香港玉手箱/ふるまいよしこ 石風社

日本が外国にどのようにイメージされているのか、各国の教科書を資料に紹介していた新聞の記事を読んだことがあります。
私たちにとっては笑い話のようなそのイメージは、サムライがいたり、同じ背広で同じ顔をして走り回るサラリーマンだし、着物を着て、三つ指突きながらお辞儀する女性たちだったのです。
「おいおい、こりゃないだろ〜」

日々私たちは、テレビや雑誌、またはネットを通じてさまざまな世界の情報を摂取しています。とにかく処理しきれないほどの量が届いているし、僕たちはそれが世界のそのままではないと分かっていても、流れてくる情報をちらちら見ているうちに、かなりそれに近く間違いがないのではないか?と盲信し始めしているのではないでしょうか。

香港だって、あの超過密に林立する高層ビルや欲望のシグナルのように点滅するネオンサイン、明るく笑い声をあげながらショッピングに精を出す女性達の群れ、携帯片手に怒鳴り声を上げているビジネスマン、湯気を上げ色鮮やかに盛られた料理の品々、一歩路地に入るといかにも怪しい雰囲気で蠢く人々の目線、そんなものが香港だと思っていました。
(あまりにも貧しい想像力で、彼女に怒られそう?)

単身「香港」に身を置く彼女は、日本に流布されている情報は、むしろ日本人が望む情報でしかないと看破して、もっと生きた香港を伝えるべく疾走し始めたのです。時には日本人の常識に怒り、またある時は香港に渦巻く人間模様に呆れ、自分の目で見て、口で味わい全ての感覚でその流れをつかもうとしています。下手をすると独断的で自己理解に完結してしまいがちな他国のルポルタージュですが、彼女はぎりぎりのところでそれを回避し、優れたレポートとして成立させています。
その一因は、彼女が「香港」が好きだというよりも、香港で生きている「人間」が好きで、常にそこを基準として物を見て、そして感じているからです。そう、この国やその国は生きているあなたや私が作っているものなのですから。

実は、彼女は大学の後輩なのですが、そんな贔屓目をとっても近頃読んだルポでは一押しの本です。
そんな彼女は、今中国大陸に食指が動いている様子で、時々レポートを送ってくれるのですが、これがまた想像を越えたリアルな中国で、匂いや風の強さが手にとるようです。そして、今後の大陸レポートも大いに期待している徳さんです。

がんばれ!こよねチャン!!

蔭の棲みか/玄月
夏の約束/藤野千夜

今期の芥川賞だが、う〜む。正直言って、首を傾げてしまいました。
「蔭の棲みか」のほうは、初期の中上健次を髣髴させるような路地の現場で、個人的には嬉しいのですが、中上ほどの「生が持つ暴力性」や族の呪縛はありません。
もちろん作者の意図は、先達の在日作家達が暴き出した抑圧の歴史・悲哀の継承をするつもりはなく、中上の抉り出した人間の憎悪や物語のカタルシスに組するものでもありません。そことは違う角度で、在日の問題に言葉を紡ぎ出そうとしたものだと思います。
中国人の扱い方や、ストーリーの寸断、人物像の膨張や突然の縮小などに著者の試みが見える気がしますが、その試みがどのような意味を持って新たな光となってゆくのか、いまいち見えてこないのも事実なのです。そのことは、「夏の約束」でも同様です。
ことあるごとに偏見の中に置かれ、それに反発する分だけ狭い領域に追い立てられた彼らの日常を、軽みを持った文体やユーモアーで、同性愛者達の生活や人との距離感を描きだしていることに成功しています。

しかしっ、しかしです。
でも、それって、当たり前なんです。
もちろん、当たり前なことが難しいと言う論法も成り立つでしょう。しかし、問題は「当たり前である」ことではなく、当たり前がいかにオゾマシク、非「当たり前」の哄笑に満ち、その非知がゆえに人間は、逃れ得ない欲望を感じ続けていると言う事が、唯一問題となるのではないだろうか。
今まさに、少数者がその少数であることでアイデンティティーを維持できなくなっています。少数や多数の輪郭を浮き上がらせる論理は、言語の喘ぎとともに葬り去られなければなりません。
また同時に、大きくなったり同一であることの誘惑には、己がのみの侮蔑で応えてゆかなければならないのです。

文学と言う幻想が黒き呪いを残せるならば、ここにおいて他ありません。

花に逢はん /伊波敏男 NHK出版

(97年8月感想文)

1996年4月「らい予防法」が廃止されました。

一瞬、しかも一斉にハンセン氏病(らい病)患者および元患者の差別と偏見による悲惨な人生と境遇が、日本中に流されました。しかも同時に、これで彼らは自由な生き方が出来るという希望を、流布することも忘れませんでした。
そして、それで終わったのです・・・・

日本人全て、これで“らい”の問題から解放されました。そう、解放されたのは僕らです。
彼らを絶望の淵に追いやり、肉親縁者との絆を断ち、名前を改変させ社会から隔離した、つまり人間を捨てさせたその責任と重い問いを、国民全員で一気にミソギを済ませたのです。シャンシャンと、いや何事も無かった様に手も打たず、考えもしませんでした。
そして、少しばかり興味があって知っているからと、免罪符を持っているかの様に思っていた自分に対して、猛烈に腹が立ちます。

JRを利用する時は格子付きの窓と鉄の扉の郵便貨物列車に乗せられ、人のいない時間を選んだ特別ダイヤが組まれました。外なんてほとんど見えない小さな窓がある貨車の中で、普通の倍近い時間をゴザ一枚敷で過ごさせられた上に、列車が止まったその前にはホームが切れていたのです。
しかも著者がこの経験をしたのは、たかだか30数年前のことです。

世間の偏見を必死で乗り越えようとしてきた家族に、辛い別れが訪れました。泣きじゃくりながら、父の元へ残ると主張する8歳の梁。

「お父さんは、お手てがイタイからダメなの?梁も結もまだちっちゃくて、ごはんもおせんたくのお手伝いもできないから、お父さんはこまるの?」・・・

指を折りながら、あと{10年生}になってお手伝いが出来るようになったら、お父さんの所に帰って来ると約束する梁は、最後に

「でも、お父さんのボタン、これからだれがかけてくれるの?」

梁がかけてあげていたボタン。

この意味を問うには、あまりにも我が身が恥ずかしい。