17・8年ほど前の事ですが、福祉の仕事をしていた関係で、生活空間の根本的寸法の見直しを考えた事がありました。
車椅子の可動スペースはもちろん、スイッチの位置、手を伸ばした時の半円、椅子から風呂桶への移動、台所での動き難さと高い設定、みんなが集う居間への自然な参加の形・・・・
私たちが何気なく生活している空間の「物差し」を痛感した次第です。
こりゃ、あかん!全然あってないやんか!と。
あわんなら、身体の可動性にあわせて、今の居住空間を変えたらいいんや!
(その当時は関西におりましたので、似非関西モードに頭がなってしまうのです。)
熱し易い私は、図書館や福祉センター、設計事務所などへ資料集めに走り回りました。
が、ありません。
一般的な車椅子の通りやすい廊下とか、階段を段差の無いスロープに変える簡単な見取り図ばかりです。
私が知りたかったのは、人体工学というか身体動に根ざした運動スケールだったのです。
そしてその意匠に則していた本は、北欧やヨーロッパ、カナダなどの本ばかりでした。
日本は、何してんねん!
しかも、その海外書物の心行き届いた空間作りやコンセプトが素晴らしいのです。
それこそ日常に使っている道具改変を使いやすさの追求だけではなく、デザインや色彩、使用する人の性別や年齢、個人の好みに合わせる多様性まであるのです。
個々の身体寸法を記入して導き出す方程式まであり、車椅子生活になった時、ベット生活では、麻痺の部位や程度によって・・・その人の空間を「固有」に作り出してゆくのです。
こんは本が日本に「普通に」あるようになる時が、福祉が日本に「普通に」ある時なのだろうなと思ったものです。
まだまだ福祉は「普通に」無いようですが、福祉に直面する人、せざるを得ない人は増えてきたように思います。
日常の悩みは、具体的な問題の蓄積です。
福祉の悩みも、具体的な問題の蓄積です。
それは福祉が、一人一人が「日々生きる」事で、日常以外の何ものでもないからなのだと思います。
(97年4月感想文)
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