センセイの鞄/川上弘美 平凡社

私は川上弘美の作品が、好きです。
こんな作品を書ける作家が、好きです。

言葉に媚びず、文体に流れず、頭から生まれないで、しんと心に届きます。

人は皆、美しいセツナサを生きています。

夜のフロスト /R・D・ウィングフィールド創元推理文庫

客:「まだですかね?」
徳:「まだですねぇ。そろそろだとは思うのですが・・前作から、かれこれ4年ほど経ってまからね。待ち遠しいものです。」

−後日−
客:「何か情報ありますか?この前なんか、前の2作を読み直してしまいましたよ。ハハハ・・・」
徳:「私も気を付けて、創元推理文庫のリストを見ているのですが、まだのようですね。あちらで93年に出版された3作目の翻訳に、取り掛かっているとは何かで読んだのですが・・・あのセリフに手間取っているのかもしれませんね。なにせ・・あれですからねぇ。(笑)」
客:「そうですね〜、確かに。フフフ・・・しかし、早く出てくれませんかね〜。」

−そして・・−
徳:「出ましたよ!ついに!早速、昨日買ってきました!まだもったいなくて、表紙を撫ぜているだけですが。そこの書店で平積みなっていましたよ。」
客:「えっ、本当ですか?ありがとうございます!とにかく今から行って、買ってきます!そうですか。ついに出ましたか。そうか・・ついに・・・へへへ・・・」

本年度の海外ミステリー部門第1位は、これに決まりです。

墜落現場遺された人たち /飯塚訓 講談社
遺体鑑定歯が語りかけてくる /鈴木和男 講談社

1985年8月12日午後6時56分ごろ、日本航空123便ジャンボ機が群馬県御巣鷹山に墜落し、乗客乗員520人が死亡、4人が奇跡的に救出されました。

あれから16年が経ち・・・

一人息子を失ったY田おばあちゃんは、「歯の1本でもいい、足でも、手でもいい」と遺体の確認に毎日毎日、何百も残る離断・部分遺体の棺から息子の体を必死に捜し求めていました。
「T雄はね。耳が大きくてね。頭の毛はちぢれてるんですわ。耳たぶは大きくて厚いんです。足の爪を見てもわかりますよ。(中略)深爪に切ってやるので、うちの子の指は丸くなくて、真四角なんですわ。だから、私が見ればわかるんですよ。」・・・・
その母は、歯の一部を見つけて息子の歯だと主張しましたが、警察は血液型が違うと否定しました。
足も見つけましたが、警察は足の写真も確証もないと受け付けません。
しかし執拗に主張する母の要望で再検査すると、血液型も訂正されて、足も間違いなく息子さんのだったのです。

事件発生からじつに2ヵ月が経って、探し求めていた息子の右足の一部が、母の温かい胸に抱かれたのです。
その光景に、医師や看護婦達、歯科医師、若い担当警察官、そして日航の職員も皆無言で涙を流しました。

母だけが、「これで息子も許してくれるでしょう・・・」と、一人ニコニコとしていたそうです。

98年の9月と10月の感想文で、私はこの事件に関する本を紹介しました。
その時に書いた文章をもう一度書きます。

「この本は買ってでも、借りてでもいい、どんな事をしてでも読んで下さい。お願いします。」

故宮博物院秘宝物語/古屋奎二淡交社

(97年6月感想文)

今回の台湾旅行の目的一つは、この世界四大博物館に上げられる故宮博物院を訪れることでした。

実際、想像以上の宝の山です。
朝9時より夕刻5時までまる1日見て回ったのですが、とにかく凄かったです。
帰りには図録でも買おうと思ったのですが、その時は見てきたばかりの胸ドキドキのままで、写真を見ても全然食指が動かなくて結局買わずに帰ってきてしまったのです。
今では非常に後悔していて、それ以降展示会や特別展に行くとかならず図録を買う事にしています。

帰国して他の人に説明しようにも、口から出る言葉は「凄い!」「何て言うか、とにかく言葉にならないほど美しかった!」と言う言葉しか出てこなくて、説明になりません。
美術品や歴史の文物は言語外の力に満ちていて、それが桁違いだと文字通り言葉を失ってしまいます。
とは言っても他者にも伝わらず、自分もあの感動に少しでも触れたくて、今一度図書館で博物院の本を数冊貸りて読んでみました。

本書は、他の本の宝物のすばらしさだけを強調したトーンとは違い、文物につながる歴史やその当時の信仰、生活やものの考え方などが平易な文章で綴られており、私自身充分楽しめました。

そうだったのか!もっと良く見てくればよかったと後悔しながらも、次の再会を楽しみにし始める徳さんです。
しかし文物は、3ヵ月ごとに替わるらしいし、宝物が一巡するにはなんと数十年もかかるそうです。
こりゃやっぱり、定期的に行かんといかんな。ん?定期的?