網野善彦氏の書物を読んだ以来の衝撃です。
知らない「歴史」を知ったというよりも、自分の「歴史」自体のイメージを修正しなくてはいけない必要性と、いままで抱いていた「歴史」観の稚拙な単純化と妄信を恥じ入るばかりです。
初めは、古文書から見える歴史の「隠れた新事実」かな、ぐらいに思って手に取ったのですが、とんでもありません。
浅野内匠頭を始め忠臣蔵連中個々人の隠密評価は、なんと!
70人も子どもを作った殿様、バサラな殿様、前田家に伝わる幽霊、「一筆啓上火の用心お仙泣かすな馬肥やせ」を書いた本多作左衛門の鬼神ぶりなど興味深々話が盛りだくさんですが、著者が言いたいのは、そんな殿様を存在させたその当時の「社会意識構造」なんです。
時代が進むことによって変容する人々の意識構造と、変わらず残ってゆく構造、そしてその様な事がなぜ可能になったのかを古文書から炙り出してゆきます。
家康が幕府存続の為に全国に布陣した大名配置、その裏に隠された危惧通りに約300年後に起こる討幕運動は、家康の驚異的な先見性ではなく、300年間も維持された(!)「前例、先代第一主義」の殿様組織体と家臣官僚体制の「社会意識構造」だったのです。
『近世大名家臣団の社会構造』では、近世武士組織の編成・維持システムは、各階層によって違いがあり、私達が「武士身分」と一括りにするイメージと大きくかけ離れている事が、よく分かります。
「武士身分」とは、大まかに言っても「侍・徒士・足軽以下」の三層構造に分かれていて、それぞれの階層での編成原理・通婚圏・居住空間・生活状態・正業構造差が、全く違います。
また、それぞれの階層内でも、細分化された階層差が規定されているのです。
階層差による礼式の違いは、歴然としていて、雨中に履物を脱ぎ土下座しているのは、百姓町民達ではなく武士だったのです!
礼式の厳命は、「武士階層構造」自身に向けられており、自階層維持のためには、階層外の規定よりも自構造の武士間格差の厳格性によって強化されていたのである!(細分化と規律の厳格性は、本書でお確かめ下さい。驚くこと間違いなし!)
「階層の再生産構造」の論考、「袴(はかま)着用」の規範コードが示す世襲身分の記号化や、『武士の家計簿』での家計簿から見えてくる「母方親族の重要性」なども、大いに刺激を受けました。
江戸時代が終わってから約150年間(!)も隠し通してきた「近世常識」が、初めて我らの前に晒されたのです。
「殿!天下の一大事ですぞ!」の声が、殿中に木霊しているようです。
(2006年9月)
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