(97年7月感想文)
批判的合理主義と銘打たれた本書は、パポーの思想的姿勢が示すように、論理学、確率論、社会科学、進化論、哲学他と恐ろしく広い範囲に及ぶ領域をその舞台としています。
しかし一読した印象としての根本原理は、「反証可能性」といういわゆる論理学及び科学認識方法だと思います。
論理学の本なんか読むのは、私がかつて最も感銘を受けたヴェトゲンシュタインの『論理哲学論考』以来でして、完全に錆付いた脳細胞をガリガリいわせて読みました。
ベーコン以来、科学の理論を導く方法として゛帰納法゛がとられてきました。
それは簡単に言うと一つ一つの事象から、それら全体に当てはまる法則を見つけ出すという方法です。
しかしポパーは、「帰納法は論理的には成り立たない」と驚くべき証明をしてしまうのです。
つまり、個別の観察から一般法則への帰納を行うためには、帰納を成立させる原理が必要であり、いままでその方法でうまくいっていたという反論は、帰納の原理を正当化する為に帰納を行っているということで、それでは帰納の原理の証明は成り立たないと考えるのです。
ポパーは言います。
「法則的証明は実証されないが反証されうる。」(反証可能性)と!
帰納法という法則は、故に存在証明はされていない。ただ反証を待っている法則であり、仮説として保持しているだけであって、唯一言えるのは、「反証される可能性がある」これだけだと。
この反証可能性をもった法則こそが、科学がとりうる基本法則であり、加えて言えば科学の方法とは、積極的に反証を試みる続けることだ!
この思想は、その内包している意味ゆえに彼を必然的に様々な分野との論争に駆り立ててゆきました。それも生涯をかけて。
反証可能性はあくまでも原理であって、そこから派生する彼の思想は、対象が変わるたびに斬新な切り口を僕らに見せてくれます。
当たり前の論理的流れだと思って理解していた私は、その一言一言が、エッそんな馬鹿な、でも、なるほど言われてみれば、じゃあ今までの理解は・・・・
ただどうしても、彼が諸問題に取り組む時の論理イメージが、ダーウィニズム的なのが非常に気になってしまったのです。
知っての通り、ダーウィニズムの“自然淘汰”は現在かなり怪しくなってしまっています。
反証可能性という卓越した論理を生んだパポーも、自分の発想の根幹に反証は出来なかったのだろうか・・
いや、そうではない。
反証可能性を持っているが故に、この「反証可能性」は優れた思想であるのだ。
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