ふたりのゴッホゴッホと賢治37年の心の軌跡/伊勢英子 新潮社

ここ数ヶ月、伊勢英子の絵本・画集を散策していて、本書に出会いました。
彼女の線や色の透明感が好きで観ていたのですが、いつもその静謐感だけではない世界を感じ、これはなんだろう?と、心に引っかかっていたのです。

本書は、ゴッホと賢治、ゴーガン(ゴーギャン)と中也、テオとトシを語りながら、評論・評伝の域を超えた、彼女の存在感覚の吐露集です。
画家の眼を持って絵描き人を語り、世界の孤独を背負って詩人の言葉を抱きます。

丹念に資料に当たり、実際にゴッホと賢治が浴びた光を求め、同じ大地に立って風を感じ、通説への違和感に自分の血肉の声として問いかけます。

その手法は、古臭いのかもしれません。
製作者とテキストを分離した解釈からすると、なにを今更との批判があるのかもしれません。

しかし、評論するスマートさや正論などより遙かに高い天を目指した「よだか」に呼び掛けたければ、主人の居ない「ゴッホの椅子」のパイプの香りを味わいたければ、詩を読むと言うことは、絵と向き合うと言うことは、このようなことなのだと、強く頷く次第です。

久しぶりに、枕元に画集と詩集を置いて寝る日が続きました。
忘れていた感覚を呼び覚まされた年末、来年出会う本達が楽しみになりました。
子どもの口調を借りると「いいカンジじゃ?!」
(97年4月感想文)

「生命の意味論」/多田富雄 新潮社

私は、R・ドーキンス『利己的な遺伝子』以来、DNAの決定論的性格に、非常に困惑させられていました。
この桎梏から開放されたのは、利根川進の遺伝子組み換えの発見と、多田富雄の『免疫の意味論』でした。
このことは、私の中での生物学的問題が、動物行動学的な視点から、身体組織のシステムへと移ってゆく契機となったのです。

今回では、身体システムを”超(スーパー)システム”と呼び、その機構を「発生」「免疫」「ゲノム」「進化」「老化」「脳」などの生命科学の対象から、文化現象である「言語」「都市」の生成にまで論を展開しています。
何といっても、最新の生命理論と、専門的だけど素人の私ではなかなか知ることが出来ない詳細な説明は、刺激的です。

超(スーパー)システムというシステムは、多様な要素を作り出した上で、その「関係」まで創出する概念です。
作り出された「関係」は、新たに次の要素を生み出し、それをまた組織化してゆきます。
組織化されたものは、外界からの情報に向って開かれ、それに反応してゆき、反応することによって自己言及的にシステムを拡大してゆくというのです。

これはまさしく「複雑系」だと思います。
とりあえずDNAに決定権があるのではなく、システム自体が自己決定するのです。しかも、「不確定」という顔を持って。
(2005年12月)