中東の問題が世界を揺るがしているのに、「中東」って分からないんです。
ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教の聖地であり、多種民族や難民やらが溢れ、内戦やテロが頻発し、襤褸をまとう子どもがいるかと思うと豪奢な宮殿に恰幅のいい笑顔を浮かべる髭のおじさんがいるし、見目麗しい乙女が白い歯を見せて星条旗を焼き払っています。
様々な民族と複雑な歴史、多様な政治体制と敬虔な宗教心、そしてこちらに伝わる単一な憎悪。
理解の糸口すら与えられていないような隔絶感から、イスラームの人々はちょっと俺達とは違うんだよと裁断してしまいたいような誘惑にかられるのは、私だけではないと思います。
本書を読んで、彼らが分かるとか共感するという事はありません。(そんな感想自体、危険だし物凄く傲慢です。)
しかし、彼らから伝わるぼんやりとした憎しみの背景や、なぜイスラエルやアメリカがその対象となったのかが、本書を読んで少し近づけた気になりました。
アラブ諸国の近代は、1967年の「第三次中東戦争」からだと言われます。
この戦争は、エジプト・シリア・ヨルダンの軍がたった6日間でイスラエル軍に完膚なきまでに撃破され、パレスチナ全域がイスラエルの支配下に置かれた戦争です。
この戦争を契機に、アラブ諸国ではいままでの「アラブ統一」も含めたアラブ思想、政治思想や近代化思想の根本的な再検討を強いられたのです。
この戦争はアラブ諸国にとって、とてつもなく大きな事件となり、アラブの人々に「アラブ思想」の行き詰まりを知らしめるとともに、新しい「アラブ」への模索時代へと突入して行くことになりました。
その中で生まれてきたのが、2つの流れです。
一つは、マルクス主義の影響を受けつつ、先鋭的な「人民闘争」思想へと進みました。
パレスチナ問題は、「パレスチナ人の民族闘争(パレスチナ人の建国運動)」から「パレスチナ人民の闘争(世界革命の一環)」へと捉え方を変えていったのです。
あさま山荘事件などで国内の影響力を失っていった日本赤軍は、この世界革命に活路を見出し、ハイジャックや銃撃事件を起こして行きます。
同様に世界各国の闘争グループは、自分達の戦いを世界革命としての視点で見つめることにもなりました。
しかしアラファト議長を中心としたパレスチナ解放機構(PLO)主流派は、その後の国際的な時流変化に対応して、徐々に自治政府によるパレスチナ建国へと方向を明確化して行くことになります。
そんな中、「人民闘争」を第一に掲げるパレスチナ人民解放戦線(PFLP)は、アラファト議長を非難しつつ、テロ活動を本格化して、イスラエルとの対決姿勢を強めてゆき、現在にいたります。
今日伝えられてくるパレスチナ内の組織関係は、基本的にはこの流れになっているのです。
現実的には、アメリカの強硬なイスラエル支援政策やイスラエル・パレスチナの弾圧・テロ憎悪が問題を複雑にしていますが、国際関係と社会主義思想の挫折により、「人民闘争」の思想は行き詰まりつつあります。
そしてもう一つは、宗教回帰による「イスラーム主義」です。
これは、先の戦争(第三次中東戦争)で負けたのは、イスラエルが「ユダヤ教」における団結と「ユダヤ教」に則った国家造りをしていて、アラブ諸国がイスラームをないがしろにしていたからだという批判がその根拠になっています。
イスラーム主義が考える「イスラームの世界」とは、種々の問題が「既に解決した状態」にある理想社会であり、「イスラーム的解決」を目指す「運動」が「全体社会」を包摂する事を目指しています。
この「運動」と「全体社会」の関係を悲観的且つ戦闘的に見ているのが、「イスラーム原理主義」なのです。
「イスラーム原理主義」には大まかに言って、3つの類型があります。
(1)「全体社会」からの離脱
「全体社会」は改善が不可能なので、自ら新たな「全体社会」を造ろうとする立場。
(2)「全体社会」の変革
ジハード(聖戦)を「侵略者からの防衛」とした限定ではなく、身近な政治支配者への戦いまで解釈を広げ、支配者層の打倒のによりイスラーム社会を作って行く立場。
(3)「全体社会」の消滅
「全体社会」の《非イスラーム的》な要素を消滅させることで理想社会に接近する立場。
バーミヤンの立像破壊のアル・カイーダがこの立場です。
そして、これら「イスラーム原理主義」が国際的に活動の場を広げた背景には、2次に渡る国際進出がありました。
80年前半に「イスラーム原理主義」運動は、自国内での活動で劣勢に立たされ、国外のイスラーム教徒が関わっている紛争にその足ががりを求めます。
アフガニスタン、ボスニア、チェチェン紛争などがその例です。(第一次国際進出)
今言われているように、それらの紛争でアメリカは、対ソ連を睨み彼らへ武器を供給したりして支援してきたのです。
また、自国政権は国内での活動を阻止する為に、積極的に国外に彼らを送り出してもいました。
そんな戦いの中、力をつけてきた原理主義勢力は、90年代になり再度自国での闘争を再開し始めます。
しかし、90年代半ばから後半にかけて、自国内闘争グループは武装闘争を放棄する立場と継続する立場とに分裂してゆきました。
武装闘争を掲げた勢力は、自国でのテロを繰り広げながら、国際秩序も「全体社会」であると拡張解釈して、国際活動へとその場を広げていったのです。(第二次国際進出)
これは世界が、経済やネットを中心とした技術革命によって「自国」と「世界」という二律関係ではなく、自分と世界との間に境界線が引けない非分離な関係であるという世界観が生まれてきたことが背景にあることは言うまでもありません。
「騒擾(そうじょう)がすっかりなくなる時まで、宗教が全くアッラーの(宗教)ただ一条(ひとすじ)になるまで、彼らを相手に戦い抜け。
しかしもし向こうが止めたなら、(汝らも)害意を捨てねばならぬぞ、悪心抜き難き者どもだけは別として。」
(『コーラン』第二章第189節井筒俊彦訳岩波文庫)
この後半部分の解釈によって、非イスラーム世界との協調的関係を正当化するのが、アラブ諸国の基本的立場です。
しかし、ビン・ラーディンたちは、エルサレム帰属やサウジアラビアへの米軍駐留を理由に、「悪心抜き難き者ども」がアメリカであると言及しているのである。
確かに国際秩序を「全体社会」とみなした時、アメリカは非イスラーム的権化の何者でもありません。
残念ながら、彼らの解釈の正否を別にしても、アメリカの単一超国家となりつつあるのは確かです。
アラブの民にとって現実の問題とは、「運動」と「全体社会」の関係性であり、このような歴史的な流れの中で具現化してきた「アメリカ」の台頭が、不幸にも標的として明確化していることでもあるのです。
それが、「非イスラーム」という衣装をまとい、未だに自国と世界に線をひいた自国第一主義の無反省な国だったのです。
本書のもう一つの特色は、上記のような政治的、歴史的解釈だけではなく、現実の社会の深層にあるイスラームの終末観に光を当てているところです。
様々な宗教の創設期には、世界の終末到来を告げ、信徒の心を揺さぶる事がよく見られる現象です。
ユダヤ教でもキリスト教でも、オウム真理教でもそうでした。
しかし、教団が社会の中で確立してゆくにつれ、現実の社会秩序が混乱する事は教団が獲得してきたことを失う事に繋がり、デメリットのなにものでもありません。
故に終末論は、教団内で次第に影を薄め周辺化されるのです。
ユダヤ教とキリスト教のテキストである『旧・新約聖書』は、数百年かけて解釈を繰り返し再構成したもので、その過程で終末思想の危機感は中和されていったのです。
しかし『コーラン』は、神の言葉そのままであり、アラビア語の解釈や変更を拒否するテキストです。
故に、7世紀の終末観のひりつく切迫感が、絶えずそのまま喚起されるのです。
アラブの人々が、行き詰まった現状の不条理に触れ『コーラン』を読む時、そこには必ず終末の危機感に身を包まれ、イスラームとして立ち返るビジョンが開けます。
そしてイスラームの「既に解決した状態」の世界を夢見る時、自ずとその世界と「全体社会」との乖離に身を焦がさざるを得ないのです。
この構図は、何もイスラームの民だけの問題ではありません。
われわれも同様に、危機感に包まれている今、単一で力強い「感情」に身を委ねてしまってはいないでしょうか?
本来それを埋める「運動」は、「憎悪」ではなく多様な「希望」であるべきなのです。
(2003年1月)
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