ネットでのやり取りをしている中で、ある大学院生とイスラーム教についての話題になり、専門である彼からの紹介本を中心に、イスラーム教一色の6月でした。
要点をまとめながらのノートが数十頁になる中、僕らの社会が全くイスラーム思想を曲解している社会であるのだと痛感しました。
そりゃそうでしょう。
欧米の思想圏である日本は、まさしくイスラーム教を敵対視しているキリスト教文化が絶大なのですから。敵のことを良いように言うはずもなく、キリスト教の痛いところを突いて生まれてきた彼らの批判点を、知らしめるはずがありません。
キリスト教としてその形態が確立し、勢力を拡大していく中、イエスから約600年後に神からの啓示を受けたとして布教を始めるムハンマド(モハメッド)は、キリスト教の根本構造のなかに、神と人間との本質的誤謬を指摘します。
よく知られているように、イエスはユダヤ教徒でした。彼がユダヤ教思想の中でもっとも注目したのは、神の絶対化です。正確に言うと、「神」ではなく「神の愛」の絶対化(アガペー)です。その絶対愛を強調することによって人間は、原罪をもった罪人であると同時に、神の愛によって救われる迷子であると位置づけたのです。
その為に「皇帝のものは皇帝に、神のものは神へ」という現実世界と、精神世界(神)を分け、現実世界の上位に神を置いたのです。
キリスト教とは、そのイエスを神と人間との橋渡し的要素として取り入れ、構築していった宗教なのです。その為、比類なき存在のはずである「神」に「神の子」という存在が生まれ、三位一体などという構造矛盾が生まれてきました。
と同時に聖書の中で教会の正統性を語らせることによって、神と人間の間に「聖職者」という特権階級を生んだのです。現実社会の上位にある精神世界(神)へは、この聖職者集団である教会を通してのみ可能となり、この構造が引き起こす悲劇や腐敗は、後年の歴史が雄弁に語っています。
ムハンマドは、いち早くこの矛盾に気が付きました。
神の前では、あらゆる人間が平等であり、聖職者の存在も自らがそうである預言者も、一介の人間でしかなく、その構図は絶対であると説きます。
後年にみられるホメイニ師の様な法学者の存在も、イスラーム教の中で分派していった宗派の考えで生まれた階級で、同じイスラーム教社会のなかには、その存在すら認めていない社会もあります。
ムハンマドの啓示した社会には、一切の特権化した階級を認めていません。それだけではなく、実生活を一生懸命営まないで、神へ近づく道を模索することを諌めているのです。修道院や僧侶や聖職者に向かって、孤児や未亡人、貧しき人々の為に働けとまで言っています。
イスラーム教のもう一つの特色は、神への信仰は心の中だけの問題ではなく、実際に生きている問題でもあるとしていることです。神へ正しく祈るということは、正しく生活するということに他ならないと説きます。
故に、近代思想の一つである政教分離という考えすら成り立たず、宗教は政治の問題であり、政治の問題は祈る民(ムスリム・・・イスラーム教徒)の問題なのです。分離しているとか、一致しているとかという思考は、すでに2項対立している地点からの思考でしかありません。完全に一体化しているものには、分離の問題は生まれないのです。
私達がイスラーム社会を見るときに一番分かり難いのは、無数の人達が毎日5回もかしずいて神へ祈るあのエネルギーと、中東の各国家を越えて何かことあることに出てくる「イスラームの大儀」という理念です。実はこれらの思想は、この政教完全一致から生まれ出るものなのです。
しかもムハンマドが強調するのは、神と人間との垂直の関係だけではなく、平等の個々人による助け合う共同体(ウンマ)という水平関係なのです。この共同体は、ムスリム(イスラーム教徒)全ての集合を意味します。家族、部族、民族、階級、国家を越えて提示される共同体であり、あらゆる共同幻想より優先されているのです。
イスラーム教のもう一つの大きな特色は、ここにあります。
神と個人との直接関係、そして個人と個人の平等なる共同体、その2本立てを実現する社会づくりがイスラーム教なのです。勿論ムハンマド亡き後からイスラーム教も様々な分派を生み、それに即した政治国家が生まれてきました。
しかし、ムスリム(イスラーム教徒)の目指す根本的理想社会は、神の前で正しく生きるこの共同体(ウンマ)なのです。またムハンマド自身が幼くして両親を亡くしたこともあってか、孤児や貧者に対して多くの言葉を用いる優しい眼差しは、人間ムハンマドとして好感がもてました。
イスラーム教社会は「コーラン」と「ハディース」で方向づけられています。「コーラン」は言うまでもなく神の言葉として示されていますが、「ハディース」は預言者ムハンマドの言行をまとめたもので、日常の具体的なことが多く書かれています。
「ハディース」でのイスラーム教徒の義務とは、以下の6つだけなのです。
1.挨拶すること
2.招待されたら、それに応ずること
3.他者から助けを求められたら、必ず助言すること
4.相手がくしゃみをしたら、その人のために神に救いを求めてあげること
(くしゃみは悪魔の誘いだと考えられています)
5.相手が病気になれば見舞ってあげること
6.死んだら葬式に参列してあげること
なんとも耳が痛い話です。
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