強制収容所に収監されたのは、ユダヤ人だけではなかったのです。
囚人達は、色分けした逆三角形の識別印で見分けられるようになっていて、「黄」ユダヤ人「黒」非社会分子「赤」政治囚「紫」聖書研究者(エホバの証人)「緑」刑事囚「青」亡命者(ドイツ人および占領地でつかまったドイツ亡命者)「ピンク」同性愛者「茶」ジプシーでした。
その中でもユダヤ人・同性愛者・ジプシーは目のかたきにされ、最も過酷な拷問や仕打ちを受けたそうです。
これは、ナチスだから日本だからという問題ではありません。
ある緊張状態に陥った国家・民族・人間が最初に行うことは、他者の峻別です。
これは、個人や文化の問題などではなく、人間精神の基本構造だと思っています。
少数者・障害者を差別してはいけないという倫理・道徳は、人間の「認識の構造」を変えることは出来ません。
なぜなら、認識という思考が、倫理・道徳を生むからです。
また、認識の初源は、「あれ」と「これ」の差異を見つけることから始まります。
「あれ」と「これ」を区別する「要素」を見つけて、はじめて「あれ」と「これ」が生まれます。
長い/短い、多い/少ない、動く/動かない、ある/ない、異性愛者/同性愛者・・・・「あれ」/「これ」・・・・「私」/「あなた」・・・・
人間がこの認識形式をとっている限り、区別、峻別、差異化は無くなりません。
では、どうすればよいのか、考えなければならない。
考えなければ。
この本で、エホバの証人の人達も収容所に送られていたことを初めて知りました。
調べてみると、日本でも戦争中、その反戦思想を理由に弾圧を受けているようです。これは、ちょっと気になる・・・・
(2006年2月)
|