読んでいてその意味することに戦慄したのは、5年前に環境ホルモンの本を読んだ時以来かもしれません。
「あぁ、こんな天気のときは、あの日を思い出すな。」
「えっ、なんのこと?」
「ほら、コウタロウがあのスーパーで迷子になった時さ。」
「迷子?ぼく迷子になったことあったっけ?」
「何だ、もう忘れたのか。ちょうどお前が小1年の夏に、アイスクリーム売り場からいなくなって、お父さんとお母さんが必死になって探したじゃないか。」
「う〜ん。そうだったっけ?」
「途中でお母さんは泣き出すし、お父さんはお前の名前を何度も大声で叫んで、店中大騒ぎになったろう。」
「・・・・・ああ、思い出したよ。あの時急におシッコがしたくなって、走ってトイレに向かっていた時に足をくじいて動けなくなってたんだよね。その後お母さんがぼくを見つけてくれて、あまり思いっきり抱きしめるもので、苦しいよといって暴れたっけ。」
「そうだったな〜。でもその後アイスクリームは、しっかりと食べてたぞ。」
「へへ。でもあの時は本当に足が痛かったんだよ〜。いまでもそのときの痛さを思い出すよ。」
コウタロウの脳裏には、これで実在しなかった迷子の記憶が体感をもって植え込まれました。
「徳さん。残念ながらあなたは娘さんから訴えられました。」
「はあ?なんで?」
「あなたは娘さんに性的虐待をしていましたね。」
「何を馬鹿なこと言ってんだ!そんなことするわけないじゃないか!」
「娘さんは、思い出したと言っておられます。細部までしっかりと。そのときの痛みまでもですよ。」
「信じられない。なぜそんなことを言い始めたんだ?」
「あなたはそのことを否定されるのですか。」
「当たり前だ!」
「なるほど、記憶を抑制しているわけですね。」
「なに?記憶を抑制?」
「そうです。あなたは自分が認めたくない記憶を、記憶の奥底に閉じ込めて否認モードに入っているのです。」
「それじゃあ俺は、その嫌な記憶を忘れていて、そんなことをしていないと「思い込んでいる」だけだというのか!そんなバカな!」
「あなたは、思い出したいことだけを思い出して、いやなことは封印しているのです。自分の願う自己像に沿って、記憶を並べかえているのですよ。」
「じゃあ、子ども達と過ごした楽しい思い出は、偽りだというのか!」
「そうです。」
「なんということだ!・・・・どうしたら俺は、無実だということを証明できるんだ。」
「あなたにできることは、何もありません。あなたが抑制しているかどうかを、あなた自身が証明することはできないのですから。」
「そんなことが・・・・」
「明日からカウンセリングを受けて、よく思い出して下さい!」
「・・・・・・・」
始めに断っておきます。
カウンセリングが悪いということでも、カウンセラーがとんでもない輩だということではないのです。
問題は、人間の「記憶」の不可解さなのです。
もはや、認めたくない辛い経験を記憶の奥底に閉じ込めていて、それをカウンセラーがゆっくり溶かし、インナーチャイルドを癒せば、真実の明日へつながると言う「構図」では語れなくなったということです。
記憶は、過去の事実が後に「再生」されるというものではありません。。
むしろ「再構成」と「創造」の産物なのです。
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