ここ数日間、大版で4cm近くある厚さのこの本を脇に抱え、あっちの部屋こっちの部屋と移動しながら、密やかな空想の世界で楽しんでいました。
口元には不気味な笑みを浮かべながら、へらへらと詳細な図面と専門用語や施工順序フローチャートを眺めていたのです。
三内丸山縄文集落、仁徳天皇陵、前期・後期難波宮、遠江国分寺、平安京の羅城門、古代ダム満濃池、空中神殿古代出雲大社、クフ王ピラミッドを現代建築の専門家の視点で想定復元するための工程説明と構造図です。
素人目に見る建造物への驚きとその道のプロが見る視点がこれほどまで違い、その建造物が可能になるための当時の高度な技術と知識の深さが、ここまで高度だとは恥ずかしながら知りませんでした。
年次・月次施工の工程表、工事費見積もり、古代工法、現代工法の作業人数、建造工事の数量表、工事の労務計画、材料仕様表などは、とても新鮮に見る事が出来ました。
縄文時代の竪穴住居への疑問(実際にはかなりの深さが掘られていて、寒冷地での冷気や夏の湿度への弊害など)や、床面から天井までの空間利用への利点や、巨大建造物の地盤強度や水利の問題には、専門家ならではの説得力があります。
仁徳天皇陵内にある「樋谷(ひのたに)」と呼ばれる深さ5メートルもある沼地が、工事中の排水や沈殿池、洪水調節施設である事、墳丘近辺の地質学、地下水位、土質、盛土・葺石(陵の表面を覆った石)の供給地を鑑みても、偶然にこの地に建造されたのではない事にただ驚愕してしまいます。
地面を掘るということは、止水技術という水を御(ぎょ)する戦いなのです。
圧巻は、地上48メートル(16丈、往古には32丈あったと伝えられてます)に神殿を持つ出雲大社についての記述です。
現在の15・6階建てのビルに相当する高さの建造物が、1700〜1800年前に可能だったのか?
神代の誇大表現と言われていたものが、2000年の直径1メートルを越す大木が3本組み合わさった木柱痕の発掘によって、一気に現実の神殿の形として甦ってきたのです。
旧出雲大社は、地震や強風が原因ではなくて6、7度倒壊しているのですが、その倒壊理由の仮説が真骨頂です。
神殿が建っていた地盤と、100メートル以上170段の踏み面を持つ階段部分の地盤強度の違い(!)で圧密沈下あるいは不同沈下を起こして倒壊したと言うのです。
CGの地震振動時による神殿の揺れの軌跡とか棟面の応答加速度、建築方法(轆轤(ロクロ)の使用法や柱の建方等々)など本当に目をみはる資料が多数あります。
世界中で、なぜ時代の節目に巨大建築が造られるのか?
その説明も注目に値しますが、この本を大手建設会社の専門チームが書いていることに、職人の自負と良識を感じました。
(2002年10月)
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