以前関西で便利屋をしていた時に、田舎の土蔵の塗り壁作業を手伝った事があります。
コンクリート塗りの左官作業ではなく、正に本来の左官作業は、見るのもするのも初めてのことで、毎日が楽しく全身の筋肉痛も苦にはならなかった、すばらしい思い出です。
土壁の下地である木舞という真竹や篠竹を割ったものを縦横に組みあげた上に、粘土分の強い壁土に稲藁(荒《草冠に切るの字》アラスサ)を混ぜた土を塗り固めてゆくのである。
土蔵の場合は壁が厚いので、その荒壁土で泥の団子をつくり、木舞に投げ付けるのですが(荒打ち)、私が手伝ったのはその作業の助手でした。
下層の部分では、私はせっせとその泥を捏(こ)ね、左官さんが時折水加減をにらみながら、土を加えたり、スサを投げ込む様を驚きながら眺めていました。
私は、泥が魔法の様に色を変えるのに目をみはり、鏝(こて)で土をこねるサラサラという妙なる音楽に包まれ、至福の時を過ごしていました。
上辺を塗り込む為に左官さんが足場に登ると、私は柄の長い三又の鍬で、泥の団子をホイと左官さんの手元に投げ上げるのです。
初めは、団子が先から抜けずに残っていたり、足元に落ちたり、とんでもない方向に飛んでいったりしたのですが、左官さんは、笑いながら、しんぼう強く私に教え、次第に手元に届く様になりました。
とは言っても、私が投げる団子は、速度も方向もまちまちなのですが、吸い寄せられる様に左官さんの受け台に収まってゆくのです。
「左官礼賛」は、月刊「左官教室」を元に掲載された見開き2ページのコラム集です。
一つの道を極めると、すべての道に通じるとは何かの古典を読んだ記憶がありますが、まさにその証左の様な文章です。
しかも、平易な言葉で身近な事例を引きながら、心と現実の奥底に悦楽を供って導いてくれるのです。
「土のことは土に習え」「美意識」「道具について」「鏝」「捏(こ)ねるということ」「腕前ということ」「民家という言葉」「流ざんの神々」などの文章は、ふと、小林秀雄を思い出してしまいました。
私は乱読癖の為、種々雑多の本を紐解きますが、年間の内2,3冊は手元においておきたい本に出会います。
この本は、間違いなくその1冊です。
蛇足ではありますが、夢屋は「長崎左官業組合」の倉庫を借りています。
夕日に照り返り、泥が輝くその壁を、いとおしげに眺めながら一服する左官さんの横顔が忘れられないから、知らずうちに擦り寄っているのかも知れません。
投げ上げられた団子が、左官さんの手元に踊り寄ってゆく様に・・・・
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