(97年8月感想文)
上・下段で、600ページ程ある分厚い専門書です。私は、届いて手に取ったとき、正直「あちゃー」と思ってしまったものです。
ところが実際これを読み始めてると、これが又考えさせられる事例の宝庫であり、新解釈や自問の連続だったのです。その後はむさぼるように、一気に読んでしまいました。
生命医学倫理とは、簡単に言えば生命科学や医療の領域における倫理問題を、様々な角度から検討し、より体系的な価値原理を探ろうというものです。
この考えの背景には、多様化した社会、複雑かつ専門化を進める医療、そしてその間に立たされた生命が、道徳的にも倫理的にも“あるジレンマ”に置かれているという状況があります。
例をあげてみよう。
殺人を予告された医者は、狙われている人に危険を報せることが出来ません。
もしその犯行が行なわれてしまった時、医者は責任を負うべきなのでしょうか?
重症新生児に対して、苦痛を伴う治療を行なったとして数年の生命、痛み無き無治療で数日の命なら、医療はどうするか?また、どうあるべきなのか?
安楽死論と医療の関係は?
障害の部位が神経系(痛みを感じるこの器官)かその他によって、その治療の意味が変わるのか?など、考えるのが嫌になりそうなほど暗く重い問題ばかりです。
しかしこれらは実際に起こっている事実であり、それらの問題に直面している人間が現存しているのです。
私たちは、本来避けるわけにはゆかないはずです。
本書には多くの判例が掲載されていて、大問題から一見すれば些末な事まで裁判で争われています。
裁判が日常化している文化状況があるのかもしれませんが、その中ではどんなに卑近な例でも検討に検討を重ね、そのことの孕んでいる大問題をきちんと射程において論じている様は、大変感心してしまいました。
また本書を読み進めてゆくにしたがって、いやはや西洋の思考方法はむべなるものかなと、腕組みしながら唸ってしまいました。兎に角、理詰めといえば徹底して理詰めなんです。
道徳とは、正義とは、医療とは、個人とは、生命とは…を重箱の隅をつつく様に考え進めます。
大げさではなく、それこそ眩暈がおきるほど・・・・
これは、英語やセム・ハム語族が持っている言語の思考方法なんでしょうか?
日本語で考える私なんか、読んでいておいおいちょっと行き過ぎじゃないか?って感じてしまうのですが、でもそれって、日本語が属するインド・ヨーロッパ語族だから?
それとも単に、私の論理思考能力の貧弱さ故なのかな。
西洋医学が生命のパーツ化を進んでしまう必然性を、意外なところで見せ付けられたような気がします。
本書は、米国での医者の必修教科書であるらしいのですが、日本の浅慮な医療者の行為を見るにつけ“患者の生命とは”だけでも重箱の隅をつついてほしいものだと思ってしまう、今日この頃です。
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