鳥肌が立つぐらい哀切な絵本です。
児童虐待の本ではありますが、虐待にあっている子ども達が特別な態度の子であったり、親が生来からの異常感性であるとかではなく、どの子も同じように親を求め、親も子を支えに生きているという普遍的な世界が描かれています。
これだけ大きな話題になっているのに、一向に減る傾向になくむしろ件数が増えているのは、「虐待」が普通の世界構造に根を張っていて、関係性や不安の小波が押し寄せただけで、簡単に立ち上がってくるからです。
そして、普通の世界構造で起こる矛盾のしわ寄せは、常に強者や弱者などという「特別」ではなく、「普通」の領域に押し寄せてくるのです。
我々の意識の深い所にある気付かない、気付こうとしない、気付きたくない問題が、「特別」というような形で流出しているだけで、変容してきている芯は、我々自身が大事に大事に抱えているのです。
虐待の卵は、私が抱え、あなたが抱えているのです。
だからこそ「ぼく」の「ごめんなさい。」は、胸にこたえます。
彼の涙は、私の涙であり、あなたの涙なんです。
逢いに来ているのは、「ぼく」という「私」なのです。
(2005年8月)
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