告白します。
私は、彼女に救われました。
前作「転がる香港に苔は生えない」が第32回大宅荘一ノンフィクション賞を受け、賞と名が付くととりあえず読んで見る私の習性から、彼女に出会いました。(この習性の結果は、不満が募ることがほとんどなのですが・・・・)
写真の良し悪しは分かりませんが、「裸の神経束」だった頃の藤原新也を髣髴させる「視線」を感じます。
藤原が、「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ。」と写し出したショックなはずの写真が、私にはなぜか清冽な印象とほっと重荷を下ろしたような救済を与えてくれて、「間違っているかもしれないけれど、とりあえず足には力を入れてみよう。」と決心した事を思い出しました。
藤原が、世界に一瞬浮上してきた浄土根を掬い取ったとしたら、彼女の写真は、世界にいつも沈殿している極楽根のヒソミ笑いを奏でています。
藤原が危険なら、避ける事も出来ましょう。
しかし、彼女の調べに一度耳を奪われたら、もう逃れる術はありません。
目の前の街角を曲がって行く彼女の背中を垣間見たような幻覚と、呟きとも対話とも判別つかないうめきが耳を離れることはありません。
それは、小さな自分の部屋でも、湯水に身を浸している時も、電車の規則的なリズムに夢心地な一瞬でも、ファミリーレストランのマニュアル通りの笑顔に遭った時でも、同じです。
彼女の写真と文章に出会った時、書き継いできた読書感想文を止めようと思ったものです。
そして本を閉じた時、今度はもう少し書き続けてみても良いかもしれないと、止まりかけていたペダルを踏み込む事にしました。
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