告白します。
私は、彼女に救われました。
前作「転がる香港に苔は生えない」が第32回大宅荘一ノンフィクション賞を受け、賞と名が付くととりあえず読んで見る私の習性から、彼女に出会いました。(この習性の結果は、不満が募ることがほとんどなのですが・・・・)
写真の良し悪しは家族が突然病気に見舞われたときは、頭の中が真っ白になってしまい、混乱と不安が襲いかかって何をどうして良いかどうかも分からなくなってしまいます。
この病気は随分と悪いのだろうか?どんな病気なの?なんで我が家が?長く罹るのだろうか?ひょっとしたら死んでしまう事になるの?本人には伝えた方が良いのだろうか?この病院で大丈夫だろうか?もっと良いお医者さんがいるのではないだろうか?子ども達はどうしたら?明日から仕事はどうしたらいいのか?誰に連絡すれば?お金は?・・・
そんな時の具体的な手引きは、助かるというよりもむしろ必需だと思います。
著者は、「(財)がんの子どもを守る会」のソーシャルワーカーを長く勤め、そのような家族と向き合った経験をもとに、よくある質問を例に分かりやすく、具体的により実利的に書いてくれています。
小児がんや難病の子どもを抱えた家族が主な対象になっていますが、ここに書かれていることは、病気と向き合わざるを得ない家族やその関係者がもっとも必要とした書物です。
今までこのような本が少なかったこと自体、家族や病者に対していかに支援が少なかったのか、いかに孤独な立場に追いやられていたのかが垣間見られる気がします。
医療機関や教育機関との信頼関係、きょうだいへ関わり方、民間療法、親ごさんが心身ともに疲れてしまったとき、復学後への問題、同病の子どもが亡くなった時、医療ソーシャルワーカー、ボランティアをはじめたい人や同じような経験をしたボランティアの方への注意、病気の子どもを抱えている親に対して配慮すべき事柄・・・・
とにかく具体的で、問題の整理とすぐにその方法を取れる分かりやすさは、当事者だけではなく周りの人間にとっても本当にありがたいです。
家族にこの本を渡してあげるだけでも、有益だと思います。
本書は大きく6つの場面で構成されて、それぞれの時の問題その後に想定できる問題、持続的に考えてゆかなければならない問題などが箇条的に書かれています。
「子どもの病気が診断されたとき」
「入院生活のなかで」
「退院後の生活」
「病気になった子どもの気持」
「病状が深刻になったとき」
「患者家族と関わる身近な方へ」
また巻末の「福祉制度・福祉サービス」「宿泊施設に関する問い合わせ」「全国の親の会」「患者支援団体・自助グループ」「参考資料」などは、ひとりでがんばり、疲れ果てている親御さんに是非教えてあげてください。
小児がん関連のリンク集
http://homepage1.nifty.com/pediatrician/link.html分かりませんが、「裸の神経束」だった頃の藤原新也を髣髴させる「視線」を感じます。
藤原が、「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ。」と写し出したショックなはずの写真が、私にはなぜか清冽な印象とほっと重荷を下ろしたような救済を与えてくれて、「間違っているかもしれないけれど、とりあえず足には力を入れてみよう。」と決心した事を思い出しました。
藤原が、世界に一瞬浮上してきた浄土根を掬い取ったとしたら、彼女の写真は、世界にいつも沈殿している極楽根のヒソミ笑いを奏でています。
藤原が危険なら、避ける事も出来ましょう。
しかし、彼女の調べに一度耳を奪われたら、もう逃れる術はありません。
目の前の街角を曲がって行く彼女の背中を垣間見たような幻覚と、呟きとも対話とも判別つかないうめきが耳を離れることはありません。
それは、小さな自分の部屋でも、湯水に身を浸している時も、電車の規則的なリズムに夢心地な一瞬でも、ファミリーレストランのマニュアル通りの笑顔に遭った時でも、同じです。
彼女の写真と文章に出会った時、書き継いできた読書感想文を止めようと思ったものです。
そして本を閉じた時、今度はもう少し書き続けてみても良いかもしれないと、止まりかけていたペダルを踏み込む事にしました。
|