪だったのですが、その時の経験は今の考え方に大きく影響を及ぼしています。
何がどうのこうのと言えば多言を用しますが、肉声として簡単に言えば、人間と海です(お前はクストーか!)
「人が生きる」ということを「考える」のではなく「感じる」経験は、この時に知ったように思えます。男と女、風土と人間、現在と歴史、青と白、音楽と風etc・・・・
いかにも陳腐な言い回しで恐縮ですが、格好つけてもしかたないと開き直れる地平と、イメージを沖縄からもらいました。それに、何と言ってもスキューバ・ダイビングで知った「海の懐」という別世界に出会えたことは、重要な経験でした。これだけは掛け値なく、すばらしいです。美しいです。楽しいですし、驚きです。そして生き物達がいます。

本土に帰ってきてから僕は、海を見るたびに千恵子抄ではないですが「本土に海は無い」と呟いていました。沖縄のガイド本やパンフを見ても、こんなんではないよ、本物はもっと、もっと、もっと、もっ〜と凄いんだよーと毒づいていました。

ある日図書館で、中村さんの写真集「全・東京湾」を偶然に観たんです。その写真集には、僕が感じた海中世界がありました。「これだよ。これ!!」とほとんど小躍りする気分で、その写真集を借りました。
それからは機会がある度に、中村さんの写真集を覗いています。「海中顔面博覧会」「ありがとう海の仲間たち」「白保SHIRAHO]などは全て、僕がゴーグルを通して彼らに出会い、驚いた気分そのままでした。
中村さんの写真が他の海の写真と違っているのは、それらの写真の数々が驚きだけでなく、同じ仲間に対する優しさに満ちていることです。
それは、もはや海中人と化した、中村征夫の眼です。

安南・愛の王国 /クリストフ・バタイユ 集英社
アブサン・聖なる酒の幻 /クリストフ・バタイユ 集英社

1993年にフランス文学界は、彼の名前で一色になりました。20歳になったばかりの青年が書いた処女作「安南」が、93・94年の各種文学賞を総なめし、しかも94年のドウ・マゴ文学賞を史上最年少でとったからです。勿論この作品は、空前の大ベストセラーとなりました。
彼の作品を読んだことが無かったので、この機にと処女作と第2作を一気に読んでみました。結論から先に言って「安南」では、彼の多分(?)新しい文体は、残念ながら日本語翻訳では、生かされなかった様です。訳者あとがきで書かれているような、2〜4単語文節フランス語の文体を日本語化した時、詩片ではなく散文で表現しようとしたためか、ブツ切れ感がぬぐえませんでした。
しかし、2作目からは訳者の技量が上がったのか、(もちろんバタイユ自身も)なかなか良いですよ!!普段使っている同じ日本語とは思えないような、新鮮な感覚に囚われます。

その静謐な文章は、心を洗います。「安南」のまっ赤な帯には、こう刻まれていました。
『雨は、孤独なふたりの体の中にも染み込んでいった』
そして「アブサン」の緑の帯には、
『人生にはアブサンの残酷な苦みがある』

日本では、平野啓一郎氏が芥川賞を取って話題となっています。彼の作品は2作とも雑誌掲載時に読みました。文体等がいろいろ言われていますが、僕は見たこともない単語をあやつる、彼の{言語感性}に期待したいと思います。