良いとか悪いとかと言うわけじゃないんです。
現在の人々は、以前よりもはるかに優れた視覚メディアの読解力を身につけているし、感受性も豊かになっていると思います。
もちろん過去にも卓越した表現者もいたし、その表現を受け止める解読者もいたでしょう。
しかし、その絶対数やマス化して流すことが出来る技術や表現の多様性は比べようもなく現代の方が優れていると思います。
数年前に、文字メディアが主体の書籍よりも雑誌を中心とした視覚重視の書物の方が売上を上回り、全国の書店売上よりもコンビニでの書籍売上の方が多くなっているのです。
これは、決定的な構造のシフト変化をあらわしていると思います。
繰り返して言いますが、良いとか悪いとかの話ではありません。
今我々は、ネットやTVも含めて視覚からの情報を中心に、「ほの暗い生活の明り取り」としてすがっている事は事実なのです。
今後もしばらくはこの傾向で、情報の大量流出が続いてゆくことでしょう。
この「作品社」における、図像学というか絵解きからの社会を切り取る試みは、そういう意味で先見性をもっていると思います。
視覚(図像)の中に隠された意味を腑分けすることによって、その当時の人々の世界像と現代との相違を浮き彫りにし、それと同時に我々が迎えている視覚の大量消費の危険性と固定化に警笛を鳴らしているのです。
豊かな図像とは、大衆に向けた情報の中に製作者個人のアンチ大衆の視点が盛り込まれ、それを汲み取る大衆がそれを丸ごと揶揄し、自らの現地点を笑い飛ばす余裕があるものを言う気がします。
今最も懸念するのは、その余裕が両者から消えているのではないかと感じることです。
紹介した本はどれも、1項目立てて紹介しなくてはならないほど秀逸で尚且つ面白い本です。
これらの本で垣間見せてもらった世界は、おいおい紹介させてもらうという自己怠慢で一様に割愛させてもらいました。
どの本から入っても、どの時代から足を踏み入れても、驚異=メラヴィリアの悦楽園です。
異界・異郷の区別を生み出す近代知なんて、屁の役にも立ちません。
無限すら内包する円環(エン・サイクル)の大知識(パイディア)は、真の百科事典(エンサイクロペディア)なのです。
(2001年12月)
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