ここ数ヶ月、伊勢英子の絵本・画集を散策していて、本書に出会いました。
彼女の線や色の透明感が好きで観ていたのですが、いつもその静謐感だけではない世界を感じ、これはなんだろう?と、心に引っかかっていたのです。
本書は、ゴッホと賢治、ゴーガン(ゴーギャン)と中也、テオとトシを語りながら、評論・評伝の域を超えた、彼女の存在感覚の吐露集です。
画家の眼を持って絵描き人を語り、世界の孤独を背負って詩人の言葉を抱きます。
丹念に資料に当たり、実際にゴッホと賢治が浴びた光を求め、同じ大地に立って風を感じ、通説への違和感に自分の血肉の声として問いかけます。
その手法は、古臭いのかもしれません。
製作者とテキストを分離した解釈からすると、なにを今更との批判があるのかもしれません。
しかし、評論するスマートさや正論などより遙かに高い天を目指した「よだか」に呼び掛けたければ、主人の居ない「ゴッホの椅子」のパイプの香りを味わいたければ、詩を読むと言うことは、絵と向き合うと言うことは、このようなことなのだと、強く頷く次第です。
久しぶりに、枕元に画集と詩集を置いて寝る日が続きました。
忘れていた感覚を呼び覚まされた年末、来年出会う本達が楽しみになりました。
子どもの口調を借りると「いいカンジじゃ?!」
(97年4月感想文)
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