「クローン羊」
クローン人間が出来る、作らせないと大騒ぎになった事件がありました。
私が気になったのは2点あります。
1つは、体細胞から誕生したということ。
これは完全に分化が終った細胞が、まだ細胞初期に持っているどの組織にでもなりえる全能性を持っていたということです。
またこれが可能になったという事は、初期化した核の働きが周りの環境で決定されているということだと思われます。
遺伝子に書かれている事は、外部からの情報をフィードバックしてダイナミックに自身を変容・創造するプログラムだったのです。
たった1個の初源の細胞の第一歩だけでなく、機能を受け持つほど分化、固定化した細胞すら、その第一歩を決して失わず、新しい歩みを始めることができるのです。
そのスタイルこそが、「生命」と言い換えてもいいのかもしれません。
技術的には、クローン人間は可能である事は間違いでしょう。
そしてこの事実の本当の意味は、そうやって生まれた人間を「人間」とみなすのか?ということである。
「人間」の生物的概念を変更する、新しい「人間」概念を提出されたのである。
クローン人間は、「人間」か?
「人間」とするならば、ホモサピエンスは「両性生物」と「単為発生生物」の両方の範疇を持つ生物ということになります。
「両性人間」という生物は、「単為発生人間」を「人間」として受け入れられるのか?
「彼らは、何者なのか?」と問う時、「我々は、何者なのか?」と等価(!)で問えるかどうか試されているのである。
「低体温療法」
柳田邦男の『犠牲—サクリファイス』は、大変感銘を受けた本で、その本に数行この療法の紹介がありました。
当時気になって、医療関係者などに聞いて回ったのですが、昔の療法だとか、術後一時的に使うとかの解答で、なにをいまさらという感じでした。
しかしこの前NHKで放送され、大きな反響を呼んだ後は、脳死問題などにからめ、いたる所で聞くようになりました。
とにかく、画期的な療法だと思います。
現在「文藝春秋」で連載されていていて、終ったら読書感想文を書こうと思っています。
(2004年8月)
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