近年、子どもにまつわる事件が頻発して不快感がぬぐえません。
戦争や悲話で子どもの動向は、それを見る私たちの胸に鋭く届き、今現在の問題と修正を決意させる大きな動機になっています。
それほど大人たちの心に深い影響を及ぼす存在でありながら、彼らの存在を危うくさせているのが当の大人であることに、言い得ぬ不条理を感じてしまいます。
それぞれの時代で、あらゆるものがその時の「意味」を背負い、役割の中で存在していました。
時代や社会と存在は、連続的な相互作用の関係にあり、常に互いに修正の制約を受けています。
だから普遍な意味も「本当の」という定点も、基本的にはありえず、常に刹那に漂いながら取りあえずの安息を真摯に生き、また疑念の山路を登る相互運動を繰り返すしかないのです。
今の視点で過去を眺めるのではなく、過去の視点で過去を眺め(努力して)、今に通じる存在の幾重にも重なるフィルターの屈折から浮かび上がる総体が、かろうじて「現在」だと言えるのかも知れません。
本書は、いつの時代でも興味深い存在である「子ども」の世界に、やさしい語り口で誘ってくれます。
安産を祈念しての「甑(こしき)落とし」「土器破り」「胞衣(えな)の土器納入」の風習や「アヤツコ」という額に「犬」の文字を書いて魔物や悪鬼から守っていたことなど、膨大な絵巻物や文献からミステリーを読み解くように燻り出してゆきます。
なんで「犬」なんだ?という疑問にも、「犬は通力の物にて」(『宇治拾遺物語』)というだけでなく、糞尿や死体も食べる死穢(しえ)の存在で魑魅魍魎達をも避けて通るからだ(『参語集』)と教えてくれます。
「アヤツコ」は昭和10年の民俗調査でも報告されていて、男子と女子に違う印(十字印であったり、二つホシ、紅等)を付けていたと写真や図で説明してくれ、首や傘や籠の中に吊って守る「懸守り」、襟首に縫い付ける「背守り」など興味が尽きません。
「背守り」は、「押し絵背守り」(巾着型や蝶・柘榴模様の袋に神仏のお守りを入れる)と「糸縫い背守り」(男女向きが違う12針の縫込みに房がついている)に大別され、囲炉裏や井戸に落ちたとき神様が背守りを摘んで引き上げてくれるというのである。
生後3日、7日、21日などに産毛剃りというのがあって、その時「ぼんのくぼ」の毛だけは残すらしいのですが、それも同じ理由のようです。
そうやって必死に守ったのは、目に見えぬ魔物達からだけではなくて、実際のところは「ヒトサライ(子取り)」などでもあったのです。
頻発する誘拐、人身売買は、単に労働力確保だけではなく、薬用としての臓器目的であり、多くの文献にどうどうと記述され医者の秘伝でもありました。
生まれる前の胎児すら、その対象だったのです。
残念ながら死して後も苦難は続き、有名な「賽の河原」の成立と変遷へと論は続きます。
この「賽の河原」論は、図像学的に中・近世の人々の子ども像と「石女(うまずめ)」を浮かび上がられていて、知らないことばかりでした。
時代によって、その河原にいる子どもたちの意味も編成(鬼や地蔵菩薩・・・)も変わったり、なぜ罪無き子ども(胎児が描かれた時期もあります)が地獄に堕ちるのかとか、「石女」が一人しか生んでいない女の人を指したとか、どうして石女地獄で女性が灯心(灯油に浸す紐)で竹の根を掘り続けなくてはいけないのか、なぜ灯心なのか、なぜ竹の根なのか等々・・・
暗澹たる気持ちで図像探索していると「珍皇寺参詣曼荼羅」の境内画で、仮小屋の賽の河原の立体風景に、じっと手を合わせる婦人を見つけました。
いつの世でも手を合わせる「大人」がいて、子どもを慈しむ「気持ち」があり、人々の希望を背負う「子ども」達がいたのです。
(97年5月感想文)
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