見えないチカラ/全国盲人写真展写真集 小学館
東京欲望/ベン・シモンズ 小学館
ちょうちょう/できやよいリトル・モア

今月は良い写真集や画集に多くめぐり会えました。
何冊見てもダメな月があったり、図書館でたまたま手に取った本に引き込まれたり、注文していた本が大外れだったり、お店で売れる見込みはないけれど、私好みの画集が突然入荷したりで、本当に本との出会いとは不思議なものです。

『見えないチカラ』は、全盲の人が撮った写真集で、しかも触って感じることが出来る写真集です。
本当に美しく感動に充ちた写真とともに、触って見る立体写真も含まれます。
目隠しをして、家族で順番に見てみたんです。
私とコータローは、全部見れませんでした。
嫁さんは何枚か、そしてモモコはほぼ全部見ることが出来ました。

『東京欲望』『ちょうちょう』優れたビジュアルとは、生の体感と直結しているものです。
それは気持ちが良いことばかりではなく、不安や嫌悪感、好奇心や笑いもすべて突っ込みなんです。
『ちょうちょう』なんて、子ども達は「キモ〜!」(気持ち悪い)と言いながら、食い入るように見入って、小さな小さな小さな顔を指差して笑っていました。

下着の文化史/青木英夫雄 山閣出版

いやはや、目の前の現実って・・・まさに浮雲と言おうか、淀みに浮かぶ儚き水泡なんですね。
社会のスピードがどんどん速くなってきて、必死に変わらぬものにしがみついて、なんとかこの非常事態を過ぎやろうと思ってはいるものの、その変わらないと思っていたものが、ついこの間登場して一般化したものや、偶然の産物だなんて。嗚呼・・・

東西に渡る下着の歴史が、多数の図や写真で分かりやすく書かれています。
もちろんそれだけを眺めていても驚きの連続なんですが、本書の最大の特徴は、単なる風俗史のスペシャル版と言うのではなく、その<モノ>の変遷を精緻に浮かび上がらせたことにあります。
そもそも「下着」なんて、その定義や概念が生まれてきたこと自体近代の話であり、その以前はというと衣服の一形態か流行の突然変異(!)みたいなものだったのです。
故に面白き事もあるのですが、著者自身が苦労しているように、何が「下着か?」という戸惑いが常にあることも事実です。

衣服とか人間の行動は、こうやって改めて見てみると、やっぱり現実の社会や経済の反映なんだと言うことに痛感させられます。
皆さん知っています?女性が皆ズボンを穿いていた時代があって、その理由がなんと周りの男性から身を守る為であったとか・・・・
スカートの裾を広げるのが流行り、みな競って広げ始めたと思ったら、扉を通り抜られなくなったり、座った時にはラッパのように開口してしまい、下着が丸見えになって困ったりするんです。(そりゃそうやろ!)
しかしそこは人間の英知(?)見られることが前提の下着が生まれてくると同時に、この広がりに改良を入れて折リタタミ式のスカートが・・・・
いえ。決して笑い話では無いのです。衣服の正史なんです。
そしてブラジャーが生まれたのが、なんと1900年初頭なんですよ!
生まれて100年もたっていない、超新人だったなんて・・・・

もちろん男性の下着も書かれていますが、大体があまり注意を払われていないんです。
これって、なんだか物凄く情けない・・・そう思いません?

聖堂の日の丸奄美カトリック迫害と天皇教 /宮下正昭 南方新社

奄美大島のカトリック信者が被った受難は、我々が受けている受難なり。
何をそんな被虐的且つ偽善的なと非難することなかれ、これら行為を行いせしめたのは、我々日本人が持っている精神構造なるぞ。
被害者でありながら、加害者の顔を持つ痴れ者よ。
いや、加害者でありながら被害者の顔で泣く破廉恥漢なり。

気付かぬか!貴様が手を上げ、打ち砕いているのは貴様自身の尊厳なのだ!
横並ぶ他者の掛け声に合わせ、打ち下ろした気でおるか。
いやいや、声など上がってはいやしない。
他者の声に聞こえるは、己が心内に鳴り響くお前の声なのだ。

「我らと違うあいつだ。奴を打て。彼らを葬れ。」と。

本書は古典となる定めなり。
彼岸に住む某宗教集民の悲話のみであると思うなかれ、本書は人間がある状況で紡ぎ出す必然の精神水脈なるぞ。
何が彼らを神に向かわしめたのか、何故我らは彼らを辱めたのか。
百万遍問うてもまだ足らぬ問いなり。