先月(97年3月)『ピンク・トライアングルの男たちーナチ強制収容所を生き残ったあるゲイの記録』ハインツ・ヘーガーを読んだ時、大戦中多くの国でなぜエホバの証人が弾圧されたのか?なぜ多数の宗教組織は、国家主義に迎合していったのか?などの疑問を持ちました。
そこで今回、エホバの証人を調べる為、数冊読んでみたのです。
エホバの証人の組織が弾圧を受けたのは、反戦思想を揚げていたこと(もっとも根本には、対キリスト教者政策であるようです)が主な理由ですが、熱狂的な信仰心や徹底した生活習慣の制約制度も、社会が恐怖心を覚えた一因になったようです。
そして国家は、戦時中に反戦思想の影響が他に及ぶのを恐れ、弾圧に拍車がかかってゆきました。
では、なぜエホバの証人だけが弾圧に屈せず(多くの宗教は体制化してゆくのに)命を懸けえたのか?
記憶にも新しいですが、輸血拒否で子どもの命を失ったこともありました。
著者はその答えを、徹底したマインド・コントロールの結果であると述べています。
そして巧妙なマインド・コントロールの正体が詳細に書いてあり、最後にはそれからの脱却方法も示しています。
このマインド・コントロールは、どこかの宗教団体や政治団体などの専売特許ではなく、もはや各国家が真剣に取り組んでいる研究対象なのです。
私はイエスが「カエサルのものはカエサルへ、神のものは神に返しなさい。」(マタイ22・21、ルカ20・25、マルコ12・17、日本聖書協会発行「聖書」より)と言った様に、宗教と社会は違う力学で考えなくてはいけないと思っています。
もちろん宗教も共同体や教団化したら、その集団ゆえに社会力学の影響を受けます。
しかし基本的には、宗教の理念として考えるならば、反社会的であろうが非現実的であろうが、それは宗教性として判断する要素としては二義的だと考えます。
エホバの証人が、マインド・コントロールの手法を使っていたことが、共同体の社会力学の問題としてはあるとしても、どのような「信性」に基づく宗教なのかの判断とは別物です。
故に私の本書紹介は、エホバの証人批判ではなく、マインド・コントロールの手法やなぜ人間はそのような状況で心的世界の再構築がなされるのかということにあることを、始めに断っておきます。
では他の宗教組織(!)はどうだろうかと思い、後書に手を伸ばしました。
この本は、「倫理研究所」「実践倫理宏正会」「大山祇命神示教会」「立正佼成会」「生長の家」「世界救世教」「崇教真光」「ものみの塔」「本門仏立宗」「統一協会」らとその亜流が、成立背景・組織形態・組織拡大方法など丹念な資料から掘り起こして書かれています。
いつかまとめて調べてみたいと思っていたので、大変役に立ちました。
第三次宗教ブームの大きな力となったのが主婦を中心とした女性達であるとの視点は含意に富んでいて、宗教だけでなく現代社会を見つめる上でも、重要な立脚点となることは間違いないと思います。
現代社会は、女性達の変容を通して、別な問題が浮き上って見えるはずです。
宗教の型を取って見えずらくしている社会の変質が、ドロリと横たわっているはずなんです。
(2004年4月)
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