死は絶対です。
その絶対なる死の前で、人は立ちすくみ、もだえ苦しみ絶望の淵を彷徨するしかありません。
身を裂くような言葉や無限の拒絶感や後悔の証言に、何を言えましょう。
私の浮ついた言葉や卑しい思考なんて、遺族の方達への冒涜ではないかと躊躇してしまいますが、現に今もその「悲しみのプロセス」の途上にある人たちが、これらの本に出合える機会にでもなればと・・・・
「逆縁」と言う地獄があります。
想像するだけでも身が震えてしまう現実に直面せざるを得なかった人たちの声は、一言一言が発言者の全てで、わが身の癒しを求めていると同時に、同じ境遇に沈むまだ見ぬ人たちへの「救済の祈り」となっているのです。
苦しく辛い、何年たっても何十年たっても1日たりとも忘れた事はない、時間が癒すなんてウソだ、そんな地獄があります。
そんな中でゆっくりと少しずつでも、決して同じではない悲しみに生きる他者に手を伸ばす言葉やまなざしは、無償の愛を生きた証なのかもしれません。
「悲しみを癒す作業(グリーフ・ワーク)」と言う概念を提出したのは確かフロイトでした。
キューブラ・ロスの「死ぬ瞬間」と言う名著もあります。
トルストイや世界の名作の中には、数多くの死に直面した人間達の戸惑いや怒りや拒絶や受容が描かれてきました。
それらを読んだり理解していても、現実に自分の身の上に降りかかってきた時の恐怖は、当事者だけが抱える固有の苦痛です。
固有な悲しみにタイプもスタンダードもないことは分かりますが、自分の悲しみの過程が「ある理解」のもとで考えられるのは、一種の救いの機会になるかもしれません。
後者の本は、そんな自分の苦悩に自分なりの言葉を付与させる手伝いになればと、著者の経験と調査の結晶です。
巻末の国内自助グループとサポート機関の連絡先一覧は、ありがたいです。
深い悲しみにある方達が、これらの本に一刻も早く出会える事をお祈り申し上げます。
メモ調になって申し訳ありませんが・・・・
○死別に関する個人の対処は「ショック」−「喪失の認識」−「引きこもり」−「癒し」ー「再生」の順で進んでゆく。
○「苦痛」から逃れる術はなく、悲しみのプロセスを能動的に受け入れる事のみがその可能性で、かならず今の苦悩は変化する。
○突然の死は、精神的肉体的ダメージが大きい。
○故人との感情的な葛藤が表面化する→死の原因の一端が自分にあるように感じたり、罪と恥の意識にさいなまれる。
○そんな故人とのマイナスの感情を持った自分自身を許し、その感情自身を見つめる事が悲しみのプロセスにおいて重要である。
○時間・死別の形・故人との面会・別れの儀式は、その後において大きな意味を持つ。
○死の儀式の意味は、現実を受け入れる機会であり、友人や家族が集まり助けを求めることが出来るきっかけを作る。また、その場での話を聞くことによって故人の人生に新しい意味を見出したり、自分の人生の大きな区切りの意識を持つ機会になる。
○社会の中では死が「回避の対象」である故に、遺族はその当事者であり「回避の対象」であるという経験をせざるを得ない。→当事者は「ふつう」であろうとして、自己の「悲しみの拒絶」に結び付けてしまう。→その後のプロセスを困難に
○死別後の悲しみの初期に、無意識に行う悲しみの拒絶。
○社会的な支えの不足は、悲しみを耐えがたくする。
○「悲しみを癒す作業」自体が大きなストレスであって、ストレスへの対処の下手な人(精神的ストレスに弱い人、子ども時代に大切な人を失ったり、安心して依存できる対象をもたない人・・・)は、それを乗り越えるためには、「特別」な助けが必要である。
○悲しみの当初は、全てが壊れた大きな恐怖と不安の中にいる。生き続けるためには、その恐怖と不安と絶望に対する慰めと支えが必要であり、他人に頼る必要がある。
○故人との悲しみを乗り越えようとするとき、大切な思う出まで失ってしまうのではないかと恐れる。
○悲しみの作業は、故人との良い思い出を、じょうずに(!)思い出す作業である。
○大人になってからの親の死とは、成人後に精神の「孤児」になることである。
○親は自分と「死」との間の緩衝材であり、死の意味理解の象徴である。
○親が生きている間は、いつか死が親を通してやってくると予感していると同時に、親と子の関係は「生の根源」であるからそのまま永遠に生の世界が続くと言う捩れの中にいて、親の死別後は順番として自分の番だと考え始める。
○マイナスイメージの親の死は、その愛憎の深い部分に繋がっており、「自分自身」を「親」から取り戻さなければならない。
○親を失うという事は、自分の子ども時代を失うという事である。
○子どもを失った夫婦の問題→夫婦ー共依存関係であり、子どもをともに共有していて、それぞれの自己に深く組み込まれている。→子どもを失った後、夫婦は「二人一組」ではなく「個人」の悲しみの作業に入るので、お互いが「怒りの対象」となる。→お互いが傷つけあう事で出来てしまった深い溝は、その後の夫婦の関係を大きく変えてしまう。→互助・自助グループの活用と支援
○「個」としての悲しみの作業と、「家族全体」を単位とした悲しみの作業が必要である。
○家族間のバランスが、大きな意味を持ち、亡くなった家族の年齢や亡くなった状況、その家族の意思疎通の程度、外部に閉ざされた家族かどうか等が、重要な要素となる。
○子どもが死の情報を消化するシステムは、大人とは違う→死や場と関係ない言動が、消化中でないとは言えない。
○隠蔽せず、明確な死の情報を提供する、しかし消化しきれないほどの詳細で膨大な情報は与えない。
○子どもから質問させるようにきっかけを作ってあげる。
○故人の話をしてもいいのだと気付かせ、子ども自身の心を問う機会を与える。
○質問をしてくる子どもに対して、辛抱強く相手をしてあげる。
○子どもが「答えを必要としている質問のみ」に答える。
○親や親戚の人たちが出来る限り「身体に触れて」あげる。
○スキンシップや言葉がけによって、孤立させないで「安心」を与え続ける。
○兄弟姉妹を失った子どもに対して、親は失った子どもを悲しむのに必死で、残された子どもにエネルギーを割く余裕がない。
○両親も自分も、すぐに死んでしまうのではないかと恐怖心を抱く。
○残された子どもは、失った兄弟姉妹に対する生き残ってしまった者の罪の意識と、恥の意識に苦しむ。
○亡くなった子どもの理想化と偶像化が進み、親はその故児に奪われ、残された子どもはその子の代わりを務める事ばかりを考えて、自己のアイデンディティを作れなくなってしまう。
○亡くなった子の身代わりを務めようとするが、両親の期待に応えられないのではないかと「恐怖」を感じる。
○亡くなった子どもについて話をする時、残された子どもも葬式の取り決めなど出来うる限り参加させる。そうする事で、子どもは家族の一員として認められていると感じる。
あなたの悲しみは、いつの日か、必ず今とは違う悲しみに変わります。
必ず・・・・
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