ちょうど4年前にイスラム教関係の感想文を書き(1999年6月徳さん感想文)キリスト教やユダヤ教については折に触れ書いてきました。
これらの巨大宗教を考える事によって、世界の潮流や人間の「信の構造」が少しでも露わになればと考えての事です。
現実はそれこそ前近代的な宗教戦争の様相を帯び、不可解な憎しみの沼に沈み込んでいるように思われます。
そして、もはやここに到っては、書物を読み解き文化や背景に想像を逞しくして、これらの宗教観や彼らの言う世界共生への夢を考えていた事が、まったくの絵空事のように思わざるを得ません。
世界が、「人間の精神鋳型」によって動いている事は疑いようもありません。
人類の英知や経済活動や社会形態は、あくまでも「精神鋳型」の可逆的な表層をなすもので、限界や到達点でもないのです。
宗教は、この「精神鋳型」に内包されている「信の構造」を体現する最も分かりやすい力学(権力)だと思います。
しかし、どうも私は勘違いしていたようです。
世界で最も影響力があり、微細な文化背景を乗り越え、多数の人間を魅了する宗教は、より最大公約数的な本質に根ざしていると思っていたのです。
何たる愚かなことでしょうか。
本書は、日本の新宗教14組織の本山や本部を訪ね歩いたレポートです。
世界宗教までゆかなくても国内では超有名宗教から、初めて知ったような新興宗教まで、著者の素朴な疑問を含めそれらの教団の背景を分かりやすく書かれてあります。
分かりきった事ではありますが、宗教が宗教として成り立つのは、教祖の言動と教理・教団、そして人間の「信の構造」です。
数億の人間信仰と個の人間信仰は、「信の構造」の萌芽から見ると同位なのです。
もう一度初めから始めなければなりません。
「精神鋳型」へのアプローチのための、「信の構造」巡礼の旅を・・・・
(2003年7月)
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