徳川将軍家十五代のカルテ/篠田達明 新潮新書

この頃、新書が良く売れているようですが、気が付けば私も通勤時には新書を読んでいる事が増えました。
新聞の広告欄を見ていても、読んでみたいなと思う本が新書である事が多いです。
読み易い平易な口語体(?)で知らなかったな〜との感想を抱いたり、学んだ印象を残す内容であることも、売れている大きな理由なのでしょう。

その中でも本書は、途中で読み止めらず、駅から店まで二宮金次郎のように歩きながら読んでしまいました。(良い子は、決して真似をしないで下さい。)

歴代将軍達は、亡くなったその場で身長を測られ、その等身大の位牌が作られまし
た。
その位牌は、籠に乗せられ「下に、下に」と街道を下って三河に安置されたのです。位牌を計ってみると・・・家康159cm、三代家光157cm五代綱吉124cm(!)七代家継135cm八代吉宗155cm・・・・
家継は、8歳で亡くなっているので、135cmもありそうですが、綱吉の124cmは、何故?(詳しくは、本書で)

家康は、鯛の天ぷらを食べて食中毒で死んだとか、鯛の骨が喉に引っかかって死んだとか聞いていましたが、どうも胃がんらしいですし、家光はうつ病に罹っていたらしいし、綱吉は用便で力みすぎて食物をもどし、それが気道を塞いで窒息したとか・・・・

九代家重と十三代家定は、重い脳性麻痺の障害者で言語障害や不随意運動を伴っていたのは明らかなようです。
江戸時代260年の間、日本最高位にいた将軍は15人しかいません。
その15人のうち2人が、身体障害者だったのです。

もちろん長男継承の原則はありましたが、いかようにもなっていたのが現実です。
差別意識も強く、排除や偏見も強かったはずです。
今よりもはるかに階級社会であった、その当時最高権力者に彼らを据え置いた社会意識は、どこか今と違った障害者達の受け止め方があったのかもしれません。
障害福祉法や男女機会均等法などを必死に制定しても、相変わらず障害者やマイノリティーや弱者に厳しい現代社会は、むしろ3・400年前の社会意識の何かを、学ぶ必要があるのではないだろうか。

近代化した明治政府以降150年の中で、身体障害者の首相は一人もいないだろうし、国会議員も何人いたでしょうか?
開明した差別が、現代社会なのです。

また、十五人のうち正室から生まれたのは、たった2人だけで、ほとんどが側室の女性達だったのです。
その将軍達の生母は、農民の娘2人、魚商人の娘、八百屋商人の娘、僧侶の娘、家臣の娘4人という「庶民のご母堂様」達でした。

将軍家の血統を維持するために、外からの「雑種強勢」をシステムとして導入したのが、あの春日局だったとか、乳幼児に白粉(おしろい)の鉛毒が乳房を通して摂取されたり、塗られる事によってて吸収され、麻痺や知的障害をおこしたり早世したな
ど、知らなかった事ばかりでした。

しかし、いずれにしてもその当時の重要な歴史事実なのに、全く学んだ記憶がありません。
「現代教育の歴史」が見ている「歴史」が、このようなところに無い事を、改めて知らされた気になりました。

知らない「歴史」ばかりなのです。
(97年4月感想文)

「顔をなくした女ー<わたし>探しの精神病理」/大平健 岩波書店

精神科医の書く本は、興味をもってよく読むのだが、この本ほど好感をもって読み終えた本はなかったように思います。
ひとえに、この著者の姿勢によるのでしょう。
きちんとしたプロの目と、医療行為も結局言葉で表せない領域にある「病気」を不確定に“翻訳する”ことでしかない、という認識が、悩める医者として隔合していて、実に真摯です。
7編の文章は、読み易く、決して難しくありません。
むしろ楽しいくらいです。

−上手い医者は「治してもらった」という感じを患者に抱かせないものだ。
患者は−(中略)−医者に会い、話をしているうちに自分でケリがつけられたと感じる時の方が、その後の人生を自分で生きて行き易い。
<患者に感謝されているうちは、まだ中級>−

こんなに認識に立つ医者もいるんですね。
(2005年10月)