本を読み続ける店主が記録した「読書感想文」です。これから本を読みたい人の参考になればと思います。店主は現在修行中につき、気まぐれでアップされます。申し訳ない。 |
店主が語る人生のつぶやき集。人生の流れを店主の観測点を変えて表現しています。あなたのカンフル剤として読んでみませんか? |
日頃の常 |
「とりあえず、隠居出家」ここ数年、感じていることがあります。 ネット社会による生活基盤の変化、国家や社会も含めた共同体への距離感の混乱、自己や他者に対する希薄感、言い知れぬ不安感が支配して、生き辛さが前提となっている世界・・・・ 正直に言って、今の社会が持っている知識や言葉で、現代の変化を総合的に説明することは出来ないように思います。 何が原因で、どこに向かっているのか・・・・ 多分、我々の言語的な意識世界より、ずっとずっと深い処が、大きく変わってきているのだと思います。 原理的には、その世界のことを「考え」たり「説明し」たり、できません。 では、どうするのか? 分かりません。 でも、いくつかやってみようと思っていることは、あります。 間違ったら、やり直せばいい。 言葉の世界で「沈黙」しているのではなく、言葉の「沈黙」している世界への放浪に出てみようと思っているのです。 |
「靴下」の話家人 俺 家人 俺 |
「屋久島有情」たった一周130kmの円形の島に、九州高峰の?1〜?7までが揃い、1000m級の山が45以上もある「洋上のアルプス」は、初めから「人の世界」ではなかったのです。 一人で朝五時のバスに乗り、往復10時間コースの登山を試みた時です。 このままブラブラと帰るのはもったいないなと、素人のおごりと過信が心をかすめ、地図上にある、もう1本のわき道へ足を向けたのでありました。 コースを外れると、天気は一変し、日が翳ったかと思うと、小雨が降りだし、みるみるうちにガスが遠景を覆い隠し、雨はあざ笑うかのように本降りになってきました。 そう言えば、わき道に入ってから、誰とも出会っていません。 数メートルおきに括りつけられたピンクのリボンが、「人の世」と繋がっていることを示していることが、唯一の支えです。 そして、ある沢に降りた時、ついにその「命」を見失ってしまいました。 数十歩進むと、必ずその先に見えていたリボンが、見つかりません。見えるものは、苔のマントで覆われた古木と岩、そして雫の煌きだけです。頭にかぶっていたカッパのフードを払い、じっと耳を澄ませても、雨音と沢を流れ落ちる水音が、重層に響いていて、どこかの深海に立ちすくんでいる錯覚に、襲われます。 今までも、何度かリボンが見つからない時があり、その度にじっと立ち止まり、全体が緑色のコケに覆われた中、人が歩いた跡は幾分か白くなっているはずと、目を細めたり、漠然と見回したりしていました。 また、リボンが見えなくなった場所を覚えていて、ちょっと歩いて道に確信が持てなければ、またその場所に戻るようにしていました。 しかし、この沢に入ってからは、どうしても見つけられません。 知人が言っていました。 「救援のため何度も山に入ったが、遺体が見つけられたら良い方で、ほとんどは行方不明のままだ。小屋からトイレに行ったまま帰らないという人が、何人もいる。まして、途中で勝手にコース変更した登山者は、絶対見つからないな。」 「山で、道を見失ったら、どうしたらいいと?」 「上に上がれ!尾根には、登山道があるし、ガスが晴れて見渡せたら、自分の位置も分かり易いし、気持ちが落ち着いてくる。とにかく上を目指すんだ! 上か! あった! 全体が深い緑色に沈む世界に、汚れたピンクが、いかにも「迷い者」のように張り付いています。 嗚呼、そうか! お前は、「迷い者」を待っていたのか! それなら、ここにいる! もっと深く、深く迷うことを望む愚か者が、一人、ここにいる。 |
「筋肉痛は、「繋がっていたい」証拠なりしか」はい!丁度、お時間となりました! 毎月1回の通信と感想文を書き始めたのが、1997年1月ですから、11年と3ヶ月続いたことになります。 とりあえず、継続の慣性(惰性)は、断ち切っておきたいと思います。 感想文でも、ブログでも、メールでも、何でもいいのですが、書くことの一番の効用は、「自己慰安」だと思っています。 しかし今、「慰め」で腹いっぱいになりました。 今後は、近況報告やお願い事、1997年1月、2月の手書き感想文のデータアップなどのため、突然メールを出すと思いますので、その時は、よろしくお願いいたします。 もちろん、私の方へメールを頂くのは、全く問題ありませんし、待っておりますので、「絶縁のお仕置き」だけは、ご勘弁下さい。 春は、揺らめく風に「誘いの声」を聞き、弁当も持たずに走り出してしまうのです。 PS、20年ぶりに「自分の部屋」を持ち、めちゃくちゃ嬉しいです。 |
「樹幹仏頭は、ゾウの涙を見ることが出来るのか?」タイの風は、思っていたほど湿っていなくて、さらさらと流れていました。 バンコクの喧騒もアユタヤ遺跡の佇まいも、違和感なく自然な風景として、私の胸に届いてきたのです。 家族は、行く先々で驚きの声を上げたり、恐る恐る覗き込んだりして、異国に立っている経験をそれなりに楽しんでいるようでした。 が、しかし、どこか今までの旅行とは、ちょっと違う気がしたのです。 何だろう? タイの社会状況に日本が透けて見えるからか? 家族が、今までのように共に過ごすのでなく、違う場所で生きるようになることへの感傷なのか? 何だろう? そして、この旅行から帰ってきてから私は、無性に「次の旅」をしたくてたまらないのです。 私の「家族旅行」は、さらさらの風と共に、無事流れて行ったようです。 |
「減数分裂の後ろ髪」私が学生の頃、ナンパする時にこう話しかけるのが一般的(?)だったと思います。 もちろん、相手への「想いの重症度」や自分のキャラ、状況によって様々なバリエーションはありましたが、基本的には喫茶店への誘い文句でした。 成功したこともあったし、断られることも多かったです。 いえいえ、私の失恋話をしたい訳ではないのです。 実はその頃、この「お茶行かない?」は、深い意味があるのではないかと思っていたのです。 私は密かに、「食事する」って、「神的なもの」(人間世界外への畏敬感情やアニミズム的な敬いと、包括安堵感を抱かせる無形の対象)との「交流儀式」なのではないかと考えているのです。 私は人類学者ではありませんので、そんな実証データがあるのか、同じような論文が出ているのか知りませんが、私自身の疑問の種がそんなところにあって、機会があれば関連する本を手に取って、ここの感想文(例えば1999年1月や2004年の12月感想文など)でも取り上げているのです。 いえいえ、私の独断人類学の話をしたい訳ではないのです。 「一緒に飯を食べる」って、思っている以上に重要な行為だと思います。 個人意識の領域に、他者が参加するには、一緒に食事をすることと、性行為をする事が、一番オーソドックスな形である気がします。 いえいえ、私の脳世界談義の話をしたい訳ではないのです。 ただ「食する」のでなく、「食する事」が儀式に近い意味まで付加されているなら そして 大きな区切りに、賑やかだった食事の思い出が重なります。 「いただきま〜す!!」 |
「内出血の行方」能天気に好きなことばかりをやっている私でも、その時その時の悩みは尽きず、触れると痛みが湧いてくる後悔が、山ほどあります。 なぜ今更、当たり前のことを持ち出すのかというと、このところ、私の中でも最大級の後悔の一つが、ことあるごとに炙り出されているからなのです。 その後悔とは、「私は受験をしてこなかった」ということです。 もちろん「高校受験」と「大学受験」というイベントは、人波に紛れて通過してきました。 それも、周りと同じように悩んだり、嫌々ながらでも取り組んだりしていれば、まだ救われたのでしょうが、わざとそんな流れに逆らうように、勉強しないでほかの事でその「受験の時間」を消費してしまおうと考えていたのです。 「こんな知識の暗記を強いられて、点数化された中で、俺を判断されてたまるか!」「高校や大学の格付けなんかより、自分自身で自分を深化させることだけが問題で、自分を向上させるものを外部に求めるなんて、甘えているだけだ。」 完全な愚か者です。 確かに受験が終わったら、一生使わない単語や公式もあるでしょう。 でも、そんなことは、それこそどうでもいいことでした。 もちろん、あの時自分が受験に向き合わなかった「後悔という経験」も、確かに得難い経験の一つになったと考えることも出来ます。 しなければいけない時に、きちんとしておかなかった後悔は、取り返しがつきませ そして、受験も仕事も、家族も育児も、介護も・・・・・ |
「暗夜行路の裸電球」寒いっす。 急に冷えた痛いような寒さでなく、ジワジワと浸潤してきた寒さに支配されたよう 私は、生まれが青森なのに、寒さが苦手です。 友人は、 そう、冬眠しています。 もう、元気元気で動き回らなくてもいいでしょう。 コツコツと、やらなければいけないことを飽かずにやって、日々の中にささやかな喜びを見つけ、身近な人をちゃんと見つめ続けていたら、良いのだと思います。 大丈夫! だって、「私の豊作」と「あなたの豊作」が、春を呼ぶのですから。 |
「フッサールの背中は、存在していない?」この前、常連の方から、 「こっちに引越してきて、ちょうど2年になるんじゃないですか?早いですね〜」 そうか、もう2年になるのですね。 しかし、今だに昔のお客さんが飛び込んできて 「なんだぁ、こっちに引越していたとね。全然知らんやった。突然、店が無くなったから、やっぱりねぇ〜と、話していたとよ。」 「お久しぶりです。でも「やっぱり」は、ないでしょう〜「やっぱり」は・・・」 不思議に思うことがあるのです。 市場に買い物に行く時に、しょっちゅう店の前を通っていたのに、1年半気付かな これって、なんなんでしょう。 店の存在感が希薄なのでしょうか? 商売としては、確かにゆゆしき問題なのですが、なんか「時空の狭間」に落ち込んでいるような愉快な気持ちで、気に入っているのです。 「見えているのに、見えません。」 いいですね〜 |
「人類ポカン計画」ふっと、思い浮かんで、ほうと感心して、誰かに伝えようと思っているのですが、知らぬうちに、すっかり忘れてしまいます。 思い浮かんだ内容は、忘れてしまうのですが、この忘れてしまうサイクルだけは憶えています。 あ〜この前、なんか心動いて・・・・なんだったかな〜・・・その前にも、同じように何かを思いついてニヤリとしたけど・・・・ 初めは、「どうもこの頃、忘れっぽくなったな。年なのかな〜」と思っていたのです。 思えば、昔から、ふっと浮かんでは、すっと消えるサイクルを、数限りなく過ごしていたのです。 名前や単語が出てこないのは、もういいのです。 ただ、家路につきながら空を見上げた時に、ふっと思い浮かんだあの・・・・あれとか、店の棚をぼうと眺めながら漏れ出てきた・・・・それとか、昔のことを思い浮かべて、あぁ・・・・とか。 今では、何のことだったのか、全く思い出せないのですが、懐かしいというか、温かいというか、親しいというか、気持ちの「揺らめき」だけは残っているのです。 正直に言うと、記憶の壺には、この「心の残響」だけが増えてきていて、「言の葉」達は、少数になってきているように感じています。 知人に話すと なるほど、そうなのかもしれません。 しかし、しかしです。 「ふっと、思い浮かんで、ほうと感心して、誰かに伝えようと思っているのですが、知らぬうちに、すっかり忘れてしまいます。」 これって、心が豊かになって、小さなことでも感受する素敵な・・・ちょっと自己愛過ぎるか。 ・・・忘れよう。 何を書こうとして、この文章を始めたんだっけ・・・・ |
「堪え性のない十七年蝉」どうもこの頃、「自分の言葉」が、しっくりきません。 自分の考えや意見であることは、間違いないのですが、心の隅に違和感の残影を感じるのです。 加齢のせいかもしれません。 しかし、気持ち的には、嫌なわけではないのです。 しばらくは、大事に視野内の違和感を育ててゆきたいと思っているこの頃です。 |
「風の軌跡」自転車で(!!)東京から関西を抜け、四国を一周し、九州を走り抜け長崎へやってきた甥っ子Yは、含羞の笑顔で立っていました。 「お久しぶりっす。」 チクショー!カッコ良すぎるぜ! 草むらや地下通路の階段、スーパー裏の駐輪場や釣具屋の軒下、高架の下やら自販機の前で野宿をし、猛暑の中を走って火照った身体は公園の水で鎮め、それが風呂代わり。(風呂に入ったのは、道後温泉と九州に入ってからの2回だけ) チクショー!カッコ良すぎるぜ! 史上最高の気温を記録した今年、熱中症で人々がバタバタと倒れた夏に、タイヤが溶けるような道を、陽炎が揺らめく先だけを見つめて、ただひたすらペダルを漕ぎ続 チクショー!カッコ良すぎるぜ! 走り始めてすぐに、脚よりも手の平が腫れはじめ、痛くてしかたなかったそうです。自転車のハンドルに、雑巾をぐるぐる巻き付け対処をするが、痛みは治まらず。 チクショー!カッコ良すぎるぜ! 暗い山道に怯え、突然のクラクションに驚かされ、寂しさに襲われ、雨中の寒さに震え、なめていたことに身をつまされた。 Yよ。 遠くに行きなさい。もっと遠くに。 旅をした君なら分かるはずです。 遠くに行きなさい。もっと遠くに。 君の遠い旅に、乾杯!! |
「最重要貴重品拾得物」「去年の」今頃、私はガン患者でした。 (と、思っていました。) 血液検査の結果は、かんばしくなく、どうも血液のバランスが悪いらしいです。 肝臓のエコーを取ると、テカテカに光り、完全に「脂肪肝」になっていて、お医者さんから「このままだと、脂肪肝から肝硬変になるか、肝臓がんになってしまいますよ!」と叱られてしまいました。 が、そんな会話も、胸部X線画像フィルムを袋から取り出して、あの光ったスクリーンに差し込むまでで・・・・ お医者さんは、画像を観るなり顔を曇らせて、 「以前に肋骨を三本折られた事がありますか?」 「はい。家族でキャンプに行って、山道で足を滑らせ、背中から落ちてしまいました。その晩に救急病院に担ぎ込まれ、その折れた骨が肺を破って肺気胸になっていて、チューブを肺に入れる処置をしてもらいました。」 「うむ。その折れた肋骨はこの三本で、それらは補強された形で治っています。問題は、その上の「白い影」なのです。」 「この外から光が差し込んでいるような影でしょうか?」 「はい。三原さんが観ても分かると思いますが、この部分だけ不自然に肺の輪郭を崩しているでしょう。一度胸部CTかMRIを撮って調べた方が良いと思います。」 「分かりました。お願いします。」 「正直な話、急がれた方が良いと思います。今日はお時間ありますか?」 「えっ、まあ・・・」 すると、お医者さんは、すぐ横の看護士に 「撮影室が開いているか確認とって!今すぐ、胸部CTを撮りたいからって!」 看護士は、弾けたように部屋を走り出てゆきました。 私は、ただ検査結果を聞くだけだと思っていたので、短パンにTシャツ一枚の格好で、お金はほとんど持ってきていなかったのです。 「あの〜、今から胸部CTって・・・・お金がかかるのでしょうか?」 「三原さん、胸部CTは保険がききますし、次回持ってきてもらうので、全く構いません。命があれば、いくらでもお金は払えますよ!命があれば!」 ・・・・私は、ようやく自分が置かれている状況が、飲み込めました。 それから数週間、検査結果が出るまで、子ども達には内緒にしておこうと家人と決 「これって、「思い出旅行」?お父さんとお母さん、それでも隠しているつもり?検査・結果が出たら、ちゃんと話してよ!」 バレバレでした。
「三原さん、去年に引き続き、今年も撮ってもらった胸部CTですが、肺の境界とその外側に激しい炎症跡が見られます。しかし、大きくなってきていないようなので、様子見ということにしましょう。体調がおかしくなったら、すぐに来てください。それに、来年の健診も、X線撮影を飛ばして、直接胸部CTを撮ってください。」 「はい、ありがとうございました。失礼します。」 「ちょっと待って下さい。今年はですね、胃が・・・・・・胃カメラで観ながら、細胞組織を採って、良性か悪性か調べてみましょう。」 「えっ、今度は胃ですか?」 ・・・・・・・・・・ そして今、「来年の」健診は、胸部CTと胃カメラを義務付けられた「要観察患者」です。 それでも、充分ありがたいです。 いや、本当に、よかった。よかった。 |
「開放系のエントロピー増大則」身体が、どんどん歪(ゆが)んで、捩(ねじ)れて、傾いています。 先日テレビで、プリマドンナの吉田都さんが「生きてゆくということは、身体がゆがんでゆくということですから。」とおっしゃられていて、えらく納得してしまいました。 すぐさま家族に 「はぁ?」 「だからぁ、赤ちゃんの時は、身体の経験データが少ないから、神経系の発達も対称的に軸索を伸ばしているのだろうけど、長く生きることで、その人自身の固有の環境や経験がベースになって、身体の構造変化が起こり、アンバランスになってゆくと 「よく解らないけど、お父さんが、年々「偏屈」になって、見た目や行動が「奇人変人化」していくという事?」 「いや、それとは、ちょっと違うと思うけど・・・・原理は、同じかもしれん・・ 「昔は、その時の流行にも興味が向いていたけど、この頃は突然変なテーマにとりつかれて、山ほどの本や資料を図書館から取り寄せること? 「いや、まぁ、あの時は・・・勘違いしたというか・・・失敗したというか・・・そういうことではなくて、カラダのことをだな・・・ 「カラダの見た目は、どうでもよかとよ。問題は、性根よ、性根!」 家族にとっては、性根が、どんどん歪(ゆが)んで、捩(ねじ)れて、傾いてゆく方が問題のようです。 でも、それが自然な方向なら・・・・ |
「結界という名のテーブル」二十数年前に住んでいた場所は、ただ風が吹きぬけるだけの空間でした。 家は建っています。 突然、木立に留まっていたカラスが、「ハーハーハー」と笑い声を上げ、 「やっと戻ってきたのか!どうだ人間社会の居心地は? 漆黒のカラスは、それだけ言うと、ばさりと羽を広げ、たった二かきで視界から消えて行きました。 そうだ、私は多くの女郎達が眠る、無縁仏の園に帰ってきたのだ。 かつて私は、お墓の真ん中にある地蔵堂に住み、確かにこのお地蔵さんと共に飯を食べ、ここで眠り、湯煙の空を眺めていた。 そうだった、思い出してきたぞ。 生者の街には住み辛く、誘われるままに死者の舘に潜り込み、獣の住む山に登っては、土に手を突っ込んで麦畑を作っていたのだ。 あぁ、心地良かったなぁ。 永遠に続くのではないかと思っていた草取りの労働、完黙の修道女達との交流、熱心に存在エネルギーを語る人を前に、急激に醒めてゆく自分の心の手触り、これでもか、これでもかと湯呆けさせても残る彼女の幻影、無責任の甘味を口に放り込み、ディオゲネスの樽から社会を揶揄しては悦に入っていた・・・・ あぁ、心地良かったなぁ。 対称的にふかれていたはずの瓦は、片方だけに緩やかな曲線を残し、天上の棟部は不自然な距離のまま、中空からすとんと安っぽいトタンの壁になっている。 まあ、良かろう。 おい!おい!ちょっと待て! この「失せて現れた空間」は、「かつて存在していた者への供物」なのか? そう!二十年やそこらで変わりたくもないし、変わらんぞ。 |
「午後の栄光」誕生日を迎え、家族で食事している時に、 笑って誤魔化しましたが、確かに一理あると思った次第です。 急に問われた時、もちろんウケを狙った気持ちもありましたが、二十何歳の必要は、本来ない筈です。 なぜ二十代と答えてしまったのか? 頭では、それぞれの年代の価値を平等に考えてきたり、訴えたりしていますが、本心のところでは、二十代が一番良い(良かった)時期だと、感じているのだと思いま しかしよく考えてみますと、体力的には部活で身体を鍛え上げていた高校時代でしょうし、知識や思考力ではもっと後の三十代・四十代の方が、バランスが取れていた気がします。 ただ、思い返すと、高校時代から二十代後半までのたった10年は、何をしても「自分銭の貯金」になっていた時期で、それ以降はその自分銭を引き出したり、自分銭を投資・換金して、新たな活動資金にしたりしているだけだった気がします。 このことだけは、絶対的な力があった時期で、愚かであろうが、失敗の連続だろう 「二十何歳です」と言うことは、もちろんその頃への憧れや願望、追憶などがあったでしょうが、冗談ネタにする位には、その二十代の吸引力から脱して、離れて見れるようになったのだという気もします。 「また、山ほどの後悔と、山ほどの思い出を作ろうぜ!」と・・・・・ |
「オレが、ずっとそばにおっちゃるけん!」昼メロに、心を奪われてしまいました。 録画予約をかけて、家に帰ると、何をさておいてもTVのスイッチを入れ、画面に「愛の劇場」という伝統的時間枠看板を映し出します。 この番組は、平日昼の1時から放映されている『砂時計』(全60回)で、少女コミックが原作のバリバリ、コテコテの純愛ものです。 正直言って、かなり真剣です。 が、家人と子ども達に言わせると、ただの「純愛ドラマ依存症」だそうです。 う〜む。その指摘は、正しい気が・・・・ 同じ時間枠で放映されていた田中美佐子の『愛の嵐』も、欠かさず観ていました。 ドラマオタクなんだろうか? まあ、オタクでも依存症でも、なんでもよかばい! さて、今日も早く帰ろっと! |
「投皮マッサージ」「土になれ〜」 今日も私は、大声でミカンの皮を、庭に投げてきました。 家人からは、「わざわざ声を出さんでもいい」と言われているのですが、なんだか声を出さないで投げると、ただゴミを庭に放っているような気がして、嫌なんです。 他人から見ると、声を出そうが出すまいが、果物の皮やら卵の殻を窓から放っているのですから、十分奇妙で怪しい行為に見えることでしょう。 登校中の子ども達が、私を指差して笑っています。 家人が精魂込めて作っている小さな庭には、かわいらしい花や石、そして古壺などが散見しています。 なんと自然で、美しい様なのでしょう。 家人は、土を作るために、限定した有機物を投げることを許可しているのですが、私は、そんな理由よりも、声を出しながら物を投げる行為が、とても気に入っていま 声を出しながら、物を投げる! ええですよ〜。 「俺も、後から土に還るから、待っててな〜!」 「お父さん!恥ずかしいから、窓閉めて!!」 |
「Wちゃんと父ちん」わけあって小学2年生の娘を連れて帰ってきた友人と、先日飲みました。 「娘の部屋に行き 僕はメモ用紙を元の位置にきれいに戻し |
「なんでんかんでん」終りました。 今年も終わったし、仕事のある部分も終わってしまいました。 その他にも多くの事が、終わってしまった一年でした。 皆さん、お疲れさんでした。 しんどくて、精一杯で、あっぷあっぷでない人なんて、残念ながら一人もいないようです。 来年がどうなるのか、全く分かりません。 一人一人の「しんどさ」が、来年になって、ころっと変わるとも思いませんが、とりあえずまだ来ない「しんどさ」に不安がっても仕方ありません。 とにかく!今年の「しんどさ」は、終わりました。 よかたい!よか、よか! さて! ぼちぼち、ぼちぼちと、 新しい一年を歩いてみましょうかね。 |
「天蓋の亀裂」先日、久しぶりに家族で北九州に行ってきました。 調べてみると2003年4月12日に、懐かしい面々が集い、20年間封印していたタイムカプセルがこじ開けられ、錆び付いた時間が流れ始めたのでありました。 流れ出てきた時間は、多くの歓喜と安堵を各人の胸に届けてくれて、懐かしむだけ 同時に、他では代えられない時間が「なぜこんなにも長くカプセルの中で眠らなければいけなかったのか?」の問いが、立ち上がってきたのです。 その地から去った者、残った者、出入りする者、それぞれの心に「問いの影」が、長く伸びてゆきました。 光が、強くより明るくなれば、影は、漆黒の度合いを深め、闇の領域を広げてゆきます。 思えば、20数年前の光源が、ここまで届き、影を落としているなんて、稀有な時期だったのだと思います。 新しい生活に追われ、時間が流れるにしたがって、そんなに意識もしていなかった 今思うと、そんな聖域の封印を解いてくれたのは、スカさんだったのです。 それから数回の宴があり、スカさんは一人旅立って行きました。 しかし、スカさんのおかげで一度流れ始めた時間は、自然と皆の気持ちに染み出てきて、先日の饗宴が開かれました。 私達が向き合うべき方向は、光源ではなく、光源から遠くまで歩んできて、今を生きている「あなた」達だったのです。 よござんす。 |
「無一文者とその所有」先月、携帯を解約して、現代社会に馴染んでいない生活スタイルを過ごしていると書いたら、知人からある指摘をされました。 「今どき携帯を持っていない自営業者は珍しいとは思うけど、そんなに驚くことではないですよ。 「それ?って、何?俺の何か変なところある?」 「これだからなぁ〜、奇行や変人というのは、本人が全く意識していないから、他人が引いてしまうんですよ。」 「奇行、変人?俺が?そんな馬鹿な!世の片隅でひっそりと生活している善良な古本屋オヤジそのままだろ。」 「確かにひっそりと生活しているのは認めます。 「いや〜そこまで褒めなくても・・・・褒めているんだよね。」 「まあ、ある意味では・・・・褒められていると感じる感覚が、信じられないけど・・・・」 「いや〜、君はそう言うけど、これでも結構気を使っているんだよ。 「確かに店は広くなったし、前の店の時よりも随分と本が見やすくなっていると思います。 「はぁ?俺?」 「そうです!やっぱ、気付いていないんだ。 「気持ちいいから。」 「だから!今どき、気持ちいいからといって、ハダシで歩き回っている人、いないでしょ。」 「そうだよな。みんな靴を脱いで、ハダシで歩けばいいのに・・・・」 「普通の人も、家の中ではハダシで歩いていますよ。 「アーケード?えっ、見てたの?なんだ、声掛けてくれたらよかったのに。」 「声なんか掛けられませんよ!声掛けたら、知り合いだと思われるじゃないです 「なんで?恥ずかしがりやなんだからな〜 「そういう問題じゃないでしょ! 「そう、そう。そのままでいいですよ。と声掛けたよ。ハハハ・・・」 「はぁ・・・いっその事、畳を敷いて座敷にしますか。」 「おっ、それ良いね。古本座敷夢屋・・・・いいじゃん!」 「それって、自分の部屋とどう違うんですか?」 「・・・・・・」 |
「また一つ、これからも一つ、二つと・・・・」携帯電話を手放すことにしました。 大層な理由があるわけではないのですが、「私」が別に「いらないな〜」と思ってしまったのです。 持っていなければならない「必然性」は、もちろん初めから無かったのですが、持っていると便利なことや役に立つことはありました。 店番のバイトさんが、私といつでも連絡がとれることで、不安感が少し軽減されることや、本の問い合わせや困ったことにすぐに対応できることで、助かった事もありました。 携帯メールは、どうしても指と頭が動かなくて習得を諦め、受信しても家や店のパソコンから返事を出していました。 私が唯一携帯の必要性を実感するのは、倉庫で「時間」を確認する時と、一時期迷い込んで来た仔猫「ミルク」の写真が画面にあり、見る度に心がほわりとなる時だけです。 携帯電話って、どうやって使えばいいのですか? 携帯電話を使い始めて何年経ったのか分かりませんが、私の生活には根付かない道具だったようです。 今後は、たまたま私が家か店に居て連絡が取れる以外は、「行方不明者」三原です。 あぁ、清々した! |
「うつ病体験談」私は、以前「うつ病」に罹っていました。 もう7・8年前になるでしょうか、長崎に出店してから数年が過ぎ店売りも下降気味になってきたので、ここら辺で新しい手を打っておこうと古本の即売会、店でのトレーディングカード販売、そしてネット販売を同時に始めました。 そして、無理に無理が重なって、心のブレーキがかかり始めたのです。 私の経験上、うつ病になっても、仕事はこなせます。(よっぽどひどくない場合) 家族の何気ない行動や言葉には、イライラしますし、自分がこんなにも仕事に追われているのに、これぐらい手伝ってくれてもいいだろうとか、なんでそんなのん気な態度なんだ、周りは俺のことなんか何も分かってくれないなどと腹を立てたりしていました。 ある時、読んでいる新聞の内容が、全く頭に入ってこないことに気が付きました。 どうも「うつ気味」だなとは思っていますが、ひどくなってきているとは思っていないので、知人と会って気分転換や家族との会話などを試みて、少しずつ心の休息を心掛けました。 大体「希死念慮」について、探ってみようと思う事自体が、すでに死の概念に近寄っていることで、車を運転していても、ハンドルをここで右に切れば事故を起こしてしまうだろう、ほんのちょっと今、ハンドル切れば・・・ 電車がホームに入ってくる時が、一番危なかったです。 こんな場合は、自分で対処するのではなく、まずは病院に行って薬を飲まなくてはいけません。 が、ここが私の一番悪いところです。 しかしその際、この「うつ病」分析に集中するために(その理由を立てることによって)仕事を大きく削除しました。 そして自分の身体と精神を使って、じっくりと「うつ病」腑分けをしたのであります。(もちろん、このような思考実験が行えるのですから、うつとしては初期で軽度だったのだろうと思います。) その結果、自分なりに掴んだ事は多くあったのですが、「病院にすぐ行って、薬をもらうのが一番良い方法」だと、あらためて確信した次第です。 今度は、すぐに病院に行って、薬を飲んだ自己変化を分析しようと楽しみにしていますが、なかなか「うつ的症状」になってくれません。 家族は、もう少しアクセルを踏んで欲しいようですが・・・・ |
「真夏の夜の夢」ガタガタと音を立てて、身体が崩れているようだ。 その音の出所を知りたくて、2年ぶりに成人健診を受けることにしました。 確かアメリカ男性のガン第一位で、日本でも大腸がんよりも多く、早晩胃がんを抜いて2位になると言われていたはずである。 その晩、ネットで前立腺がん検診の方法を見て、思わず「ジゴンス(長崎弁でジゴ=お尻、ス=穴)」をキュッと・・・。 画面に広がっている輪切り人間の体位は、柔らかい曲線で描かれていますが、明らかに下半身をお医者さんにさらし、足を上げ、肛門から指やら器具やらを差し込まれているのです! こっ、これは!・・・・・ 自意識の無い赤子の時に、イチジク浣腸を受けたかもしれないが(常備薬の箱の中に奇妙な形の器具があり、恐る恐る光にかざした記憶があります。)少なくとも私の記憶の中には、名前も知らないうら若い看護婦さんに(私の中では、勝手に「看護婦さん」と決めつけていました)このような格好を見せたことはありません。 大変なことになってしまいました。 書類を隅から隅まで読んでも、どんな体位で・・・いや、どんな検査方法でするとか、書かれていません。 そして、もし、もしもですよ! だから、前立腺検診だけ完全自己負担で、快楽を・・・失礼、健康を買うのでしょうか? 目は画面に釘付けになったまま、頭の中では取りとめもない考えが、グルグルと回り始めていました。
今か今かと、下着を脱ぐタイミングを見計らっていた私に、優しい看護婦さんが 「はい。三原さん、終わりましたよ。会計で自己負担分を払って、来週検査結果を聞きに来て下さいね。」 呆然と立ちすくんでいた、私でした。 (前立腺検診は、血液検査で出来るようですので、皆さんも是非受けてください。) |
「ムーチョスグラシアス」我が家にメキシコ人が、やって来た。 ノリだけで世の中渡って行けると思っている息子は、深く考えずに「ホームステイ受け入れ可能家庭」に挙手をしたのであります。 「あんた、英語しゃべれると?」「寝るところ、どうすると?」「お父さんもお母さんも仕事だから、世話できんとよ。」「食べものの好みもあるだろうし、食事のことを誰がすると思っているとね!」「人様を預かると言うことは、あんたが考えているより、責任があるし大変なことなんよ、分かっているとね?」・・・・・ 確かに、我が家が受け入れ可能な条件を満たしているとは、到底思われません。 しかし、ノリだけで世の中渡っていけると思っている私は、深く考えずに「まあ、どがんかなるやろ。なんでもやってみよう!」と・・・・ 資料を見るとデンバーから来る学生で、ヘクター君とだけ書かれてあり、父の名がフェルナンドともあるので、ヒスパニッシュ系の米国人なのだなと思っていました。 かくして我が家の、ホームステイ受け入れドタバタ騒動の開幕です。 初めての晩から、温水機のスイッチを入れるのを忘れたまま彼をシャワーに導き、彼が寒さに震えて出てきた様を見て、「キャ〜〜!ソ〜リ〜!」 最大の問題は、英語力。 しかし、サイは投げられているのです。 彼は、唯一話が通じる家内に必死に話しかけ、彼女も家事の合間に受け応えます。 そんな彼との生活が続き、気が付くと普段はみんな「自分」のことばかりで手一杯なのに、知らぬうちに相手のことを読み取ることを第一義に考えるようになっていました。 コミュニケーションって、まず相手の言っている事を「聞く」ことから始まります。「聞いて」その内容を理解・吟味して、自分の考えをまとめ、「話す」に繋がってゆきます。 今回のように「聞く」こと「話す」ことに障害があっても、お互いに相手のことを想像し、汲み取る努力をすることで、コミュニケーションの扉が、開きます。 そう考えると・・・・・・・コミュニケーションの原則がそうならば、別に異言語交流に限らないはずです。 私は相手のことを、ちゃんと「聞いて」いただろうか? 相手の言っている事を、自分の言いたい事の「踏み台」にしていただけではないか?自分の言いたい事が大事で、相手のことを「聞いて」いただろうか? ヘクター君との会話は、とても大変でした。 でも本来、コミュニケーションって、困難な作業のはずなんです。 そして、こんなにも「楽しい!」経験だったのですね。 ヘクター!グラシアス! |
「自気即是空空即是自気」なぜこんなに、時間に追われているのだろう? そんな「感じ」に囚われているのは、私だけなのだろうか? 以前、この「時間影踏み」を解決するため、取り組んだ事があります。 ◎しなければいけないと思っているものを、もう一度吟味して、明日出来ることは、明日するのではなく・・・・・・「諦める」 確かに問題の整理もつき、心動かす問題も少なくなりました。 が、空いた時間に結局何かを埋め、「まず、この本読んで、次に録画した映画観て、この前のゲームの続きをして・・・・」 状況は、変わりません。 今回は、少し攻め方を変えてみることにしました。 思い切って、宇宙生誕「ビッグ・バーン」以前に帰ろうと思います。 私の勝手な解釈ですが、宇宙生誕以前を想像してみると、そこには何も「無い」のです。 時間に追われていることから自由になるには、この時間が生まれる前に行くしかないと思うのです。 そう、時間感覚も無く、眠たくなったら眠り、腹が減ってはおっぱいを吸い、言葉もなく、ただ己の存在を震わせていたあの赤ちゃんに。 自分の時間を、「言葉で」細分化しすぎているのではないだろうか? 本来だったらそんな疲れた心と身体を癒すための「休息」も、日にちや時間を考えに考えて予定・計画し、休む理由や方法を事細かに言語化して、「時間や心の空白」を「恐れる」ように、必死に「言葉を使って」自分を「安心させよう」としていないだろうか? 「休息」「癒し」「リラックス」「自分へのご褒美」「気分転換」「音楽聴いたり」「眠ったり」「酒飲んだり」「放棄」「身体を動かす」「楽しむ」「自分の趣味」・・・・・ 「休息」時間のイメージが、細分化し、それが自己に絡まり、選択し、意味を問われ・・・・「休息」を懸命に活動しています。 一日の中の「生活」も、事細かに「言葉」で埋めていないだろうか? 少し「心を覆う言葉」を減らしてみようと思います。 赤ちゃんのぽっかりした「心」は、追われる「時間」も「空間」もありません。 |
「ア〜〜〜ン、マンマ」この頃、知人男性の中で料理をする人が増えてきました。 私は・・・・・・ダメです。 もちろん、学生時代とか関西で福祉作業所をやっていた時は、毎昼ごとにジャガイモの皮をむいたり、献立に頭を悩ましたりしていましたが、そんな機会が無くなると・・・・・・全然ダメです。 それなのに、料理の本とか道具の本などは性懲りもなく眼を通しているのです。 「ねぇ、ねぇ、塩少々と砂糖少々って、量が違うって知っていた? 「あのね。見ての通り、私は今その「料理」真っ最中なんです。講釈はいいから、たまには料理して、塩少々振りかけてみたら!」 ・・・・・全くダメです。 レストランでバイトしていた時に、チーフシェフから 「三原!お前、料理人にむいているから、この道に入ってみないか?」 「えっ、そうですか?自分では全く気が付かないのですが、チーフの眼から見ると、隠れた才能が輝いて見えるのですか?」 「お前の才能は、隠れてなんかいない!うちのスタッフは、みんな知っているぞ。ダントツだって。」 「へへへ・・・みんながそんな風に、見ていたなんて・・・照れくさいな〜」 「いいか。料理人に大事なのは、「不器用さ」なんだ。」 「へっ?」 「手先が器用だったり、なんでもすぐにこなしてしまう人間は、初めはトントンと上手になるが、ある時点まで来ると、そこでパタリと行き詰まって、伸びなくなってくる。 「・・・・・それって、私が不器用って、ことなんでしょうか?」 「当たり前じゃないか!どれだけお前の失敗に、厨房が大慌てしたことか!もう、忘れたのか?お前ってやつは・・・」 チーフ、あの時は心温まる勧誘のお言葉、ありがとうございました。 しかし、今思うのですが、努力する器用人もいるし、努力しない不器用人もいると思うのです。 他人が食して幸せになったり、命を繋げたりするものを作り上げ、提供する料理人 そうか! 「頂きます!!」 |
「菜の花の背筋」いつも今頃になると、彼女を想い出します。
ここ数年ご無沙汰していた親戚のYさんだと気付き、慌てて挨拶すると、中国語で返礼がきてビックリしたり、ニ十数年ぶりに会った高校の同級生に声を掛けると、英語と片言の日本語で人違いだと教えられたりもします。 だからか、日本語、英語、中国語、韓国語の「ごめんなさい」だけは、上手に言える様になりました。 普通の若い女性が、雑誌の棚や一般書の棚の前で本を読んでいました。 「ほう、一時間ほど経つのに、よっぽど面白い本に出合えたのだな。」と思った瞬 「ごめんなさい。気にしないでそのまま読んでいていいですよ。椅子もありますから、遠慮なく言ってくださいね。」 と言うと、 彼女は、小首を傾げたまま、困惑したようにこちらを見ています。 そして、ゆっくりと「日本語・・・・分かりません。私・・・中国・・・仕事・・・来ました。」 あっ、と思いながら彼女が手に持っている本を見ると、中国紀行本でした。 「対不起ドゥイブチィ!(ごめんなさい)えーと、我ワオ不プーえーと分かる・・不プー分かる・・いや、分からない中国ツォンクォウ語っ 「私・・・少し日本語・・・大丈夫です。」 片言日本語と筆談で話を聞いてみると、彼女はここからバスで30分ほどかかる所の食品工場で働いているとのことです。 「工場仕事終わって・・・ここ・・仕事ありますか?」 「えっ、バイト?仕事?・・・う〜ん。対不起・・夢屋・・・仕事無い・・ごめんな。」 話の中で、彼女がバス代を浮かせるために歩いてここまで来ていることも察しがついたし、なんとか手助けが出来たらとも考えたのですが、工場の仕事もきつそうだし、それが終わって夢屋に来るには体力的・時間的にも大変だろうと思うし、日常会話がまだまだで筆談に頼らなくてはならないコミュニケーション力では、お客さんや他のスタッフとの関係を築いてゆくのも時間がかかりそうでした。 「ごめんなさい。仕事・・・不要プーヤオ・・・・すまんけど。」 彼女は、少し笑みを浮かべ、はっきりとこう言ったのです。 「私、お金・・・要りません。代わりに・・・・ここで、本・・・読ませてください。」 「えっ!」 私は、本当に恥ずかしかったです。 慌てて、 しかし、彼女はそんな憐憫や施し的な申し出から自由であるために、自分の「労働」を提供しようとしたのです。 「ありがとうございます。」 彼女は、にっこりと笑って頭を下げると、故郷の本を棚に戻し、店を出てゆきました。 その後、二度と彼女が夢屋を訪れることはありませんでした。
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「ブラウン運動は、人を選ばず、拡散す!」タバコをやめて、一ヶ月経ちました。 確かに、仕事が一段落した時、食後、込み入ったメールを書く時には、吸いたくなります。 この先、酒宴の席で自制心が弱くなって、つい吸ってしまう事があるかもしれません。 しかしその翌日からは、またタバコを吸わない日々を続けることは、間違いない気がするのです。 散々聞かされたタバコの害や医学的見解、社会の趨勢は、もちろん頭で理解していました。 世の中の正論に組する居心地の悪さ、自分の選択肢を奪われるような抵抗感、ニコチンによる薬物支配、単なる習慣なのに尊大に意味付けした行為認定、心の不安代謝としての依存行為、未熟な自意識による自己擁護・・・・ どれがと言うよりも、全部を使って必死で正当化していたのです。 家では1本も吸わないようにしているし、前よりだいぶ本数も減ったから、ニコチンの害も少なくなってきているはずだよ。
アメリカのどこかの州で、タバコの煙は大気汚染と認定されたそうです。 ヨーロッパでのパブでも完全禁煙となり、お客が吸ったら店主が1本につき42万円もの罰金を払うようになりました。 先日行った薬局内のポスターに、こう書かれてありました。 児童虐待のニュースに眉をひそめて虐待した親を責めるくせに、自分はタバコを吸いながら子どもを虐待しています。 自分の子どもであろうが他人の子どもであろうが、「子どもを虐待したり、殺したりすることはしたくないから」タバコを吸うのをやめようと思ったのでした。 |
「牛背の妙好人」あっ! と言う間に、1月も終わろうとしています。 知人から、言われていたことがあります。 「三原君。人生って帳簿台帳みたいなもので、毎日こつこつと書き込みながら、ある時その残高を引き継いだまま、パラッとページをめくる時があるんだよ。 深くこの言葉が胸に響きます。 元来、知識欲はあるのですが、知識に信頼は置いておらず、なんとなくの嗅覚や第六感の方に信をおいて生きて来ましたので、この声には素直に耳を傾けたいと思っています。 何年も新年の抱負とか目標なんぞ立てたことはありませんでしたが、今年はその声に導かれるように、二つの目標を立てました。 「太る」 です。 年末のある時、風呂場にあった体重計に乗ってみると、50kg台を針は指してお 貧乏性の私は、睡眠を多く取ってしまうと、一日が短くなったような気になって、 ページをめくった第一行が、「太る」「寝る」では、いささかカッコ悪いですが、次のページめくりには、必要なようです。 本年も、どうぞよろしくお願いいたします。 |
「哀しき修羅の道」今年も多くの知人、同級生との別れがありました。 年々、別れが胸にずっしりと堪えます。 亡人達の名を列ねるだけで、じわじわと外堀を埋められているような逼迫感を感じるのです。 どこかの思想家が、「嘗て一度たりとも、政治がその掌のなかから死を手放したことはない」と言っていました。 しかし、今は思うのです。 私達は、「自分の死」を想像するだけではなく、創造しなくてはならないのです。 生きたい様に生きれないのも辛いですが、死にたい様に死ねないことは辛さを伴った酷さです。 「自分がどう死にたいのか?」と問うことは、「自分は、本心では何を望んでいるか?」「自分は、どうありたいのか?」「自分が生きてきた人生は、なんだったのか?そしてそれをどう閉じたいのか?」への回答を模索することです。 たとえ「自分」が、時代による無意識の集積物であろうが、創られたものであろう 微かな傷かもしれません。 しかし、確かに私達は、「世界への傷」を刻んできたのです。 最後のノミを世界から離す時、想いという筆圧を手放す時、どのような傷跡が見えるのでしょうか。 闘病者が時に見せる透明な世界は、生きてゆきたい気持ちを踏まえた上で、自分の傷跡を正面から見ることが出来た「贈られた地平」なのかもしれません。 考えてみると、こんなに難しく苦しい「生」はありません。 今年のことは、言うまい。 先達の墓標とエールを背に受けて、よろめきながらでも修羅の道を歩んでゆこうと思います。 |
「スクルージ爺さんの贈り物」私は、物が無くても寂しくないし、あまり欲しいと思わないのです。 ただし一度手元に寄って来たものは、捨てきれずにいつまでも持っているのです。 不思議なことに、手放すことに心残りも、もったいなさも全く感じませんでした。 「所有」とは、何なのでしょうか? 有形無形を問わず、人は「所有」の行為を続けています。 禅僧の様に、モノを得ることは捨てることと同じで、結局何も無い、そう「無い」ことも無い「無」なのだ!喝!
最後のシャッターを下ろす時、一瞬、店の奥で本を読んでいる自分を、見た気がしました。 「お疲れさん!」 |
「バージェスト動物群の障害物競走」突然、電動ヒゲ剃り機が充電しなくなりました。 充電しようと思ってコンセントに差し込んでも、充電ランプは沈黙を守ったままで、電源を入れても情けないほど力無い音が鳴るばかりです。 いっそこれを機会に、今流行の無精ひげにしようかとも一瞬思いましたが、ただでも貧相な顔をわざわざ累乗するようなものだと、諦めました。 しかし、何年ぶりでしょう。 間違いなく、人も物も「変化」しているのですね。 物が壊れるのは、突然に決まっているのですが、でもよく考えてみますと、目に見えない部分で少しずつ「壊れる」に歩みを進めていたのかもしれません。 気付かない小さなスイッチが、一つ、また一つとONに切り替わってゆき、ある日突然大きなスイッチが「パチリ」と入り、慌てて切り替えようと思っても、もはや小さなスイッチを戻す事は出来なくなっています。 そうやって「変化」は、突然訪れるのです。 さて来月は、突然の「夢屋」移転です。 「小さなスイッチ」を、一つ、また一つと・・・・・ |
「unブッダ」この頃、他人に「文句」ばかり言っていませんか? 私はとにかく「時間」が欲しいです。 家族旅行もしたいし、それ以上に一人旅をしたい。 知人とゆっくりと酒も飲み、寝たいだけ寝て、おいしい料理を堪能し、素敵な風景に見惚れていたいです。 現実的には「お金」が莫大にあれば、この「欲」のいくつかは実現可能なのでしょうが、「お金」が莫大にあるということが、充分「現実的」ではありません。 人生経験をいくら重ねても、本を読んで小賢しくなっても、世界を見てはるかに恵まれた状態に生活していても、「欲」はつきないし、「不満」も尽きません。 ただ、「不満の質」がちょっとこの頃変わってきているような気がします。 「他人」に傾いている分、自分自身への内省は軽くなり、「他人」への期待や意味が大きくなります。 この傾向が、人類の普遍的な方向性なのか、仕方がないことなのか分かりません。 「欲」まみれに生きてゆきたいと思っています。 でも、「不満」ぐらい「他人」のせいにせず、「自分」の手元に置いておきたいものです。 |
「地中の水脈は、今日もポコポコと」当店も軒を連ねるアーケードですが、ここ数年で空き店舗が増え、それがまたなかなか埋まりません。 「来週、孫が帰省しますので、また連れてきますね。」 今年の夏も小さな常連さんを無事迎えることが出来ましたが、正月は・・・・ って、そんな遠い先のこと全く考えていません。 今日もまた一日こつこつと働いて、明日もまたこつこつと働く、帰って家族とご飯を食べながら、とりとめもない話題に冗談を飛ばし、週一の連ドラを楽しみにし、読み終えた絵本を開いては子ども達に薦めてみる。 そんな時間は、小さな常連さん達が支えてくれているからだと、改めて感謝している次第です。 ささやかな幸せは、小さな出来事と小さな時間が積み重なってしか成り立ちません。その小さな幸せは、他には代えがたい大切な「大事」であります。 |
「無窮の鐘」先月の自殺に関しての感想文に、多くの人からメールやら意見が寄せられました。 7年連続で毎年3万人以上の方が自死している現在、もはや無関係、無縁な人は一人もいないのが現状だと思います。 そんな人の琴線に触れるような問題を、私が書き連ねる恐れ多さも感じていますが、秘匿にしていることの弊害や無視出来ない現実、今問題提起しておかないと後悔してしまう危機感もあり、表現力の不足や稚拙さがあると思いますが、何度も書いてゆくつもりです。 前回の「なぜ私は自殺していないのか?」という文言は、自殺しようとしている人、自殺した人の問題という限定された問題ではなく、自分の問題として曳きつける考え方の提案にしたかったのです。 なぜ彼は?や自殺者がと考えがちになる問題を、「自分」の問題として引き受けるには、どう考えたら良いのか?と言うのが、私の考えてゆく鳶口であり、立脚点であるのです。 今結果として生きていることは、「自殺」を選択しなかったということで、生きている様々な選択の中の一つである「自殺」を選んでこなかったのはなぜか?と考えると、他者の問題ではなく自分の問題として、少し近づけるかもしれないと思ったのです。 別な意味で言うと、具体的に死にたいほどの悩みが無かったとか、死ぬ勇気が無かったとか、死にたくなった時に友達に救われたとか・・・・と考えるとすれば、それは言葉を返せば、死にたいほどの悩みがあれば、死ぬ勇気があれば、友達がいなければ、私は死んでいた、死んでいると考えて欲しいのです。 前回のもう一つの提言は、自殺は社会要素の強い死である、ということです。 人が個人的な悩みに陥ると、本人の意思を超えて社会の枠組みの選択肢に支配されるという悲劇がここにはあるように思います。 ALSの人工呼吸器の拒否や尊厳死など、人間が純粋に本人の意思で死を選ぶ時、このうつ的、衝動性の情報減少の中での社会要素の死を選ばせないように、数ヶ月の継続的死の意思を確認するのが条件にあります。 自殺者の中で、純粋な自分の意思での死の選択者とうつ的状態で行ってしまった自殺者は、分けて考えなければいけないような気もします。 死の選択に導いた条件は、本当の意味で不可変だったのか?不治の病が治る可能性あれば、意思の決定は覆されなかったのか?自己の尊厳を守るための死とは・・・・ 人が自殺者の意思の問題を言う時、この意識的な人達を念頭に言いますが、現実的にはほとんどの人達が、思考狭窄の衝動的でうつ的な自殺を試みているのです。 どんな理由があろうとも、人が死んでしまうのは、悲しいです。 悲しみは、記憶の花になるけれど、後悔は、ただ時間を殺すだけなのです。 |
「月からの使者」ここ数ヶ月、杖をついたおじいさんが来店してくれます。 ゆっくりと店内を回り、棚の本を指差しては「これは、幾らですか?」と尋ねられ、「はい。1200円です。」と答えると、「なるほど、1200円ですね。」と言っては、また店内を一巡して、同じ本を指差し、「これは、幾らですか?」と・・・・ この受け答えが、一時間近く十回ほど繰り返します。 90歳近くの年齢になっておられるようで、認知症(痴呆症)を患っているのでしょう。 このような方に物を売るのは、とても難しいです。 聞くと家は近くのようですので、私が荷物を持ちますと申し出て、自宅まで一緒しました。 その足で公園に引き返し、ベンチに座りしばらく話をしました。 「ところで、いつも買っていただく本は、科学や宇宙関係の本ばかりですが、科学関係のお仕事をされていたのでしょうか?」 「いや〜、そういう訳ではないのです。ただ、宇宙の本を眺めていると、少々嫌なことがあったり言われたりしても、腹が立たんとですよ。なにせ私達の尺度なんて、宇宙に比べたら本当に小さいことですからね。」 「全く仰るとおりです。小さいですね。」 「宇宙は、良いですな〜」 私にとっては、おじいさん、あなたが宇宙そのものです。 |
「逆さ壺の底は恥じらい」鍬を握るのは、何年ぶりだろう。 二十数年前に大分の山奥で麦畑を開墾していた時以来だろうか? そして今、小さな庭の片隅にひたすら穴を掘っているのである。 隣の小さな子ども達は、面白がって私の周りを飛び跳ね、笑い声を上げています。 胸筋が軋み、腰がうめき声を上げ、手にはマメが出来ていていますが、とても楽しい のです。 気がつけば、我が身を横たえるに程よい深さと大きさの穴が出来つつあります。 今日も仕事を早退して、「穴」に会いにいくつもりです。 |
「一枚のウィグルの空」スカさんへ 今は、どの辺りにおられるのですか? スカさん、あなたは本当に最期までやさしく、最期まで不思議で、最期まで旅を愛する人でした。 誰に対しても敬語を使い、無遠慮で生意気な私にでも、笑いながら丁寧に応えてくれました。 若い時から旅を繰り返し、行く先々で数知れない仕事をこなし、旅先で多くの人達と交わり、話しているとどこにそんな時間があったのか考えられなくなるほどの経験を積んでいるのに、過去のことを多くしゃべろうとはしませんでした。 私などは、ことあることに昔の旅の話をするのですが、考えてみると自慢のように旅を語る人は、もうすでに旅を止めた人なのでしょう。 でもスカさん、旅は確かに多くの驚きや喜びを教えてくれますが、同時に生きていることの寂しさを否応もなく突きつけて来ます。 スカさん、あなたはどうして歩いて行けたのですか? スカさんが、最後の旅に出る2ヶ月前のメールで書いていた言葉を思い出します。 >旅とは、別な言葉でいえば「手放す」ことだ。 >そうおもいながら旅の準備をしています。
今年も桜を追って、追って、追って・・・・とうとう手が届かないところに行ってしまったスカさん。 そちらの桜は、どうですか? |
「完落ち」山頂の短大に本を届けに行った時のことです。 事務所に本を納めて外に出ると、山の裾野はすでに夕闇に支配され、その影は音もなく足元に忍び寄っていました。 すると、一人の女子大生が駆け寄ってきて 2人の学生を乗せ、ゆっくりと山を下りて行きながら、ここは無駄口をきかず熟練のタクシードライバーに徹しようと心に誓いました。 「今日の吉田先生、ちょっと変じゃなかった?」 「京子のカレシ知ってる?ちょっとアブナさそうだけど、かなりカッコいいよ。」 「元町に出来たケーキ屋さん、行った?」 タクシードライバーも、悪くありません。
「いえ、いえ・・」 「きゃ〜。ドアが開かない!」 ちょ、ちょっと待てよ、ドアロック掛かっているんじゃないか?ロックを外せよ、ドアロックを! 暗くなってきた山の中、一見親切そうなおじさんだったから乗せてもらった車だったけど、 うっそ〜!!!(私) うっそ〜!!!(彼女達) 私はガックシと肩を落とし、何も言わずに手元のオートロックを解除したのでした。 学生達は「ありがとうございました!」と言いながらも、慌てて外に飛び出し、走り去ってしまいました。 親切なタクシードライバーから、性犯罪誘拐凶悪連続殺人者(?!)となった瞬間です。 |
「粉雪は、風景を覆い、個々に舞い落ちる」交差点の途中で1円玉が落ちているのに気付き、拾おうかどうか迷い、結局そのまま通り過ぎてしまった。 「一円を笑う者は、一円に泣く」という言葉に逡巡したが、お金を拾ってポケットに入れる様がカッコ悪く思え、また1円ぐらいという気持ちもあった。 でもその後ずっと気になって、あとで見に行ったら1円は無くなっていた。 なぜか、ほっとした。 日曜日に、子ども達とたこ焼きを作った。 何年も前に100円ショップで9個焼きの鉄板を買っていたのだが、ついに使うことが出来て嬉しかった。 くるくるとひっくり返す先のとがった道具が無かったので、割り箸に爪楊枝をさして輪ゴムで留めたものを作り代用した。 私と息子ペアのたこ焼きは、形が不揃いで中身がべちゃべちゃだったが、娘とその友達ペアのたこ焼きは、こんがりと焼けてとても美味しかった。 家人が車をコンクリーの壁に擦り、無残な跡がくっきりと残った。 いつも内輪差を注意をするように言っていたのにと腹が立ったが、運転席と反対側なので普段は見えなくて、忘れてしまっている。 お弁当を買いに店を出た。 近くのお弁当屋さんと違う所で買おうと反対方向に歩いて行くと、ついこの間まで あった和菓子屋さんが閉まって貸し店舗になっていた。 明るい笑顔でお客さんと話していたおばちゃんを思い出して、寂しい気持ちになってしまった。 結局何も買わずに、ホットコーヒーを買い公園で一服して店に戻る。 父が世界一周の船旅に半年かけて行こうと、少し恥ずかしそうに誘った。 半年も家を空けられるはずないじゃないかと苛立ちながら応えたが、嬉しくてニヤリとしてしまった。 父との残り時間も考えて、そうだな思い切って行ってみようかなと思った瞬間、夢から覚めた。 しばらく布団の中で、じっとしていた。 店で、単行本上下巻が2000円で売れた。 同じ本があったことを思い出し探したら、売れた本のすぐ近くに1800円で置いてあった。 お客さんには悪いけど、少し得した気になってしまった。 ずっと棚にある本で、ネットで見たら他店が3500円付けていたので、今度目録入力する時は3000円つけて出してみようと思いながら、数ヶ月そのままにしていた。 ある時お客さんがその本をカウンターに持ってきて、値段を見たら300円だった。 思わず手が止まり、まじまじと値段を見てしまった。 もの凄く損をした気持ちになった。 何かの拍子に大学時代の私の下宿が話題になった。 3畳つなぎの廊下のような部屋や、電気の無い本屋の倉庫に住んでいた事、一日中日が差さない暗い部屋やリヤカーで引越しした話を家族は大笑いで聞いていた。 話していながら、とても穏やかな気持ちになって、私も笑っていた。 知人の見舞いに病院に行った時、エレベータから降りようとすると車椅子の人がいたので、ドアを抑えて乗り込んで来るのを待っていた。 入れ替わって外に出た私に、車椅子を押していた女の人が頭を下げ、ちょっと遅れておばあちゃんがゆっくりと頭を下げられた。 そのお礼の気持ちとエレベーターに満ちた二人の雰囲気に、私も静かに頭を下げた。 |
「百代の過客」当店には、外国人の人達もよく「覗き」に来ます。 英語、中国語、韓国語、スペイン、ドイツ・・・全く見当も付かない言葉をしゃべる人達も多いです。 私ははっきり言って、英語はほとんどしゃべれません。 「ペラペラ・・・・・」 自分でも凄いと思ってしまう時があります。 外国の方の根気と寛容がなせる業なのでしょうが、話しているとなんとなく相手の言いたいことが想像でき、それに対して返答すると、大笑いしながら相手も返してきます。 シンプルな単語で語られる内容は、シンプルな話になるとは限らなくて、より複雑になったり、お互いが勝手な想像で違う話を進め、延々と話していた挙句出てきた単語一つで、「オ〜〜〜!」とまた共通の道を歩み始めることも多々あります。 国のお母さんはこれが好きなんだとか、イタリアで待っている8歳の息子へのプレゼントだとか、観光で長崎に来て今度は香港に行くとか、台湾の地震の時は酷かったとか、スイスでもポケモンカードが流行しているとか、漁船に乗っていてロシアに帰るのだとか、韓国でも「冬ソナ」は話題だとか、大学の休みを利用して原爆関連を調べに来たとか・・・・ 様々な背景を持った人間が、違った背景を生きてきた人間と出会い、別れます。 英語をしゃべれない長崎の変わったオヤジの記憶が、今も世界を旅しています。 「ハブアナイストリップ!」 |
「座布団の上の楽」今年もいろいろな事がありました。 来年も目指すは、「まあ、まあ、こんなもん」 ただ近年、世相を見ても身の回りの動きを見ても、私の能天気採点ではちょっとカバーしきれないほど、「言い知れぬ影」が色濃くなってきているように思えてなりません。 これが何なのか、何故なのか、単に経済的なものなのか世界動向なのか、はたまた意識の変容なのか、私には皆目見当も付きません。 ここ数年、分からない、分からないと言い続けながら、貧弱な想像力を精一杯広げて 言葉を弄しても、その外から驚愕の事件やデータが、あざけるように降って来ます。 子どもの時や大人になって新聞紙上の事件を見ていた時、どこか自分だけは大丈夫なような特異点を感じていたのですが、この境界を取り払われたような不安が常にあるのです。 おっと、また迷妄癖が始まった。 多分来年も、この性分は変わらないでしょうから、分かりもしない手探り遊びを続けてゆくと思いますが、ただ一点来年に期する事があります。 「生きていること、それはそれだけで充分苦しく、孤独で、哀しみに満ちているものだ」 そんなこと、わざわざ言葉にする必要もなく、大前提であったはずです。 世界は、安易な癒しや愛の看板が所狭しと立ち並び、誰でも彼でも握手を求めて手袋をはめた手を伸ばしてきます。 確かに楽しい事は多いに越した事は無いでしょう。 真の「楽しい事」が何なのか問われると、心許なくなってしまいますが、求めるなら 「生きていることは苦しい」から、「だから」この一瞬の「喜び」は代え難く、尊く、ありがたい「生」に邂逅したいものです。 皆様の幸多からんことを、お祈り申し上げます。 |
「空の青と海のあを」夜になると奇妙な行為を・・・・ それは毎晩というわけではないのです。 家族は、存在していないかのように、テレビを見たり本を読んだり・・・ 全て自己流です。 数年前から寒くなると背中と腰に激痛が走るようになったこと、店でPCの仕事をしていると、知らぬうちに腰の部分で折れて、おばあちゃんが道端で座り込んでいるような姿勢になっていて、背筋を伸ばしている事が持続できなくなってきた事、PCの時間が長くなってきたので、肩こりがひどくなってきたことなどから、考え付いたのがこの運動なのです。 鍛えるのが目的ではないので(結果的に筋肉の補強にはなっていると思いますが)ダンベル運動のように持ち上げの反復運動をしているわけではありません。 身体が衰えてゆくのは仕方が無いといえば仕方ありませんが、身体の不調が直接的に心の不調に繋がる自覚が年を追って増してきているので、心だけのケアでは覚束なく感じているのです。 自分の両手で握手してみると、右手が左手を握っているのでしょうか?それとも左手が右手を握っているのでしょうか? どっちがどっちと言えないそれぞれの手が、相手の手を確認しあいながら、ゆっくりと力を入れあっています。 心の方が「がんばって」ぎゅっと握ると、身体が痛がります。 身体が痛がっている時は、心の力を抜いてあげましょう。 明日の朝は、きっと良い天気です。 |
「氷雨は矩形の樋を行儀良く」う〜ん。なんと言っていいのか分かりませんが、日々が淡々と流れていってしまいます。 毎日基本的な仕事の動きをして、その場その場をやり過ごし、問題があってもそれなりの対処をして、帰って家族とご飯を食べ、寝る前にぱらぱらと本を読み、気が付けば翌日の仕事に復帰しています。 別に大きな悩みも無く、足らない事ばかりですが、それはそんなもんだと苦にもなりません。 こんな風に言葉で心情を表現すると、なんかうつ的心情になっているように読めるのですが、ちょっとそんなのとは違うようです。 大過なく決まったリズムで日々が送れている事が不満だといえば、自分でも贅沢だと思います。 他人に気を使うわけでもなく、勝手気ままに弁を弄して、興味のおもむくままに好きな本や趣味に時間を使い、あまり生産的でない仕事ですがそこそこにこなし、家族は大病もなし・・・ 甘えるなとか、お前のいつもの退屈感だとか、日常に倦んでいるじゃないかとか言われそうですが、確かにそうかもしれません。 毎日、個人の身の回りに新しい事件が起き、新聞やテレビの中でも事件が起き、代用不能な絶対的事象が起きているのに、不可蝕感を拭えません。 時代や社会が重層的非決定な様相を帯びているのだ、と言った思想家がいましたが、まさにそんな中で生きてゆくというのは、この不確定を引き受けると言う事なのでしょうか。 最近、爬虫類だった頃の夢を見なくなりました。 |
「夜明け前の青くび大根」何回失敗しても、いくらやっても上手くいかないのに、性懲りも無く「今度こそは!」と思って・・・・止められないことがあります。 他人のそんな面を見て、ある人に相談すると 普通そんな心の奥底を見詰めたり、悩んだりしないから(もちろん失敗のケースにもよりますが)言外に治らないという事なのだなと理解するのであります。 お金のこともあるだろうし、女遊びや性根の悪い男ばかりを好きになったり・・・・ 前にもこのメールで書きましたが、我が家のテレビが調子悪いのです。 人間というものは、急激な変化には驚きや戸惑いを感じますが、ゆっくりとじわじわと変化するものに対しては、とてつもなく寛大で平穏無事に「悪化」してゆけるものなのです。 今年の夏は、夕立による多少の湿気も吹っ飛ぶ暑さで、エナメルの配線にすぐ微量な電力が流れ、画面を立ち上げてしばらくすると声が出てくるので、何とかやり過ごしてきました。 先日の台風はひどかったです。 台風のつめ跡は、我が家のテレビだけに残したようで、その後全く音が聞こえなくなってしまいました。 だいたいがあまりテレビを観ない我が家は、テレビがあることを忘れてしまったように、何事もなく日々を過ごしていたのです。 しかし、とある日曜日私は赤い道具箱からドライバーを取り出し、「家族のために」の御旗を掲げ(家族は誰も望んでいなかったようですが)テレビ解体及び修理の大事業を始めたのです。 思えば学童時の時計解体から始まり、大小様々な物を分解したものです。泣き叫ぶ子どもを押しやり、電動玩具の構造を説明してあげるとバラバラにして、二度と動かなくなったり、プレイステーションの蓋が引っかかるとの理由だけで、禁断の園に足を踏み入れ、ゲームソフトが埃をかぶってしまった事も、ビデオカメラに店のレジ、ビデオデッキはもちろんの事、他人の家の扉が軋むと言うので扉ごと外してしまった事もありました。 今までの失敗は、今回のテレビ修理成功のためにあったのです。(多分・・) テレビを部屋の真ん中に引き出し、後ろを慎重に外して、ブラウン管からボードを切り離し、配線と意味の分からないソケットを捻り・・・掃除機の先を突っ込むと、ホースにカラカラと音を立てて吸い取られてゆく未確認部品、ドライヤーで熱風、冷風を交互に吹きかけ、あっちをいじり、こっちを持ち上げ、流れる汗を拭いもせず・・・・無事完了(!?)しました。 慌てて元通りに(?)ブラウン管の下にボードを差し込み、後ろを閉めて、恐る恐るスイッチを入れると、画面に映る女子アナウンサーの開いた口と同調するように、笑い声が聞こえるのです! 「お〜〜〜!!!」 スイッチを消して、またスイッチを入れると、すぐに(!)声が出ます。周りで笑っている人の声も聞こえます。 「すごーい!直ってる〜!」 と、家族は歓声を上げ、私は得意満面です。 テレビは、画面をつけて10分か30分しないと音が出ないと思っていた我が家に、私は「革命」をもたらしたのです。 そして、テレビをつけて10分すると、音が消えてしまう(!?)という事も・・・・ |
「ひまわりの切り株」夢屋開店当初から3年間、一緒に仕事したSさんが、亡くなりました。 数年前に大学病院で新薬の副作用に襲われ、全身の皮膚が剥がれ落ちる重態になり、一時は命が危なかったのですが何とか生還されて、それからも時々店に寄ってくれていました。 先月も店に来て、夏休みが終わったら我が家と当時一緒に働いていたYさんとの6人で、一緒に食事をしようと話していたばかりでした。 「その頃に臨時収入が入る予定だから、みんなにおごりますよ。美味しいお店も知っているから、行きましょうよ。K君もMちゃんも大きくなったでしょうね〜あの頃は、こんなに小さくてカウンターの下にもぐったり、絵を書いたり、可愛かったですよね〜会いたいな〜」 それが最後の会話になってしまいました。 いつも笑顔で、誰にでも優しく、情に厚くて涙もろいSさん。 店が定着するまでの時期、私はバタバタとしていて気持ちに余裕が無く、とんでもない無理難題を押し付けていたように思います。 原爆の荒野を彷徨い、自社ビルを建てるまで大きくした事業も頼まれた保証人になったために失敗し、借金と病気のため家族が離散して、大変な経験を何度も負わされたのに、決して他人の悪口は言わず、いつも相手のことを考え、心配りを絶やさない方でした。 店を訪ねてくれる度に、2人であの当時の話をして、いつも私が覚えていない事を教えてくれて、「ああそうだった。そんな事もありましたね。」と話しながら、私は「心のしこり」を溶かしてもらっていたのです。 助けてもらうだけ助けてもらい、何も恩返しもできなかった悔いが残ります。 Sさん、もういいですよ。 |
「津軽の空」小学4・5年生の頃、官舎の一画にある炭鉱の廃屋で毎日遊んでいました。 そこには、サイロのような建物や石炭を貨車に乗せるあり地獄のような錬舎、地中深く降りてゆく水没した線路跡、そして外壁だけを残した抜け殻のような建物跡があったのです。 そんなある日、友達と4メートルぐらいの塀の上をバランスをとりながら歩いていたのですが、いつもは問題なく通過できたある地点で、その日はなぜか一歩も進めなくなってしまったのです。 私は、なぜ急に渡れなくなったのか理解できなくて、戻りたい大地を闇に覆い、空だけを朱に染め上げてゆく夕日を、塀の上から不安げに見ていました。 どれくらい塀の上でしゃがみ込んでいたでしょうか、少し気持ちが落ち着いてきたので打開策を考え始めました。 瞬間的に、このまま手を離すと間違いなく「死ぬ」と私は確信したんです。 「どうしよう。どうしよう・・・手が痛い!助けて〜!」 「ああ、もうだめだ。」と諦めの心が支配して手を離そうと思った瞬間、猛烈な恐怖が身を包み「イヤダ!いやだ!」という一念が身を貫き、信じられないような力で身体を引き上げ、塀をよじ登り、這いながら向こう側に渡っていたのです。 地面に足を下ろし、へなへなと力なくしゃがみ込んだのは、友達がお袋を連れて戻ってきたのと同時でした。 「なんだ渡れたじゃないか。騙された〜」と笑う友達に、 今でもあの不安と恐怖は、塀の上から見た信じられないほど美しい夕日とともに、私の心に刻み込まれています。 |
「犬も食わねど高楊枝」こんな事を公にしても露悪的な意味しかないように思いますが、どうもダメなようです。 結婚してから15年、何度も危機がありましたが、自然と時間が解決してくれたり、ごまかしたりして何とか繋ぎとめていました。 ここ数年は、頻繁にトラブルに見舞われていました。 元来、気分屋なのでしょう、雨が降ったり曇り空の日が続くと、暗く沈黙の時間が長くなります。 もちろん調子が良い時期もあり、他人様から見れば何の問題もない家庭に見えていたでしょう。 結果的には同じ結論なのでしょうが、我慢してきたりみんなで少しずつ気を遣いあっていたことが、とても愛しく思えてきます。 まだなんとか方策があるのではないかと、祈るような気持ちがあることも事実です。 すみません。 でも、しゃべって少し気が楽になりました。 楽になると勝手なもので、まだ修復の余地があるような気にもなってきました。家族全員の将来に関わることですから、私のプライドや見栄なんてちっぽけなことです。 「もう一度だけ・・・お願いします!・・・私が悪かったなら謝ります。ごめんなさ |
「春の嵐」天からの来訪者は、ある日突然、我が家にやってきました。 なぜミルクが我が家の縁側の下で鳴いていたのか、どうやってここまで来たのか分かりません。 後は「ほら、お腹すかせて鳴いているよ。」「可愛かね〜」「こら、そこは行ったらダメでしょ!メッ」「シッコがしたいと?おりこうさんね!」「フフフ・・・ほら、見てごらん。あがんかっこ(あんなカッコウ)しよるよ。」「こっちおいで!お風呂に入るよ!」・・・・ ゴロゴロです。 しかし、賃貸に住んでいる我が家は飼う事が出来ません。 辛い決断と嫌な役回りは、私と決まっています。 でも、みんな知っているのです。
「お父さんを飼わないで、代わりにミルクを飼う!」 私自身、私が飼われているかどうかの突込みを入れる気力も無く「向こうの人、ミルクの代わりにお父さんが行ったら、受け入れてくれるかな〜」と言うのが精一杯でした。 本当に短い日々でしたが、我が家の心に一生住み続けるであろうミルクです。 |
「アンドロイドは電気鼠の夢を見るか?」「安眠枕」なるものを娘が買ってきました。 どうも巷ではよく売れているようで、そんなことも知らないのと笑われる始末です。もちろんぐっすり眠れるに越したことありませんし、無呼吸症候群とかイビキ解消法などの新聞記事を眼にすることも増えてきましたが、子どもが睡眠について気に留めていることに、驚いてしまいました。 私は、子ども時代はもちろんのこと、今でさえ布団に潜り込むと、あっという間に翌朝(!)になってしまいます。 言われてみると、睡眠はとても大事なことです。 数日後、「お父さん、この枕使ってみたいでしょ。いいよ。貸してあげる。」と言うので、有難く使わせてもらいました。 娘には「おかげで気持ちよく眠れたよ。ありがとう。」とお礼を言うと、「ああ良かった。それなら今晩から使っていいよ。私もようやく(!)ぐっすり眠れたんだ。」と・・・・ 安眠枕は、安眠の大切さを悟らせてくれる枕だったのですね。 それからしばらくは私も使っていたのですが、ただの一度も枕に頭を乗せて目覚めたことがありませんでした。 今は、前の枕に戻して、ぐっすりと眠っております。 ちなみに私の枕は、子どもからもらった「くたくたピカチュウ」です。朝目覚めると、安心したように尻尾の上に頭が乗って・・・・ |
「ねぇちゃん!あちきと遊ばない?」先月のメールを出した後、「徳さんの持病」は何のことはない、春になったというだけではないかと多くの人から指摘を受けました。 むくむくと沸き起こってくる「家出症」も、定型への「破壊心」も、世界に対して尻を捲くり上げ叫びたくなる「てやんでぃ癖」も、全ては季節が巡って「春到来」を告げていたのです。 なんだ、なんだ。 そう、私は動物です! 人間が動物であることは、分類上は当たり前ですが、なんか動物よりも別のような気がしていませんか? 過度な動物愛護や万歳型のエコロジストにはちょっと共感できないのですが、人知なんかが及ばない生命の営みが支配する動物範疇に列席させてもらっていることを感じて、本当に嬉しく感じました。 心騒いで動物なり! 春ぐらい、人間やめて本能のままに背伸びしてみましょう! |
「老婆は、一日にして成らず」悪い癖が出始めました。 ある形が出来てしまうと、それを揺さぶって壊したくなるのです。 こんな風に書くと、いかにも変革者や創造者のように見えますが、何のことはない、日々の根幹にかかわるところは、大事に、慎重に、そして臆病に保持することを心掛けています。 よって、壊したくなるのはそれ以外ということで、でも、それらは壊しても快感を与えてくれないものでは壊しがいもなく、それなりに意味を汲んでいたものでなければなりません。 よって、勝手ながらこの「日頃の常」の超短文と「徳さんの感想文」を97年度分感想文のネット掲載に代えさせていただきます。 |
「冬のキリンは首を縮めるか?」先日新聞に、20代の若い人たちに聞いたアンケートが載っていました。 その判断が妥当かどうかは別にして、なるほどな〜と得心するところがあったのが正直な感想です。 何をもって「おばさん」「おじさん」と判断するのかの基準は、「おばさん」が「人目が気にならなくなる」「色気がなくなる」などが挙げられ、「おじさん」は、「体形や肌つや」のほか「確実にギャグが面白くなくなる」ことで判断するということのようです。 私などは完全に「おじさん」なのでありますが、「体形」はいざ知らず「肌つや」を観察されているとは、考えもしませんでした。 が、「ギャグが面白くない」は・・・・・グサリときました。 実は、数年前から家族との会話で「ダジャレ」が確実に増えていたのです。 どうして増えてきたのでしょうか? しかし、「お前のギャグやダジャレは、手前勝手な幻想ではなく、加齢によるおじさん現象なんだよ。」ということでした。 「ダジャレを言うのは、ダメジャ!」 やっぱり、寒い? |
「白い巨塔」「少しチクリとしますよ。」 突然40度以上の熱に襲われ、休日在宅医の病院に救いを・・・・ 「軽く握り締めたまま、動かさないで下さいね。」 薄いピンクの白衣(?)に身を包んだ若い看護婦さんは、ぎこちない笑みを浮かべて注射器を構えています。 が・・・・針先は微かに震えるだけで動こうとしません。 ・・・・・ えっ?いったい何が起こったのだ? (ちょっ、ちょっと待って・・・・それって、あんた・・・・新人かい!) 私は思わずごくりとつばを飲み込み、眼を合わせてしまう事が怖くなって視線を下ろし、くっきりと浮かび上がった血管と、水溶液でぬらりと光る鋭利な注射針に意識を集中します。 さらに数秒・・・・沈黙・・・これは・・・苦しい・・・堪らない・・・もうだめだ・・・ 「まっ、待って・・」 その瞬間、ちりりとした痛みが脳天を突き抜け、針は皮膚を裂き破り進入してきました。 「やりました。」 (「やりました。」って、あんた・・・) 「もう、大丈夫ですよ。」 注射器の中に鮮血が逆流し、血管すらも突破して生命活動の命脈に届いたことを知らせています。 目を泳がして書棚を見ると、昭和30年代に刊行されたであろう医学大全がずらりと並んでいます。 などと夢想に戯れていると、視野の隅でひらひらと手が泳いでいます。 「先生!ちょっとすみません。取れないんです。」 はっと弾かれた様に先生は立ち上がり、慌ててゴムバンドを取って、腕に巻きながら 「この腕は、もう諦めたら?」 (もう諦める?何を?腕は、俺にはもう1本しか残っていないし、命はこの命一つっきりだぞ!どうした?あんた!) 「いや。大丈夫です。もう一回血管に刺してみますから・・・・あれ?・・・う〜ん・・・」 (あれ?って、かわいい声出している場合か!!漏れた液は、血管横の筋肉の中に蓄積され続けているのか?) 「私が代わりにやろうか?そこをどいて・・・・あっ、今また(!)入ったよ!そこ。 (上手になったということは、今以前の「見事な治療」がなされたと言うことか?) 「はい。今度こそ大丈夫だと思います。」 (大丈夫です。でなくてだと思う、か・・・泣かせてくれるな〜看護婦さん) しかし、結果的に私はこの診療に救われました。 ありがとう。看護婦さん。 ありがとう。看護婦さん。 |
「誰そ彼の独唱」本年もお付き合いのほど、誠にありがとうございました。 年々身体や精神の衰えを痛感するこの頃ですが、時を同じくして少しずつ今までお世話になっていた人達との再会宴が重なっています。 経年の様相変化は仕方ありませんが、会えば以前と変わらない口調で話が弾み、昔話から現在の切実な問題まで時間を忘れて歓談に花を咲かせます。 初めはその事後感に戸惑ってしまいましたが、よく考えてみると修正に修正を重ねてきた人生の中で、その奥底だけはほのかな暖かさを持って修正の手を逃れてきていたのでしょう。 時間の流れの中で多くのことが変わり、自己弁護を繰り返し、現実に擦り寄り、それでいて妙な所で意固地になって空回りしたりはしますが、それはそれで自分なりには納得して積み上げたつもりでした。 内界のどこか言葉の届かない所でひっそりと待っていた「それ」がいて、溶けることを欲し、ふとしたきっかけで溶け、その気化熱で「納得」と外「納得」の違和感を埋めてくれたのです。 私は、「本当の」「本質の」賛美者でも信望者でもありませんが、言語化できない又は現象確認されていない世界を否定するものではありません。 一つの「それ」が未だに欲し続け、他でもない旧知の人々と出会うことで、熱を発してくれたことが、本当に嬉しいのです。 老眼になったり、踏ん張りが利かなくなったり、徘徊したり(?)で年齢の重荷がこたえてきました。 皆様におかれましても、幸多き一年でありますように。 |
「93歳、まだ道半ば」数ヶ月前から私の両親が、祖母の面倒を見ることになりました。齢93歳、例にもれず痴呆が見事に進行しています。 四国で長い間生活していたのですが、祖父が亡くなったのを機会に、関東の長男家が面倒を見ていたのです。 当初の張り切った母からの電話は、すぐに介護の窮状を訴える電話に変わり、父からの声を潜めた混乱報告がその生々しさを伝えます。 目を離すとすぐに家を出て、四国へ帰宅の旅に出ようとしたり、外食すると驚くほどの食欲で見る見る皿を空けてゆくかと思えば、トイレまでは間に合わずに、笑顔のまま排便してしまいます。 地方の裕福な造り酒屋の娘で育った祖母は、幾つになっても気品を失わない優しいおばあさんでした。 「ノリヒサさん、良いんですよ。あなたの好きなようにしなさいね。おばあさんは、あなたが好きなことをして生きていることが、一番嬉しいのですよ。」 と言って、いつも目を細めて笑っていました。 好きなように振舞っているのは、その当時も今も変わらないのではあるが、少しは外部との摩擦がないと己の身勝手にすら自信がなくなるのも事実で、この様に全幅の信頼で「好きなように生きてゆきなさい。」と言われるほど、厳しい言葉もない気もしていました。 母は、完全看護する側になって初めてその迷妄ぶりに驚き、かつての祖母になって欲くて必死に諭し、言い聞かせていたそうです。 そこで母に、どんなに的外れな話でもとにかく祖母の世界を否定しないで聞いて、認めて会話するように言ったところ、少しずつ祖母は落ち着いてきたようです。日によって波はあるようですが、グループホームも利用して、四国のおばあちゃん健在なり。 「そうです。おばあちゃん!おばあちゃんも好きなように生きていったらいいんですよ。」 以前に読んだネイティブ・アメリカンの本に、確かこんな言葉がありました。 今度の休みには、また祖母の笑顔を見に行きます。 |
「モネの庭」そのことに気がついたのは、2年前の昼食時でした。 誰もいなくなったことを良いことに、レジキーだけを抜くとすぐ近くのお弁当屋さんに行き、店のおばちゃん達と話をしながら400円のビーフ弁当を買って帰ってきました。 あれ? なんか変です。 確かに何かが違っている気がします。 味は、いつものちょっと辛めのタレで、できるだけご飯に絡めて・・・・味はいつもと同じだ。 あっ! 米粒一つ一つが、以前は掻き込みながら見えていたのに、今はぼんやりとしか・・・・ こっ、これって! ふと目を上げると、お客さんが2人、息をのんでじっとこちらを見ていました。 彼らの目に映っているのは、突然粗末な弁当箱を顔に近づけたり離したりをしながら、唸リ始めた怪しい古本屋のオヤジです。 彼らは、見てはいけないものを見てしまったバツの悪さに、さっと目線を下げ、そそくさと出てゆきました。 私は、そんな彼らの動揺を推し量る余裕もなく、彼らの背中を呆然と見やっていました。 これって、老眼ですか? 昔から本は好きでしたが、目は一向に悪くならずに、ずっと両眼とも2.0でした。数年前に人間ドックに入った時、眼圧か眼底を見る検査をして、飛び上がらんばかりのフラッシュがたかれ、目の前に大きなブラックホールが見える状態になりました。まさかそんな風になるとは知らずに、目を瞬いたまま並んだ列が、視力検査になってしまい・・・ そんな私の目は、何の前触れもなく、突然老眼になってしまいました。
老眼の焦点は、母の笑顔に帰っているのですね。 |
「リバンド王」夏祭りのイベントで、「ラムネ一気飲み」大会があり、息子が出場して、なんと最後まで勝ち抜き優勝してしまいました。 ある日そのバックを背中に回し、玄関先で「行ってきます。」と言いながらの後ろ姿を見た時、「ああ、そうなんだ。」と胸にすとんと落ちるものありました。 彼が気に入っているのは、色や絵柄ではなくて、自らの力で勝ち取ったという「称号」なのです。 この頃は、音楽や映画について自分の考えが生まれてきているようで、まともに話のやり取りができるようになってきてました。 思春期の難しさは、「子どもと親」両者の難しさです。 成長過程での最大の難関は、出産後1・2年の親の接し方と思春期の一時期だと思っています。 私の持っている音楽テープやCDを所構わず聞きまくり、私が観ている風変わりな映画を横に座ってしばらく眺め、書棚に並ぶ雑多な背表紙の横で漫画本を読み、政治や生活に対しての偏った講釈を私の上機嫌、不機嫌に振り回されながら聞かされ、時には塾に行きたいと言うのを強権的に止めさせられたり、不合理極まりない環境で育ってきた彼。 そんな彼は、少しずつ自分だけの「称号」を身につけ始めました。 多くの思い出が私達と共にあり、これからも新しい季節が巡ってきます。 そして今年の夏、彼の身長が私を追い越しました。 |
「おもちゃ箱」気を付けていないと何やかにや用事が入り、すぐに1日が「有用」で埋まってしまいます。 ここ数ヶ月、私は意識的に休日を作るように心がけています。 予定が入りそうになっても断る、家族で動くこともやめる、映画も観ないし、本も読まない、音楽は流しているけど無難なBGM、朝のメールチェックはするけどPCは閉じる、もちろんテレビなんてつけない、できれば昼寝をする、椅子から降りて畳の上を転がる、ゆっくりとコーヒーを飲む、天気が良ければ縁側で一服、呆けた様に少しだけ散歩する・・・ そんな風に過ごし始めて、ようやく「どうしようかな?」が生まれ始めました。 そう、「ようやく」なほど、渇いてしまっていたのです。 ぼんやりと「どうしようかな?」と考える時、何も思い浮かばなくてもどこか心の奥が、嬉しい気持ちに満たされてゆくのを感じます。 先日の日曜、家人はそれぞれの用事で朝早くから出払って、7時半には私一人となりました。 へへへ・・・「どうしようかな?」 そしてその日は、ふと思い立って自転車に乗ることにしました。 自転車ですよ!みなさん、この頃乗っていますか? 歩くより速く、自動車よりも断然遅く、風をまともに受けて、キコキコとペダルを漕ぎ、車の影を横目に確認して自転車を傾けて一気に道路を渡り、ふらふらと住宅街の路地に入り、公園の父子のキャッチボールを見て、前あった空き地が明るい色の家になっているのに驚き、ケーキ屋さんの甘い匂いに鼻腔を膨らませ、ぱらぱらの雨に雨宿り! 気が付いたら「海」を目指して、汗を浮かべていました。 潮の香りが漂う岸壁には、何人もの人がのんびりと釣り糸を垂らしています。 そう言えば高校時代も補習をサボって防波堤の上で寝ていたっけ、親と喧嘩して夜の海まで歩いたこともあったな、恋心を抱いたときは意味もなく岸壁にもたれて一人酔いしれてもいました、フェリー乗り場での沈黙に胸が痛んだこともありました、彼女と静かに波の音に耳を澄ませていた事も・・・・ 素敵な時間を思い出す、素敵な時間です。 |
「優れものの罠」10年前に誰が、こんな光景を想像したでしょうか? 世は、携帯メール花盛りです。 私にとって携帯メールで困ることは、人間の精神に及ぼす大問題よりも、具体的且つ個人的な問題なんです。 その1 他の人と同じように片手に持って親指でキーを押すと、携帯が後ろを向きはじめるのです? 私は両手で携帯を包み込み、たまに人差し指でメールしています。 その2 例えば「たっちゃん」と打ちたい時に、困ります。 ようやく「っ」を表示させることが出来たら、次は「ち」を打たなければなりません。 「たっち」まで来て、ようやく半分は超しました。 ご存知の通りに「ゃ」は、「や・ゆ・よ」「ゃ・ゅ・ょ」の連続です。 いよいよ最後の難関「ん」まで来ました。 何回押したか分からなくなった朦朧とした頭で、ず〜〜っと同じ調子の連続音を上げていると、電車の中の乗客は「こいつは、何の文字を打っているのだろう?」とチラチラとこちらを見はじめます。 額に汗を浮かべてようやく「たっちゃん」を打ち終わった私は、おもむろにアンテナを伸ばすと、「送信」キーを押し、ウルトラマンの返信(変身)ポーズのように高々と携帯を掲げ、「メールよ、飛んで行け!」と満足げな顔で呟くのです。 乗客が全員、その掲げられた携帯を驚きの目で見上げたのは、言うまでもありません。 |
「恋文」Tさんへ いかがお過ごしでしょうか? 世の中の言い知れぬ閉塞感は相変らずですが、季節は確実に移ろい、多くの花達が順番を待つのももどかしそうに、次から次にと命の色を輝かせています。 何かの本で読みましたが、世界の生き物のほとんどは「微生物」と「植物」らしいです。 私は信心など持ち合わせてはいませんが、この無償な営みには心打たれる時があります。 人間って、そんな無償な存在に「無償ナ」と名付ける存在なんですね。 そんな不明に輪をかけて、何でそんな意味もない「名付け」をしてしまうんだろうって、性懲りも無く私は考えてしまうのです。 そんな私ですが、なんとかよろめきながらでも人並みな日常を送っています。 生きてゆくことって、イメージの全体像ではなく、不合理に突き出た枝に衣服を破られ、上げきっていたはずの足がわずか数センチの敷居につまずき、無様につんのめっては、周りの嘲笑を招くようなものなのですね。 こんな所業がいつまで続くのか、どこで箸を置いてゴチソウサマと言えるのか全く分かりませんが、とりあえず瞼の裏に映し出されている奇妙な足跡のつま先が指し示している方向に、いけるところまで行ってみたいと思っています。 いつもながら自分のことばかりですみません。 厳しい暑さももうすぐそこです。 |
「風紋2」なんだか直接の全面侵攻が終わった途端、一気に戦争の話題も興味も自分の中で過ぎ去ってしまった感じがします。 反戦という正論の側に自分を置いておれば、間違いがないという情況分析はあったでしょう。 戦争も反対したし、アメリカもイラクも否定した、問われたらそれなりの理由をあげられるから、この場所で問題ない。 私の心の中には、確かにこんな気分がありました。 どちらも嫌な時どうするか? 今回も、自分の中の戦争が終わってしまった気分のまま、社会に歩調をあわせて過ぎ去った問題のように振舞うのも嫌だし、かと言って辟易した反戦論をしつこく訴えて正義漢ぶるのも嫌でした。 どちらも嫌な時は・・・・
今回の戦争や、湾岸戦争やその他各地の紛争も含めて、戦争がおこったそれぞれの理由をあげつらって論評するのは、その次元の判断だと思っています。 それは前回の「風紋」で書いた様に、自分と家族を守る為に反撃する心情は、ギリギりのところで否定できないのではないかという考えがあるからです。 戦争を起こす場合、様々な国益を考えて仕掛ける場合があるでしょう。 だから根本的に戦争否定をするには、多種の理由や順番やそれぞれの非道さが「より悪い」などという理屈は、全くダメなのです。 だからと言って、傍観的に「仕方ない」し人間は戦争をする動物だなんて、うそぶく意見は嫌悪感すら覚えます。 私の今の地点で言えることは、「いい戦争」も「悪い戦争」もない、殺人する「仕方ない理由」も一切認めない、全て「否」と考えています。 この「殺人」を命だけでなく精神的なものや尊厳まで含めた広義の意味で理解すると、死刑や、個人の人権を無視した社会制度や、家族内での個人の尊厳を踏みにじっている親子関係や、いわれない差別の問題、滅私奉公的な労使関係、見えない権力でからめとる国家や共同体のあり方などの「否定」の問題でもあるのです。 ただ、今回世界中で見られた反戦運動のうねりは、その理由の本質性を別にして時代のある一点を曲がったようにも思いました。 もう少し先まで言うとすると、一国だけが自国の「国益」だけの理由で戦争が起こせない時代になり、今回の戦争で言ってもアメリカの侵攻は、民主主義の宣教のようにうたっていますが、根本的には「9・11」事件が国民に刻み込んだトラウマからの自衛戦争だと考えています。
いざとなれば人を殺す私だが、だから(!)人を殺すあらゆる理由、人を否定する社会のシステムや差別も全否定するのです。 そして、そんな「自分」も「他者」も限りなく「愛しい」です。 |
「風紋」他の事を書くつもりでしたが、ついに始まってしまった戦争について書き留めておきたいと思います。 個々の事象に対する意見や感想は、その都度それらの次元に即して表明するつもりですが、私の原則姿勢はいたって簡単です。 感情的に同情したり、共感することがあっても、この原則は変りません。 よく言われるように、それならばお前は殺されようとした時に、黙って首を差し出すのか?と問われると、それは「否!」と答えるし、それこそ相手に襲い掛かってでも自分や家族の命を守ると思います。 当初の動機がどうであれ、突き詰めてゆけば国家や民族、個人の自衛の心情が、最後の一線を踏み出す「最後の理由」となっています。 逆に言うと、その他の全ての戦争理由は、その不当性を共同理念化することが出来ると考えます。 その場に臨んで、自らの命を差し出すという反戦・非戦思想は、私は信用しません。人間ができていないとか、自分の思想に信念があれば可能だなんて、うそっぱちです。 正直、私はこの矛盾を乗り越える術を持ちません。 最後の問いに対して、たった一つ言えるとすれば、相手が相手自身の命を守る自衛の理由を「私」の中に見ているということです。 随分と甘い考えと言われてしまうとそれまでですが、自己から他者をイメージする方向性だけではなくて、他者から自己をイメージする逆照射の想像力を獲得する、その上で自己を見つめ、他者との往復運動に勤めるしかないように思います。 一年でもっとも命の輝きを増す季節になってきました。 |
「扇子(センス)と団扇(ウチワ)」先月のビデオデッキの後日談になりますが、デッキが無くなって気付いたことがあります。 裏番組を録画して他の時間に観るということは、本来なら観れるはずも無かったものが、時を違えて観れたり、その時テレビの前で鑑賞している自分をパックにして、後日解凍して咀嚼しているようなものなんですね。 本を読んで調べたり、他者から考えを請うて初めて知る知識を、その時間をすっとばし、インターネットで瞬時に知ってしまう。 しかし実際には、時間や空間密度が濃くなったとか、スピードが速くなったという事では決してありません。 「あれも出来るし、これも見れる、もっと愉快な事があるのに、それで良いのかい? 近代技術の目指す方向の一つは、間違いなくこの時間と空間の圧縮にあります。 そしてその不安感とバランスをとるように、捻出された余白の中に「実時間と空間」を飼いならす欲求が沸いてくるような気がします。 スポーツが花ざかりになって、身体性が注目されているのは、ゆっくりと時間をかけて獲得するしかない技術や、体験に根ざした想像性に憧れている「実時間と空間」回帰なのかもしれません。 我々は、この倒錯した現実を生き続けるしかありません。 |
「粋貫き」このメールが届く頃には、「明けましておめでとうございます。」ではちょっとずれてしまいますが、とにかく新年初の感想文です。 今年の正月は、数年ぶりに親戚一同が集まった、華やかな元旦を迎えました。 心癒されるといえば、年末のある事件を思い浮かべました。 いよいよ年も押し迫り、普段は静まりきった店内も、外の喧騒に誘われるように子ども達や家族連れが書架の前に立ち、賑やかに言葉を交わしていたその時です。 「バフッ」 その音は、何の説明もいらない「あの音」でした。 店内は、一瞬にして水を打ったように静まり返り、みんなの目は一点を見つめたまま全身の神経を研ぎ澄まし、背後の気配に集中しています。 少しずつ、そう本当に少しずつ、みんなの顔に漣のような表情が走り、横の連れに合図を送りたいけど目が合った瞬間、表面張力でもっている水が一気にこぼれてしまうように声を上げてしまいそうで、肩だけをわなわなと震わせていました。 その極限の緊張の中、 「プワァ〜」 もはやアッパレとしか言いようがないその打開策は、岩波文庫棚前の当人でした。 店内は歓喜の笑い声に包まれ、幼き子どもは母親の袖を引っ張りながら張本人を指差し、女子高校生はあまりの可笑しさに涙を浮べ、大学生は信じられないという風に隣の連れの肩を叩いています。 まさに総立ちのスタンディング・オベーションです。 今思い出しても心洗われる素敵なひと時で、幸せを噛みしめた瞬間でした。 昨今、癒しがブームのように言われています。 皆様におきましても、幸多い年であることを祈念しています。 |
「大丈夫!だいじょうぶ!」今年一年、お付き合いありがとうございした。 感想文を送り続けて、ある読者から「どうして徳さんの紹介する本は、マイナーで暗くなりそうな本が多いのですか?」というメールが届いた事があります。 一つは、年々とんでもなく「辛い時代」になってきたという認識があるのです。 そんな時代の辛さは、経済がどうとか人の情がどうとかのレベルではどうにもならないと思っています。 私は楽観主義者ですので、希望は捨てていません。 もう一つの理由は、傲慢な考えかも知れませんが、今現在孤独な立場に追いやられ、悲しい心を抱いて震えている人が、同じような問題に向き合っている人が「いる」事を知って欲しいのです。 あなたはひとりではありません。 ベストセラーでもなく、新刊屋さんでも古本屋でもなかなかお目にかかれない本もあるかも知れません。 あなたはひとりではありません。 たった一人でも、「ひとり」でないことをこの感想文での本の紹介で知ってくれる事が、私の「願い」なのです。 |
「れ・みぜらぶる」先日、夜遅くまで一人で映画を観ていて、一杯酒をあおった後にビデオテープを取り出そうとすると、出てきません。 仕方が無いので、上から取り出そうと上蓋を開け、テープのところのネジを外し、邪魔な配線を慎重に引き抜いて・・・するともう一箇所ネジで外すところが出てきて・・・シートが邪魔になり・・・・だいぶ見えてきたけど表パネルから行った方が良く見えるのでパネルを外し・・・・はめ込まれた外枠を取って・・・・カムを引き上げて・・・・ ほっと一息ついて足元を見ると、周りには色とりどりのネジと大小さまざまなシートと、裸になったヘッドが転がり、どこがどう繋がっていたのか見当もつかない配線とパネル、集めると本当に四角になるのか怪しいビデオデッキの残骸です。 オ〜、マイ、ガッ! 翌朝、家族から散々ののしられ、 その晩に子ども達と一緒に復旧作業をしました。なんとか配線はうまくいって電源は入るようになりましたが、ゴムのベルトと金属の部品とネジが2本ほど余り、結局、テープが入らない(!)ビデオデッキが出来上がりました。 皆さんも、お気を付けください。 |
「落葉の時間」私がはじめて海外旅行に行ったのが、中国でした。 国交回復して間もない頃で、国内でもぼちぼちと中国旅行の企画が出始めていました。 そんなある日、こっそりとホテルから抜け出して夜の北京見物に出かけたのです。 磨きこまれたようなレンガ面をふらふらと歩いてゆくと、天安門事件で有名になったあの像に出くわしたのです。 唐突に、昔読んだワイルドの「幸福な王子」を思い出し、サファイアの目も無くルビーの無くなった刀の柄もない金箔の剥がれた惨めな姿をさらした銅像は、このような孤独を味わったのだろうかと、いるはずも無い足元のツバメを探していると、どこからともなく一人の兵士がなにやら叫びながら走り寄ってきたのです。 愚かにも私は、その時初めて気が付いたのです。 以前、祖父から満州事変の話を聞いた事がありました。 私は、ただ怯えながら両手を挙げ「我(ワオ)是(シー)日本人(リーベンレン)」「日本人!」と必死に訴えていました。 日頃は、自分の命が失われる危機感など全くありません。 世界は今この瞬間も、自分の責任で命のやり取りをしているのです。 みんな形無き不安に囚われ、社会には不信感が満ち、誰彼となく口に出すのは不満ばかりの時代は、とかく「答え」を急ぎがちになってしまいます。 「すみません。ちょっと答えを待ってください。」 今でも時々あの焼け付くような焦燥感を思い出しては、身震いしています。 |
「月夜の好きよ」先月の下着を覚えられないという話に、「私もそうです!」という励まし(?)のメールを多数頂き、調子に乗って今回も日頃口には出せない理解に苦しむ話を・・・・ 近くにも大きな100円ショップがあるのですが、どうしてあれらが100円という価格で成り立つのでしょうか? お店に行っては、こんな物もあんな物もと驚きながら手にとり、カナヅチをむやみに振り回してみたり、だるま落としをしてみたりして、なんとか自分なりに納得できる落とし所を探ってみたりするのですが、みんな我が家のほこりをかぶったものより随分と綺麗で、なお且つ立派です。 いまだに、よく分かりません。 ネットの接続料金が、使ったり使わなかったりするよりも、繋ぎっぱなしの方がなぜ安いのでしょう? 回線を接続する交換台には、おねえさんがヘッドホンとマイクをつけて、ジャックを右から左の穴に繋いだり、鉄塔の上に登って汗を流している日焼けしたおじさんさんが思い浮かびますし、大型の機械がうなりを上げて稼動している光景も想像できます。 どこかの誰かが、その不足分を繋ぎっぱなしの人に代って、払ってくれているのでしょうか? えっ、まさか!手の平に汗を浮かべて長電話にドキドキしている私が、払っているのですか? 先日ラジオで聞いた投書です。 「お昼にあるワイドショーで、モザイクがかかって顔を出さない相談者がいますよね。私は彼女らに猛烈に腹が立ちます。 世の中、分からない事だらけです。 |
「手かざし」年々、身の回りの事に興味が無くなってゆきます。 これが年を経た知恵によって、達観の域を目ざしてまい進しているというなら、問題はないのでしょうが、どうもそれとは様相が違うようです。 もともとファッションとか、センスとかいうものを司る神経細胞が消滅していて、とりあえず暑さ寒さがしのげて、奇異でなければいいのではないかとぐらいにしか感じていませんでした。 結婚してからは、もっぱら家内が季節の変わり目に「もうそろそろ、半袖でもいいんじゃないの?ここに出してあるから。」とか「寒かったらジャンバーを着て行って。」と言われ、洋服ダンスにつるされたシャツやセーターをただ漫然と着ているだけでした。 本来は自分で判断しなければならないことを他人に預けるツケが、こんなにも大きいとは・・・・ 実は、今回このように身なりの話をし始めたのは他でもありません。 多分、まだボケてはいないと思います。 しかし、風呂に入る前にきちんと畳んだ洗濯物の中から自分のトランクスを選ぶ時、いつも一瞬息子のトランクスか自分のかを迷ってしまうのです。 ・・・・あっちのような気がするけれど、こっちの図柄に見覚えがある!・・・・ 照れ隠しで顔は笑っていますが、内心は複雑な気分です。 それなのに、翌日には洗濯物の山の前で、手を浮かせたまま振り子のように右、左、右・・・・ 幸いな事に、まだ家内の下着と間違った事はありません。 |
つぶやいています
20年程前、沖縄を放浪していたことがあります。 もちろん後年このような形で他者の目に触れる事など微塵も想像していないし、複雑な感動や不安を説明する必要も無いその時点での文章は、単純な言葉に収まるはずもなくそのまま溢れ落ちる感情の泡を心ゆくまで楽しんでいて稚拙そのものですが、少なくともそのときの私は、天地の間に両手を広げ、白いノートにシミのように増え続けてゆく言葉を慈しみ、信頼していたのです。 少し妬けました。 某月某日 夕方頃から海の色が変わってきた。 これを書きながら、周りは真っ黒い闇に包まれてしまった。
意思もなき石の重さはまた軽く 風吹かれ転がる石の軽きかな 繋がれし水牛の目に涙見ゆ
山肌に築いた石壁、蔦が這い、人跡が絶えた中、かたくなに沈黙を守る。 明日は沖縄本島を去る。
無形の風が吹いています 透明な海が広がります 逝ってしまった空が、覗いています
君の報を聞きし登る高台の ありし日の焼酎飲みし君の顔 南海の海に沈みつ陽の輝り 夢を見し果せず逝く君の内 陽は翳り木々の梢の騒ぐ時 石垣に咲く花色の鮮やかし |
梢の君会話している人の鼻から覗く、小さな鼻くそが気になります。 気がついたその瞬間から、私はそのモノから一時も目を離せなくなり、話している内容もほとんど頭に入らなくなってしまうのです。頭の中では、そのことを相手に告げたほうがいいのか、告げるとしたらどんな言葉で教えてあげたらいいのかを必死で考え始めます。 「君の鼻に「身体防御機構の正当なる証」が付いているよ。いや「密林の王」が・・・分かりやすく言うと「香りの結晶」が・・・・」問題は、間違いなく泥沼化することでしょう。 それに加えて、今流れている全然関係ない会話の中で、どのようなタイミングで切り出したらいいのかも重要な問題で、そのことに脳神経を総動員していると、私が返事も返さず真剣に聞いてくれていると判断したのか、彼女はますますテンションを上げてゆきます。 なんとか知性ある大人としてこの場を切り抜けようと呼吸を整え、以前同じ情況で自分がどのような対処をしたのか、はたまたどのように失敗したのかを思い出そうと、記憶の引き出しを開け閉めして努力もしてみます。 本来なら恥ずかしいのは相手の方なのでしょうが、私の方が居たたまれなくなって、なんとしてでもこの場を逃れたい気持ちになってしまいます。 混乱した頭のまま、とりとめもない考えがぐるぐると頭の中を駆け巡り・・・ 切り出す前には、まだまだ乗り越えなければならない問題があります。 最大の問題は、その後どんな会話を繋げたらいいのかということです。皆目、見当もつきません。 時間が経つにつれて、情況は悪くなる一方です。 ここは、勇気を振り絞って 「あの〜、ちょっと・・・付いています。その〜・・・ここに。・・・・いや、そっちではなくて反対側。・・・もうちょっと右・・・・いや・・・まだ取れてません。・・・・もう少しで・・・・あっ、・・・・奥に入ってしまいました。・・・・でも、まだ見えてます。」 助けてくれ〜! |
「耳にタコ、目にはイエローカード」今月は右を見ても左を見てもW杯一色で、私も例に漏れずに2・3年分のサッカーの試合を1ヶ月でまとめて見てしまった様な感じです。 店ではサービスカードを発行しているのですが、つい「300円で1ポイントの勝ち点が3ついて、引き分けだと1点、負けだと0点です。」とか、途中からわけ分からないことを言い始めたり、 メールで送料の説明をしながら「郵便の冊子小包では310円で、宅配便だと500円になりますので、その得失点差を考えると1点でも多く入れておくと有利です。」 お客さんに本の場所を訊かれると、 バイトさんには、 万引き対策にはもちろん、 レジの対応には 修整が効かない初出場チームのように、分かっているのに歯車がかみ合わずに連続でオウンゴールを入れしまい、頭を抱えている選手の気分です。 皆さんのワールドカップは? |
「マリモの昼寝」「神は細部に宿る」と言いますが、日々生活している全てが細部の集合体でありまして、細部に宿ってもらわないとそれこそ救われませんよね。 その細部達ですが、やらなくてはいけないと思っていたり、やらないよりはやったほうが良いだろうと考えていたり、なんとか懸案の一区切りだから少しだけ羽を伸ばしてみようとしてみたり、まあ常識的な判断だからとりあえずやっておくかとか、なんとなく今これにハマッテいるから楽しいんだよとか・・・・・仕事も、家事も、育児も、勉強も、遊びも、趣味も、恋愛も、人間関係も、様々な活動も・・・・ 皆、細部と言えば細部です。 べつに厭世観に囚われているわけでも、ニヒリズムに陥っているわけでもないのですが、どこか私の中ではずっとこの考えがあるように思います。細部だから、ダメならダメでもどこか他で帳尻を合わせられそうだし、細部だからできる所は真面目にやっておきたいし、それでもやっぱりたかが細部だとも思っていて、だから大事な気もします。 わが人生はお金には縁が無く、無い状態にも慣れてしまっているけれど、月末にはいつも頭を痛めています。 どんなに遅くまで起きていても、できるだけ朝食を子ども達と食べるようにと思っていますが、月に2・3日は寝坊してしまいます。晩御飯も同様に一緒にと思いますが、それぞれの活動が少しずつずれてきて、1週間のうち5日ほどしか実現できません。お風呂は、さらに様々な条件が重なって(浴室の大きさ・見たいテレビの合間・宿題の進行状況・・・)子どもと一緒は、週に3日あるか無いかです。 先月からケーブルテレビでやっていた「刑事マルティン・ベック」が非常に気に入って、その原作を全10巻のうち6冊ほどネットで仕入れて、3冊読み終えました。60年代のストックホルムが舞台で、当時の市街地図を見ながら、ゆっくりとその時代を登場人物たちと過ごしています。 今月も20本以上映画を録画しましたが、10本ぐらいしか観れませんでした。 コミックの「スラム・ダンク」全31巻を再読して、クスクスと笑ったりウルウルとしたり・・・ 大病もせず調子の良し悪しはあるものの、なんとか日々を送っていて、そうなると脳裏から消え去る休肝日。 皆、細部と言えば細部です。 |
「悩める人」私自身はばたばたと仕事して、気ぜわしく日々を送っているように思っているのですが、周りから見ると、誰もいない店でぼんやりと時間を食んでいるように見えるのか、老いも若きも男女問わず、様々な相談をもちかけてきます。 「実は好きな女の子がいて、どう接したら良いか分からないのです。徳さんはどう思いますか?」 目の前にいるお世辞にももてる部類の人間でない彼、しかも見たこともない彼女へのアプローチ、占い師ならいざ知らず、真面目に考えてどうな答えがあると言うのでしょう。 「その彼女、かわいいと?」 その後、彼からの報告は無い。 「うちのじいさんは、若い時からばってん、ギャンブル好きで困るとよ。どがんかならんかね〜」 いくつになっても、夫婦は差し引き0なのかも知れません。 「おじちゃん。何していると?」 私は、ばたばたと仕事しているつもりなのですが、周りはそう見てくれません。 |
「桜のチカラ」店から歩いて30秒足らずのところに小さな公園があって、そこには数本の桜が植えられています。 私は、こんな午後のひと時が好きで、柔らかな日差しの中でぼんやりとこの光景を見ながら、毎年同じことを考えるのです。 なんじゃい。と笑わないで下さい。 日頃は家族や自分のこと、仕事や周りに起こっていることや取るに足らないことを考えたり感じたりしていますが、その時には、そんなことはもうどうでも良くなってしまっているのです。 今日ハ、ヨカ天気バイ。
3人は時間をかけて丘を登って来ると、包み込む様に広がった見事な枝の下に足をとめ、花弁が嬉しそうに揺れているのを静かに見つめていました。 するとK君が、桜の花びらを掴もうとするかのように両手を上にあげ、うれしそうに笑顔を見せたかと思うと、引き上げられるようにゆっくりと座っていた車椅子から立ち上がったのです。 桃色の花びら達が、彼の周りを歌いながら幾重にも舞っていたのは言うまでもありません。 三原拝 |
「猫のあくび」2月の連休を利用して、長崎の大島、蛎ノ浦(かきのうら)島という処に泊りがけ 私は、行く前までは久々の家族旅行ぐらいの気持ちでしたが、現地に着くなりむくむと自分の興味が頭をもたげ始め、2日間ただひたすら炭住跡の廃屋や病院跡などを写真に撮りまくっていました。 炭住とは、炭鉱に従事していた人たちの住居ですが、団地形式のものから木造の平屋形式のものまでが、道から外れた草山の中に静かに佇んでいるのです。 どこか遠くで、鳥の鋭い鳴き声が聞こえました。 そういえば、昔はこんな廃屋が町の中に点在していて、よく潜り込んで遊んでいたことを覚えています。 死んで、朽ちて、腐れて、分解されて、チリとなって、無に帰ります。 しかし今の時代は、このようにモノが朽ちてゆく時間さえも残っておらず、常に新しい顔をしたモノばかりが並んでいます。 夜のしじまに犬の遠吠えが木霊したのは、いつ頃だったでしょう? 三原拝 |
「耳寄りな話」私は、両耳とも難聴です。 しかし日常生活で多くの困難を有しているかというと、さほどでもありません。 一般的に「難聴」と聞くと、その言葉のままに「聴き難し」というイメージが思い浮かびます。 この「全体的な聴力の低下」というのは、「聴き難し」というイメージにぴったりで、お年寄りの耳元で、「お・じ・い・さ・ん・!タケシさんが、こ(来)らしたばい。」と大きな声で呼びかけたり、「ちょっと、テレビの音が大きくない?」と注意を受けたり、「そんな大きな声出さんでも、聞こえるよ。」と言われたりする事がそれです。 それでも前者の「聴き難い」は、自分も他人もそうと知ればともに理解しやすく、お互いにその世界を理解するにはさして時間もかかりません。 私の場合、聴力検査で得たグラフを見ますと、全体的に感度が落ちている(前者の「聴き難し」)のに加えて、「低音」がとくに聞こえていないし、いくつかのヘルツ(音)が極端に聴こえていません。 こうやって書くと、かなり重症患者のように思われるでしょうが、先にも書きましたように徐々にこの結果になってきているので、自分ではこれが自然な「世界音」として自覚しているのです。 「だからさ、あれって・け・・な・っていうか、・・ろ・い・だろ。しかし、彼女も凄いよな。・き・り・だもんな。へへへ。」 私はこの時ばかりは、人生を随分と損をしているのではないかと思ってしまいます。 しかし、この奇妙な感度の「両耳」を、私は心から愛しているのです。 ありがとう。 ありがとう。そしてこれからもよろしく! 三原拝 |
「雪原の果て」私は、父の仕事の都合で青森で小学時代を過ごしました。 いつ頃からか、学校から帰った私は一人町のはずれにある小さな床屋さんに、毎週出る少年誌を読ませてもらうために通っていたのです。 重く垂れ込めた雲の下、見渡す限り雪で覆われた畑の中を、先週読んだ話を思い出しその話の展開に胸を躍らせると同時に、刺すような寒さに耳を押さえ、どこか自分の世界と漫画の世界の断絶に絶望的な気持ちも感じていました。 ガランと音をたてて入ってくる私に白髪混じりのおじさんは、「おう」と小さく頷き本箱を顎で指し示すと、自分の読みかけの新聞に目を落とすのでした。 たまにラジオが音楽を流している時がありますが、いつもはストーブの上でシューシューと声を上げているヤカンの音だけが聞こえる静かな店内でした。 その当時中学校は、坊主頭が当たり前でした。 そんなある日、とっくの昔にペンキが剥げ落ち、気をつけないと指を傷つけてしまうその扉を押し広げ、いつもの店内に入っていったのです。 「おじさん。今度俺、中学生になるんだ。だから・・・」 「そうか。」 ただそれだけを言うと、椅子の方に私を呼び、ゆっくりと首掛を巻いてくれました。 店内は時計の音が妙に大きく響き、私は鏡の中の初めて見るような自分の顔と、少し寂しそうなおじさんの顔を交互に見ながら、不思議なことに、いつも長椅子から見ていたおじさんの横顔を思い出していたのです。 しばらくすると、首の周りを刷毛で掃いてくれて「さあ、終わったぞ。」としゃがれた声で言うと、玄関先のレジの所に行きレジ下からガムを取り出し私に渡してくれました。 「ありがとう。」 「ああ。」 おじさんは、ゆっくりと扉を開けて私を外に促し、一瞬何かを言いたそうにしましたが、何も言わず静かに扉を閉めました。 何かが終わり、もう後戻りできない・・・・ 泣きたいような気持ちを必死で押さえ、家に帰りながら食べたガムは、ひりひりとした痛みに近い初めての「ハッカ入りのガム」でした。 |
ゴーグルと秋の風と10円硬貨私は一時期、某新聞社に身を置いていたことがありました。 ある日のこと、ほぼ夕刊紙面の記事原稿が締め切られ、後は編集と印刷を待つばかりのほっとする時間帯になったその時です。 「ノリ!現場に行って、写真を確保しろ!」 新米の私は、社のカメラを掴むとバイクに飛び乗り一目散に・・・ 信号無視ぎりぎりのタイミングで道を横切り、それこそ植木鉢をひっくり返さんばかりに路地を曲がり、風を切り裂いて坂を駆け上り、1秒でも早く現場へ・・・現場へ・・・・ 「はい。○○新聞社です。」 −その声は、地獄の底から響いてくるような、鬼の局長− 「あの〜三原ですけど。今火事の現場に向かっているのですが、えっと〜その〜」 夕刊には、他社とは一味違う沈火した現場写真が小さく紙面を飾ったのでした。 しかし、今でも時々その時のことを思い出してみるのですが、あのバイクで疾走していた時、私は何を考えていたのでしょうか? その後社内では、「フリテン君」と呼ばれていました。 |
曇り空の三本杉それは知らず知らずのうちに、「自ら」歩み寄っていたのかもしれません。 どうもこの頃、怒りっぽくなってきたようです。 この心の急変や落差自体、自分でも驚いてしまうのですが、それよりもそのレッドゾーンに入ってしまうまでの心の余裕が、ほとんどないことに愕然とします。 他人の何気ない一言です。普段よく店で行われている、なんて事ない行為です。仕事が重なるのも、単なる偶然です。それぞれに、何も意図はありません。他人が気付かないものを、なぜそんな事分からないんだと、俺が腹を立てたってしょうがないではないですか。 世界で行われている戦争に対して、自分が反戦の気分で理由を紡ぎ出しているつもりでも、実はアメリカに対する(被害者への具体的な想像は無しに、単なるアメリカと言うブランドに)妬みや恨みがあって、彼らの戦争行為に異を唱えているのではないだろうか? このストレスは、十分家族に影響を及ぼしていると思います。八つ当たりに近い感情の発露は、彼女に向いている事は間違いないだろうし、子ども達も知らず知らずのうちに俺の顔色を見ながら接しているのかもしれません。 何故なんでしょう? やっぱお金なんでしょうか? 世界意識が同様に、想像力ある領域に留まっている閾値が低くなっているのかもしれないと、自己弁護の理論を捻り出したりもしますが、私が生きている痕跡は手が伸びる範囲で確実に刻み続けており、その責任は虚無であろう「私」で何とかケリを付けたいと思っているのです。 確かに、店に来る子どもの無邪気な表情やメールでの心あるやり取りに、安堵や癒された気分になることもあります。 不安な世の中と言われて、皆それぞれに「言い知れぬ怒り」を持て余しているのかもしれません。 今、私が取り得る唯一のことは、この「悲鳴」に耳を澄ませてあげることだと思っています。 |
リアル世界の歯車が、大きく回転した事件が起こりました。 内実については、連日の報道と今後の進展に譲るとして、あのシーンを見たときの正直な感想を少しだけ書き留めておきたいと思います。 なにっ!と一瞬思ったのですが、よく考えるとそこには単純でない問題がはらんでいるように思われます。 映画と現実は違います。 現実は、映画と同じだったのです。 もちろん、同じだと言う言葉には大きな錯誤があります。 しかし実際にはそんな現実も、我々は見ていません。 もはや視覚的な現実は、既視感、どこかでみた映像以外の何ものでもないのです。 テレビの中で繰り広げられた惨事に対して、映画同様のカタルシスやかっこよさを汲み取った子どもに、あの映像の中に多くの人命を読み取れと諭すのは簡単です。 世界が足並みを揃えて、報復戦争に軍靴を鳴り響かせています。 |
再就職失業率5%のニュースが巷を走っていますが、当然ながらサラリーマンばかりでなく自営業者の廃業もこの数字の一翼をになっている事は、同業者の相次ぐ閉店や撤退を聞くにつれ、生々しさを伴って伝わってきます。 ある作家の隠れた名作や絶版本、自分の店にある数千冊の本の所在の記憶、倉庫に山積みになっている段ボール箱の何処に何が入っているか、挙句の果ては他店の書棚にある本まで覚えていても、転職の際に何の役に立つのでしょう? Tさん:「すみません。この洗濯機が動かなくなったんですけど修理してください。」 徳さん:「いらっしゃいませ!・・・・う〜ん。パネルがいっぱいあるのは分かるのですが、ネジも少なくてこのドライバー1本では直りそうもありませんねぇ。・・・・・どうですか奥さん!この際S書店の奥から2番目にある棚の上から3段目の真ん中より少し右側に『上手なせんたく』堀志津著婦人の友社がありますから、それを読んでみたらどうでしょうか?」 Tさん:「・・・・・」 Rさん:「今度のボーナスで冷蔵庫を買い換えようと思っているのですが、どんなのがあります?」 徳さん:「今回は、各社ともずらりと新タイプ・新機能を揃えておりますので、どんなご希望にも添えると思いますよ。・・・・・ところで、冷蔵庫と言えば阿刀田高の『冷蔵庫より愛をこめて』はお読みになられました?著者が『ナポレオン狂』で直木賞をとる前の処女短編集で、ひやりとしたブラックユーモアは、上手いもんです。講談社文庫で読めると思いますけど、探してみましょうか?」 ・・・・・・・・やっぱ駄目ですよね。 つい先日家内ともこの話題になって、彼女にお伺いを立ててみますと・・・ 「あんたが出来ることね〜・・・どうでもいいことや、役に立たないことはよく知っているけど、今の流行は全く知らないし、講釈ばっかりで体を動かせばやれ背中が痛くなったとか、熱が出たとか大騒ぎするだけで・・・・」 「・・・・おいおい・・・」 「あっ、あれなんてどう?香港に行ったときに立ち寄った足のつぼマッサージ屋さん。」 「なるほど〜!しかし健康ブームだからいいかもしれないけど、俺はツボとか全然分からんし、何も出来んぞ・・・」 「ばかね。最後までちゃんと聞きなさいよ。」 「はい・・・」 「ほら、あの時に店のオーナーらしい女の人が店の受付にいたでしょ。ばりっとスーツなんか着て、スタッフに睨みを利かせながら、お客さんには細かい心配りをしていた人。」 「おお、そういえば居たね。そうか、その役を俺が・・・」 「それは私に決まっているじゃないの!」 「えっ、じゃあ俺は?」 「足をもんでもらう前に、漢方のお湯に足をつけてリラックスさせてもらったでしょ。その薬湯を持ってきたり、お客さんのお水を次々とお代わりして回っていた人が居たじゃない。あの仕事だったら出来るんじゃない?」 「う〜ん。確かに、あれだけだったら出来そうな気がするけど・・・ちょっと地味じゃない?」 「ところがそうじゃないのよ。」 「と、いうと?」 「こんな不況だから普通の足つぼマッサージじゃ駄目なのよ。そこで考えたのが、店員のコスプレよ!」 「コスプレ!?コスプレのマッサージ屋か!・・・・で、俺はどんな衣装を身にまとって?・・・・」 「フフフ・・・・・なんだと思う?やっぱり新しいものも、日本の伝統文化に根ざしていると受け入れやすいのよね。・・・・ふんどし!これ一丁!これはうけるわよ〜」 「ふっ、ふんどし!・・・・身一つで立っている潔さはあるけど・・・・少し考えさせて下さい・・・」 |
深淵なる空間先月の「恋の予感」について数多くのお問い合わせいただきまして、誠にありがとうございます。 しかし、私は「恋」についてのポエシーな話題と思っていたのですが、どうも「トイレ」談義と思っておられたようで、次のトイレの話はいつですかとか、トイレには他に何がありますか?という質問が・・・・ なんと言ってもダントツは、素敵な短文が載っている日めくりと、格言付きのカレンダーでしょう。 星野富弘さんの詩画集なんて良いですよね。心和むやわらかいタッチと色使いの絵、それに何気ない言葉の中に、はっとさせられる詩文はありがたいものです。 こうなったら格言・名言を読んで日頃のだらしない心を戒めようと、カレンダーを眺めて見ます。 と、ここまで考えて・・・上り坂の次には必ず下り坂があって、その後は重い荷物を持っているもんだから、つんのめりながら足は回転数を上げて前に前に・・・・・助けてくれ〜と叫んでも、お前の人生はお前自身が責任を持ちなさいと覚者の声が響き渡るだけ・・・・ 皆さんのトイレには、どんなものが? 最後にもうひとつ我が家のトイレにはどうも普通でないモノがごろごろしているようで、この前はコウタロウが「お母さん〜トイレにウンコがある!」 なんとそれは○○だったのです。 |
恋の予感2週間ぐらい前から、トイレの中に小箱が置いてあるのです。 トイレを利用する時にはいつもその箱に目が吸い寄せられて、なんだか落ち着かない気分のまま・・・恋の予感って? 「お父さん!まだ?ちょっと長すぎない?早く出てよ〜」 皆さんの小箱の中には、何が? |
香港浪漫突然ですが、香港に行ってきました。 子供達はおばあちゃんに預けて、夫婦2人での久しぶりの旅行でした。 私はひたすら新世界の息吹を感じてみたくて、 彼女はというと・・・ 結局怒涛の珍道中でしたが、それぞれがそれぞれの思い出を作ることが出来た旅行でした。 本当だったら帰ってきて、一生懸命仕事に精を出さなければならないのでしょうが・・・・ |
無音の窓今年の初めに「音楽を聞こう」と決意表明してから、多くの人から編集テープやCDを送っていただいたり、薦められたりしました。この場を借りて御礼申し上げます。 そんな中で、改めて気付いたことがありました。 勿論完全な無音などないのでしょうが、あなたは今ほんの少しでも、しんとした瞬間を思い出せますか? 私は気付くまで、そんなこと全く失念していました。 ちょっと耳を澄ませてみて下さい。沈黙という極上の音楽に! |
良いですね〜桜サク春満開です!桜、桜、桜が・・・・良いですね〜。 この季節は、人々の心が騒ぎ立ち、両手を振り上げてみたり、口を大きく開けてみたくなったりします。 元気だった人はより一掃力を込めて、少しうな垂れていた人は薄桃色の木々を見上げて空の青さに一瞬でも気付いてみましょうよ。 花粉症も流行っていますし、各地で地震も頻発しています。関係者の方には、心よりお見舞い申し上げます。 |
夢のような夢寝床で妙案が思い浮かぶことって、良くありますよね。 悲しいと言えばこの間の夢の中で、月末の支払いに頭を痛めているのですが(ゆっ、夢ぐらいそれこそ夢を見させてほしい!)ある預金通帳が見つかって、その中になんと定期が・・・・ しかし、そんな時に限って目が覚めても覚えているのです。夢の中で喜んで、小躍りしている体感をそのまま・・・・ 皆様の素敵な夢をお祈り申し上げます。 |
かっ、身体が・・・・何の前触れもない襲来でした。 そもそも、頭部の中央集権さえ守ればどうにかなる、と考えていたのが大きな過ちでした。 「まだ大丈夫。心配には及びませんよ。」 そしてその革命的な朝がやってきたのです。 皆様もお体ご自愛下さい。 |
今年の抱負は明けましておめでとうございます。 よく言われるように大晦日から新年にかけての二日間は、何の変哲もない48時間です。 さて、振り返った総括もありますが、新世紀にまたがった今、辛気臭い話より未来へのイメージを語って新年の挨拶に変えたいと思います。 まあ、前置きはいいとして私の今年の抱負は、「音楽を聴こう!」です。 |
ドックイヤー12月になると決まって聞こえてくるのが、「はやいですね〜。ついこの間2000年問題だとか言って、正月を迎えたばかりなのに・・・・」 この頃の情報社会のスピードを、「ドック・イヤー」と言うそうです。 コンピューターの開発と情報化の推進が顕著になり始めて、たかだか10数年です。 時代の流れについて行けないし、かといって開き直った悟り顔も長くは続きません。 IwishyouamerryChristmasandahappyNewYear. |
パラリンピック皆さん、いかがお過ごしですか? 頭で身体を理解してきた時代は、もう終わりなのです。 |
オリンピック今年はよくオリンピックを、見ていました。いままではあまりオリンピックなど興味が無く、ダイジェストをみて満足していたのですが、今回は日本の応援に関係無く、色々な競技をあれこれと覗きみていたのです。 当たり前ですけど、どの競技をみても本当に多くの人が、競技を見つめているのですね。 しかし、日頃は身近な人達の顔か、まったくのっぺらぼうのネット世界にいるので、多数の顔が具体的に見える「世界」というのは、無性に嬉しくなるのです。 |
2000年9月吉日この前の日曜日に、久しぶりに家族で釣りに行ってきました。 車内の大合唱を聞きながら、なんかちょっと違うな〜と一人考え込んでいました。 |
夏の日焼けが・・今年はなんという夏なのでしょう!暑いです。とにかく暑いです。 そればかりではありません。連日のプールのおかげで、背中も腕も皮が剥け、醜いマダラ模様なんです。 私は先日、その剥けた皮を顕微鏡で見たんです。 |
2000年7月吉日もう、あっという間に2000年も半年過ぎてしまいました。 おっとその前に、7月7日は七夕さんですね。笹の葉に短冊を飾り、願い事を書いたじゃありませんか。思い出しますね〜。 |
親離れか?何とか無事に連休の東京旅行をこなし(楽しい思い出の数々でした)、一気に浮世に帰ってきています。 ここ数週間の週末は、コータとモモは友人の家を泊まり歩いていて不在なんです。これって早くも親離れでしょうか? ちなみに今週の土曜日も、2人とも外泊予定です。 |
2000年5月吉日花のゴールデンウィーク中の5・6・7日に、東京に行ってきます。義弟の結婚式があるのです。いやいや、めでたいめでたい。 |
サーカス先日サーカスに行ってきました。 暗く足元もおぼつかないテントの中は、かび臭い湿気と熱を帯びた電球に群れる虫達が狂喜乱舞して、その影は厚いゴムの天井に揺らめきツウという一声を残しているのです。 わけも無く口元に薄笑いを浮かべた観客は、ステージや空中に広げられる世界に心を毟り取られて、隣にいる人が首撥ねられようとも気付かない異界に身を沈めています。 ただ一人、わが身の不快に身をゆだねて泣き叫ぶ赤子の泣き声だけが、かろうじてこの世に繋ぎ止められてました。 御代の分は楽しんだろうと、一斉に硬い椅子から剥がされて外に追い出されてみると、檻の中には白子の虎が世界にも珍しいという踊った看板の下で、額に怪我を負い赤い肉を晒してうろつき回っていました。 桜吹雪の中、サーカスには行ってはなりません。 |
古代エジプト展にかこつけた福岡散策当日は天気も良く、まさしくドライブ日和だったので、皆朝から興奮気味でした。 10時5分頃に博物館に着くと広大な駐車場は、中古車センターさながらの混雑です。 会場は当然のごとく、人・ヒト・ひとです。 にこやかに笑い、手招きしているその人は、なんと友人の奥さんだったのです。 展示場の品々には、やはり本物の迫力があり圧倒されてしまいました。 モモコは途中からダル〜としていましたが、コータロウはとりあえず全部覗き込んであれこれ聞いてました。 図録も買ったし、後は少しずつ読んでゆきたいと思います。 博物館の後には、隣にある福岡市立図書館に行き、近代図書館の様を驚きを持って見て回りました。 福岡ドームにまで足を伸ばしたのですが、運悪くダイエーのオープン戦で、観戦バーでの野球場は見れませんでした。 さすがに皆クタクタになりましたが、久しぶりに楽しい休日を過ごしたものです。 よかった。よかった。 |
2000年2月吉日皆様いかがお過ごしでしょうか? しかし、この頃別な「2000年問題」で困ってしまうことがあるのです。 相変わらず厳しい寒さに晒されています。 |
2000年1月新年です明けましておめでとうございます。 実は今、高校時代に一緒に船に乗っていたクルーが出したCDを聞いていました。 目の前では、貰ってきたキスの冷凍を剥ぎ取る彼女の指が冷たさで赤く染まり、それをただぼんやりと酔った目で眺めている私が座っているのです。 まだまだ厳しい時代が続きそうですが、皆様もお体にお気を付けて・・・・ |
1999年5月の感想文を通じたやりとり>感想文よみました。 機能的に満足するのに、満足しないという感想や文化を創ったのが、なぜかと言う事が問題なのです。 >不思議だ。人間の感度が鈍感なので、圧迫感を求めた結果か、 圧迫感を求める必要性は、受精の絶対条件には繋がりません。 僕が思うに、メスの発情期が無くなってきた事と何らかの関係があるのでしょう。 チンパンジーやボノボ、または子殺しをみても想像に難くありません。 そこで他の遺伝子も必要とするために、他のオスもいる群れを必要とします。 つまり、俺は体の細胞を脳にまわす必要も無いぐらい優れて成熟しているのだ。 群れの維持のためにはひっきりなしにセックスします。 まあ常識的に考えると、上記のようなところではないかと思います。 本当か?・・・・ |
散歩の果てに見たものは・・・・久しぶりに晴れた日曜の午後に、家族で長距離散歩に出かけました。 何があるのか見てみたい徳さんと、安い野菜に今晩のおかずが渦巻くカヨちゃん、ピカチュウの石像を見つけて声を上げているモモコ、ひたすら「腹減った。腹減った。」と早くも足を引きずり出したコータロウ。 思いのほか多くの出店があり、見慣れた夜店に混じり竹細工店や研ぎ師のお店、なぜか分からないが電気店や家具屋まで軒を連ねています。 一巡してそれぞれの目的を果たして一段落したかと思うと、我が家の飽くなき欲望たちが騒ぎ始めました。 はじめて見ました。 こちらはオレンジ色の花畑に、部屋いっぱいに満ちた甘い匂いなのに、目の前にはなぜか電気もついていない冥界への入り口のような暗い廊下が続いています。 ジメジメとした廊下の突き当りには、忌の提灯が青白く浮き上がっています。 モモコは見るもの皆不思議がって、あれこれ聞いてきます。 (ひぇ〜〜。やめてくれ〜。誰かいたらどうするんだ〜。) その小窓の中には、ビニールに包まれた新品のマットが見えて、ほっとしながら「ここには亡くなった人が寝るんだよ」と説明していると、突然後ろから口元に薄笑いを浮かべた男が... 「せっかくだから、寝てみてもいいですよ。」 「ヒィ・・・!!」 |
整骨院への道このごろはどうもイケナイ。 まずは健康食品。 ある日突然左肩が痛み、四十肩かと揉んだり叩いたりしましたが、この痛みは退きません。 余りの痛さに、以前店に来た近くの整骨院の先生が「いつでもいらっしゃい」と言っていたのを思い出しました。 そこで僕が見たものは、所狭しと並べられた様々な機械と、ベットというベットに横たわる老若男女の人々です。 自分は、何も言っていないのに何故「肩」が痛いのだと分かったのだろう? その一瞬で私の自己は完全に萎えてしまい、ただ言われるまま、されるがまま、揉まれるままにされて、気がつくと「お大事に!」という声とともにドアの外に出されていました。 後で聞くところによると、整骨院とは今はどこもそのような指圧や針や機械を使った治療になっているそうです。 そして今日もまた、朝一つ早い電車で店に向かい、整骨院の門をくぐっている私です。 |
蒸し暑い夏の事今年も夏がやってきました。 2年ほど前の、蒸し暑い夏の事です・・・・ その晩はなぜか風がパタリと止んでいて、白いふすまは無為に両側に開かれたままでした。 気分良く読み進めた物語も佳境にさしかかったその時、本の背景にある襖と襖の間を、何か白いものがスーと横切って行ったのです。 それがお盆に帰ってきた霊なのか、目の錯覚なのか分かりません。 「文藝百物語」菊地秀行他ぶんか社 |
流星群33年に1回しか、お目にかかれない大流星群。 18日午前2時。目覚ましの音にハッと起き上がり、サッとカーテンを開けると・・・・・ドンヨリとした真っ黒な雲。 真っ暗な山道を行きながら「昔の人は星を見ながら色んな事を考えていたんだ」とか「流れ星がいっぱい降ってきたら、何か不吉な事が起こるのではと心配したんだよ」とか話していると、コータは「どうして奇麗なのに悪い事が起きると思うの?」と聞いてきます。 「流れないね〜。」 結局僕は三つ、モモコは小さい流れ星を一つ見ただけでした。 |
「もののけ姫」回想この間から500ピースのジグソーパズル「もののけ姫」に、コータとモモコとの3人で取り組んでいます。 彼らにとっては「もののけ姫」が、家族揃って行った初めての記念すべき映画であった事で、ことさら思い入れもあるようです。 この前の日曜日に、家族全員で映画を観に行きました。 モモコは、顔をこわばらせながら「怖いけど、みんなで手をつないでみるから大丈夫!」と応えています。 帰ってきて晩ゴハンのうどんを食べながら、やれあそこが怖かったとか、あそこは凄かったとか、タタラって何?とか、皆でワイワイ話をしました。 「お父さんのこと、今日からアシタカと呼んで!なんかそっくりだっただろう」 「・・・・・」 「やれやれ…。お父さんって本当に単純なんだから。でも又みんなで映画に行こうね。」 「承知!!」 まだ、アシタカになり切っているお父さんであった。やっぱり一番喜んでいたのは・・・!? |
花火大会町内の盛大な花火大会に行きました。 僕がぼんやりと、花火の残り火を目で追っているとき、ふうっと目の前を幼子の影が横切り、視野半ばで不自然に消え失せたのです。 「モモちゃん!!」悲鳴に近い声が! 真っ黒な穴に飛び込むと、声もなく我が子モモコが引っかかってました。 |
麦畑にしゃがみこんで私は、お墓に住んでいました。 大学を卒業して開店した夢屋も、ようやく軌道に乗ってきたある日、友人から大分の山中で麦畑を開墾しないかと誘いを受けたのです。 彼の話しによると、畑は人里はなれたところにあり、そこに夜露をしのぐものは皆無で、タヌキやイノシシ同様に土の上に寝るしかないそうです。 そう広くもない墓場の隅っこに、そのお堂は建ってました。 翌朝早くガラス戸が開く音で目を覚ますと、お婆ちゃんが手を合わせてお地蔵さんに何やら話し掛けていました。 それから僕らの一日は、二人のお地蔵さんから始まることとなりました。 |