(97年8月感想文)
1996年4月「らい予防法」が廃止されました。
一瞬、しかも一斉にハンセン氏病(らい病)患者および元患者の差別と偏見による悲惨な人生と境遇が、日本中に流されました。しかも同時に、これで彼らは自由な生き方が出来るという希望を、流布することも忘れませんでした。
そして、それで終わったのです・・・・
日本人全て、これで“らい”の問題から解放されました。そう、解放されたのは僕らです。
彼らを絶望の淵に追いやり、肉親縁者との絆を断ち、名前を改変させ社会から隔離した、つまり人間を捨てさせたその責任と重い問いを、国民全員で一気にミソギを済ませたのです。シャンシャンと、いや何事も無かった様に手も打たず、考えもしませんでした。
そして、少しばかり興味があって知っているからと、免罪符を持っているかの様に思っていた自分に対して、猛烈に腹が立ちます。
JRを利用する時は格子付きの窓と鉄の扉の郵便貨物列車に乗せられ、人のいない時間を選んだ特別ダイヤが組まれました。外なんてほとんど見えない小さな窓がある貨車の中で、普通の倍近い時間をゴザ一枚敷で過ごさせられた上に、列車が止まったその前にはホームが切れていたのです。
しかも著者がこの経験をしたのは、たかだか30数年前のことです。
世間の偏見を必死で乗り越えようとしてきた家族に、辛い別れが訪れました。泣きじゃくりながら、父の元へ残ると主張する8歳の梁。
「お父さんは、お手てがイタイからダメなの?梁も結もまだちっちゃくて、ごはんもおせんたくのお手伝いもできないから、お父さんはこまるの?」・・・
指を折りながら、あと{10年生}になってお手伝いが出来るようになったら、お父さんの所に帰って来ると約束する梁は、最後に
「でも、お父さんのボタン、これからだれがかけてくれるの?」
梁がかけてあげていたボタン。
この意味を問うには、あまりにも我が身が恥ずかしい。
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