(97年8月感想文)
アメリカでは80年代ごろから、PC(PoliticallyCorrect)運動が盛んになってきました。直訳すると「政治的に正しい表現」ということになりますが、マイノリティ(少数派、少数民族)の立場に立って、差別や偏見による言語表現を考え直そうとする運動です。
この運動は様々な問題を提起しながらも、確実に成果を上げてゆきました。
この成果(!?)の中で“過剰なPC”が産声を上げ、それが新しい差別の問題を生み落し始めたのは、考えてみると当然という気もします。この過剰なPCも含めて、PC運動は注目されているのです。
差別問題は単純に、差別した差別されたの関係ではありません。また、多数・少数の問題だけでもありません。
差別は、人間の「差異を認識する思考方法」を問題の底に据えて考えないと、全てダメだと思います。日本でこそ、この本がきちんと検討されなければならないのです。
作家たちは「断筆宣言」なんかやってる暇があれば、このような本を書くべきなんです。
一読してもらえば分かりますが、差別や偏見という問題が持っている“何となくイヤダナア”“めんどくさいな”というイメージをきちんと解体して、本当はこんな所にあるんだよ、と教えてくれています。ブラックユーモアというスパイスを加味させて。
赤ずきんのオオカミが、ベットから飛び出したシーン
・・・赤ずきんは大声をあげました。オオカミのあからさまな女装趣味にびっくりしたからでなく、オオカミが彼女の個人的空間を侵してきたからです。
白雪姫を、化学的遺伝子工学的な変質作用が加えられたリンゴを持って、女王が訪れるシーン
・・・歳月のプレゼントをたくさんもらった女性が、バスケットをさげて立っていました。着ているものから見て、あきらかに正規雇用の束縛を受けていない女性です。
「お嬢さん、収入不安定な私を助けておくれ」
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