2000年になる頃、現代の特徴を「自殺」「安全」「無私」と書いた覚えがあります。それぞれの事については、感想文や折に触れ書いてきているので、重複を避けたいと思いますが、本書を読んで改めて思うことは、全てが「一人一人の命」に直結している事項だったのだなと、気付かされた次第です。
自傷とは、リストカット、多量薬物摂取、焼きごて、過食、拒食、ひきこもり、売春など自ら性風俗に身を投じる・・・・自分の身体を傷つけることから、自らが自分の心を傷つける行為まで含みます。
まさに、生きる葛藤の悲鳴なのです。
私の独断で言えば、「現代社会」は、今までの時代とは違う「人間の心的層」の変質を迫っている、破壊している、蝕んでいる社会なのだと思います。
いつの時代でも、技術や社会制度や思想は常に新しいパラダイムに晒されています
が、このところの変化は、かつて無い大きな断層に差しかかっていると言って良いような気がします。
「生存するストレスがない生物」「ネットも含めて社会情報流通やコミュニケーションの変容」「大きな思想の終焉による自己帰属不在の不安」「関係不全や関係否定の心象」・・・・
どれが主でどれが従なのか分かりませんし、もっと見えないところでの変質があるのかもしれません。
また単なる環境要素による脳内物質の変化かも知れないし、一時的な事象なのかもしれません。
本当のところ、何がどう進行しているのか、分かりません。
しかし、間違いなく人間の心のある層が、傷つけられ続けている事だけは、確かだと思われます。
「自傷」は、こんな社会の変化を表している「眼に見える傷」です。
「死にたいんじゃなくて、消えたい。」
生の終焉が死だと考えると「死ぬ」ことは、自分の生きていた痕跡や記憶を認めてしまうことになります。
「消える」のは、そんな生きていた(いる)ことすら自分で認めたくない全否定の気持ちなのです。
しかし、その気持ちを抱えたまま、どこか心の奥底で「生き続けていたい」という矛盾する願いに祈るようにすがっているのも確かなのです。
滲み出てくる血の赤さが、「生きていたいことの証」であることを「信じたい!」と思うとこまで、我々は来てしまっているのです。
(2005年7月)
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