向田邦子の恋文/向田和子 新潮社
向田邦子の恋文/向田和子 ネスコ

こんなにも清冽で、忍んだ「恋」に触れたのは、初めてかも知れません。

本書は、向田邦子さんが事故死してから20年後に初めて開封された、邦子さんとN氏との手紙と日記です。
妻子あるN氏との関係は、当時の誰もが知らず、秘めやかな二人だけの寄り添いでした。
母にして「自分の娘でありながら、それを超越していた」と言わしめた邦子が、たった一人心を許すことが出来たN氏への手紙とN氏の手紙と日記には、溢れるばかりの「恋」に満ちています。
死の前日まで綴られた日記にも邦子の文字が・・・

・・・・そちら、お具合はいかが?久しぶりでいっしょにゴハンをたべましょう邦子の誕生日ですもんね。・・・ゴメンね。・・・体を大事にして。・・・手足を冷やさないように・・・・バイバイ・・・5時、邦子来る・・・・・10時、邦子帰ってゆく。・・・手紙拝見。いろいろと有難う。・・・手袋を忘れないように。・・・・10:30邦子帰る。少し疲れたようだ。・・・誰かさんみたいに、こなくても平気だよ、なんて、ひどいことはいわないもん。・・・・調子はどうですか。・・・・邦子、電気毛布の中で休んで10:00前帰って行く。師走で忙しいこと、大変だ。・・・みかん大いにたべるべし。・・・毎日電話はするつもり、風邪に重々気をつけること、食いすぎないように!!・・・日曜日にお刺身でビールをのむのをたのしみに。お大事に。邦子・・・ムリして、電話なんかかけに出ないように。手袋を忘れないように。・・・10時までいて邦子頭が重いと帰って行く。・・・ではもう一度、大事にね。・・・・さすがに邦子も疲れているようだ。・・・・今ごろまた苦るしんでいるのぢゃないかと案じています。・・・心配せずにやって下さい。・・・呉々も、お身体に気を付けて下さい。(三平のセリフじゃないが何度でも云う)・・・・至急電報コンヤユケヌ」ク・・・・思いがけず邦子、9時近くに寄る。明日の支度をして行ってくれる。連日の徹夜続きのせいかやつれがひどい。身体を大切にしてほしい。・・・夕方邦子来る。久しぶりに二人で夕食・・・・

「恋」を生きていますか?

「がん患者の<幸せな性>」/アメリカがん協会編 春秋社

正直言って、アメリカの国家戦略と「アメリカ.イズ.NO1」の思想は嫌いですが、彼らの社会機構への取り組みや福祉に対するシステムには教えられることが多いです。
本書は、アメリカがん協会が発行し、全米の支部で無料配布されている冊子の翻訳です。

この本の紹介を新聞の片隅で読んだ時、私はショックを受けました。
生命の危機や身体的な大きな変化に直結する重篤な病に直面した時、性のことなどそれどころじゃないし、諦めるか、我慢するしかないのではないかと考えていたのです。
性なんて、二の次三の次だろう?って。

しかし、よく考えてみますと、生きていることの中で「性」は大きな意味を持っています。
これは恥しいことでもなんでもなく、生物としてあたりまえのことです。
病気や事故によって生きてゆくことに困難が生じた時、生きている喜びや安どを感じることは特に(!)大切なことなんです。
著者は、「性生活」は諦めるのではなく、むしろ「生=性」の役割を見つめる事で、自分の生の再構築に繋がるものであると教えてくれます。

残念ながら日本では、ここまで徹底した情報提供している医療機関はないのではないかと思われるほど、各種がんのケース紹介と、それらに対応した解決策及びリスクが詳細に書かれています。

「がん」が必ずしも死の病ではなくなった現代、病後の人生も長くなっています。
だからこそ「生生活=性生活」の再認識は、重要になっているとも言えるのです。
「性生活」とは性器の挿入とエクスタシーだけではなく、人と一緒にいたい、触れたい、安らぎたい、優しくしたいという気持ちの表現なのです。
ここから見えてくる「性」は、可能性に満ちた豊かなコミュニケーションの本流でした。
故に「性」は、「生」なんです。

この本を読んで、さらにショックを受けた私でした。

巻末の様々な機関・団体・がん患者会・支援団体・電話相談室・書籍等の一覧資料は、大変貴重です。

ボーパール午前零時五分上・下巻/ドミニク・ラピエール、ハビエル・モロ 河出書房新社

1984年12月3日の真夜中、インドの古都であるボーパールで、世にも恐ろしい毒ガスが流出しました。
ガスは、イソシアン酸メチルという毒ガス中の毒ガスで、場所はアメリカ多国籍企業ユニオン・カーバイトの殺虫剤製造工場。
他所ではとても受け入れられない危険な原料と、驚異的な殺傷力を持つ殺虫剤を作るこの工場は、郊外にあるスラム街近辺にわざわざ建てられ、収益重視のため安全対策は手抜きをし、準備された事故とも思われます。

その惨劇は、証言者が「インドのヒロシマ」と呼ぶほどの地獄絵で、正確な死亡者の数は今現在もつかめておらず、死者1万6000人〜3万人、毒雲の影響を受けた人は50万人とも言われています。
しかしその中には、間接的な影響を受けた胎児とかは入っていません。(多分旅行者など一過的にそこにいた人々も)
この数にも含まれない多くの人々が、現在も様々な後遺症に悩まされているのです。
また、当局の死者発表数1754名というかけ離れた数字が、別の意味で心胆寒からしめます。(スラム街の人々は、死者としてすら認められていないのです。)

事件時にもカーバイト社は、毒ガスの成分を明らかにしませんでした。
それによって、インド中から救援に来た何百人もの医者達は、解毒剤の特定も出来ずに、多くの被害者達が苦しみ、のたうち、痙攣し、血の泡を吹き、死に絶えるのを見てゆくだけでした。

電話口から「助けてください。こちらは地獄です。」という悲痛な声が、阿鼻叫喚に混じり聞こえてきたそうです。

著者のラピエールは、「歓喜の街カルカッタ」(河出文庫)「パリは燃えているか」(ハヤカワ文庫)など優れたノンフィクションを書いてきた有名な作者ですが、この事件を知った20年前から後遺症に苦しむ人々のための病院経営や、人道支援の市民運動に乗り出しています。
この本の印税の半分は、その運動に使われるそうです。
それぐらい酷い事件だった、いや、現在も続く事件なのです。

本書は、様々な階層の人々を同時進行させてゆく物語で、作者の市井の人々へ向けた優しく、生活を慈しむ視線に、私自身知らず知らずのうちに親近感を深めて、きたる惨禍の回避を願わずにはおられませんでした。

事故後、まだ残っていた有毒な原材料をどう処理したら良いかの協議の時出されたアメリカ側からの案は、工場をすぐに再開して、残った原材料を使って殺虫剤を作るというものでした。
そして、再起動されたのです。(!)

もっとも恐るべき悲劇は、この国家や企業の発想と想像力なのかもしれません。

「人とその安全は、あらゆる技術的冒険の第一の関心事でなければならない。
そのことは、作図や方程式に沈潜しているときにも、けっして忘れてはならない。」
(アルバート・アインシュタイン)

本書は、20年前の惨事レポートではなく、2003年への警告です。
(2003年2月)